1.若い人から嫌われる老人の習性と生態
日本では「最近の若い者は…」という決まり文句で、年配の人が若い人たちを批判することが多いようです。古くは、紀元前 2000 年頃のヒッタイト王国(現在のトルコあたり)の粘土板で作られた書簡に「最近の若い者は ・・・」といった現状を嘆くことばが書かれてあるそうです。古代ギリシャの哲学者プラトンも「最近の若い者は、目上の人を尊敬せず、親に反抗 ・・・ 道徳心のかけらもない」と書き残しているそうです。
日本の200~300年前の江戸時代でも、若い人から嫌われる老人の生態(醜態と言うべきか?)は、現代とあまり変わらなかったようです。これは500年後、1000年後でも「人類滅亡」まで変わらないのではないかと私は思います。
下の狂歌を見て、身に覚えのあるご同輩も多いのではないでしょうか?72歳の「老人」である私も自戒したいものです。
2.江戸時代の老人を風刺した絵画・狂歌と老人への教訓書
現代は「人生100年時代」と呼ばれるように「超」が付くほどの「高齢化社会」ですが、江戸時代は「人生50年」と言われるように高齢者は少なかったと思っておられる方が多いと思います。しかし、実は江戸時代にも70代、80代の高齢者は結構いたのです。
現代の「シルバー川柳」に「目には蚊を耳には蝉を飼っている」というものがあります。私などは身につまされる思いです。しかし、老人の習性や生態(醜態?)を残酷なまでに描いた狂歌・絵画や老人への教訓書が、江戸時代にすでにあったのです。
江戸時代の川柳に「目は眼鏡歯は入歯でも事足れど」というのがあります。81歳の天寿を全うした平戸藩の老公・松浦静山(まつらせいざん)(1760年~1841年)は『甲子夜話(かっしやわ)』の中で、「是(これ)、老境に入る者に非(あら)ざれば知ること難(かた)し」と評しています。
ちなみに、この『甲子夜話』という随筆の書名の由来は、静山が平戸藩主を退き隠居した後、この随筆が1821年12月11日の甲子の夜に書き起こされたことによります。その後静山が没する1841年まで20年間にわたり随時書き続けられ、正篇100巻、続篇100巻、第三篇78巻に及びます。
(1)浮世絵師・歌川国芳の『田家茶話六老之図』
前に「猫や骸骨、寄せ絵、武者絵などを描いた『奇想の絵師』歌川国芳とはどんな人物?」という記事を書きましたが、歌川国芳(1798年~1861年)は現代の「シルバー川柳」や綾小路きみまろの「漫談」のような老いを風刺した狂歌を添えた面白い絵『田家茶話六老之図』(冒頭の画像)を描いています。
これは、六人の老人が茶飲み話をする絵の上に次のような6首の狂歌が書かれたものです。
・しわが寄る ほくろができる 背はちぢむ 頭ははげる 毛は白くなる
・手はふるふ 足はよろつく 歯は抜ける 耳は 聞こえず 目はうとうなる
・身におふは 頭巾えり巻き 杖眼鏡 たんぽ温石 しびん孫の手
・くどうなる 気みじかになる 愚痴になる 心はひがむ 身は古くなる
・聞きたがる 死にとうながる 淋しがる 出しゃばりたがる 世話をしたがる
・又しても おなじ話に 子をほめる 達者自慢に 人はいやがる
(2)尾張藩士・横井也有の『咏老狂歌』
江戸時代中期の尾張藩士・横井也有(よこいやゆう)(1702年~1783年)は、国学者で俳人でもありました。通称は孫右衛門。彼も81歳の天寿を全うしています。
歌川国芳の『田家茶話六老之図』に書かれた狂歌の原作者は尾張藩士・横井也有です。
横井也有の詠んだ『咏老狂歌』は次の7首です。
・皺はよるほくろはできる背はかゞむあたまははげる毛は白うなる
・手は震ふ足はよろつく齒はぬける耳は聞えず目はうとくなる
・よだたらす目しるはたえず鼻たらすとりはずしては小便もする
・又しても同じ噂に孫じまん達者じまんに若きしやれ言
・くどうなる氣短になる愚痴になる思ひつく事皆古うなる
・身にそふは頭巾襟巻杖眼鏡たんぽ温石しゆびん孫の手
・聞きたがる死にともながる淋しがる出しやばりたがる世話やきたがる
(3)根岸鎭衛の『耳袋』にある「老人へ教訓の歌の事」
江戸時代中期から後期にかけての旗本で、勘定奉行・南町奉行を歴任した根岸鎭衛(ねぎししずもり/やすもり)(1737年~1815年)が、この横井也有の7首の狂歌に感想を添えて老人への教訓としたのが、『耳袋』にある「老人へ教訓の歌の事」です。彼は78歳まで長生きしました。
ちなみにこの『耳袋』は、鎮衛が佐渡奉行在任中の天明5年(1785年)頃から78歳で亡くなる直前まで30年以上にわたって書き溜めた世間話の随筆集です。同僚や古老から聞き取った珍談・奇談が記録され、全10巻1000編もの膨大な量に及びます。内容は、公方から町人層まで身分を問わず様々な人々についての事柄が書かれています。
望月老人、予が許へ携へ來りし、面白ければ記し置きぬ。尾州御家中横井孫右衛門とて千五百石を領する人、隱居して也有と號せしが、世上の老人へ敎訓のため七首の狂歌をよめり。
皺はよるほくろはできる背はかゞむあたまははげる毛は白うなる
これ人の見ぐるしきを知るべし
手は震ふ足はよろつく齒はぬける耳は聞えず目はうとくなる
これ人の數ならぬを知るべし
よだたらす目しるはたえず鼻たらすとりはずしては小便もする
これ人のむさがる所を恥づべし
又しても同じ噂に孫じまん達者じまんに若きしやれ言
これ人のかたはらいたく聞きにくきを知るべし
くどうなる氣短になる愚痴になる思ひつく事皆古うなる
これ人のあざけるを知るべし
身にそふは頭巾襟巻杖眼鏡たんぽ温石しゆびん孫の手
かゝる身の上をも辨へずして
聞きたがる死にともながる淋しがる出しやばりたがる世話やきたがるこれを常に姿見として、己れが老いたるほどをかへり見たしなみてよろし。
しからば何をかくるしからずとしてゆるすぞと。いはく、宵寢朝寢昼寢物ぐさ物わすれそれこそよけれ世にたらぬ身は [一本「立てられぬ身は」]
3.河島英五の「時代おくれ」のような生き方
肝臓疾患のために48歳で亡くなった河島英五(1952年~2001年)に「時代おくれ」という歌があります。私は「高槻まつり」のライブで彼の歌を一度聞いたことがあります。
その歌詞の中に「目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは 無理をせず 人の心を見つめつづける 男になりたい・・・♪」というフレーズがありますが、私はこれは老人の心得でもあるように思います。