「旧人類」であるネアンデルタール人が絶滅し、我々の祖先である「新人類」(現生人類)のホモ・サピエンスが生き残ったということは、学校で習いましたね。
ではネアンデルタール人はなぜ絶滅してしまったのでしょうか?そして一方、ホモ・サピエンスはなぜ生き残れたのでしょうか?
今回はこれらについてわかりやすくご紹介したいと思います。
1.ネアンデルタール人が絶滅した原因に関する仮説
ネアンデルタール人は、約4万年前に絶滅したとされていますが、絶滅の原因は明確には分かっていません。
クロマニョン人との暴力的衝突によって絶滅したとする説、獲物が競合したことによって段階的に絶滅へ追いやられたとする説、身体的・生理的な能力で差をつけられ、衰退していったという説、混血を重ねたことで急速に吸収されてしまったとする説、あるいはそれらの説の複合的要因とする説など、様々な学説が唱えられています。
(1)現生人類によって皆殺しにされたとする説
これはホモ・サピエンスによるジェノサイド説です。チンパンジーは、自分たちと異なる群れと遭遇すると、オスと乳児を皆殺しにして、妊娠できるようになったメスを群れに加えます。
現在のロシアとウクライナの紛争を見ても、人間の本性は同じようなものではないでしょうか?6万年前のホモ・サピエンスが、容姿の大きく異なるネアンデルタール人やデニソワ人と初めて遭遇したとき、「友達になりましょう」なんてことになるわけがないというのは、かなり説得力があります。
ホモ・サピエンスは、言語や文化(祭祀や音楽、服や入れ墨)などを印(シンボル)として、1000人規模の巨大な社会を構成できるようになりました。それに対してネアンデルタール人の集団はせいぜい数十人なので、抗争になればひとたまりもありませんでした。
生物学的に、男はできるだけ多くの女と性交して遺伝子を後世に残すように設計されていますので、チンパンジーと同様に、先住民の女を自集団に取り込んで交雑が進んだというわけです。
(2)大規模な気候変動に適応できなかったとする説
人類最強のネアンデルタール人は、体格に恵まれていたため、気候が安定していた時代には食べ物に苦労しませんでした。しかし、「ハインリッヒ・イベント(Heinrich Events)」(*)のような急激な気候の大変動期には環境に適応できなくなり絶滅したというものです。
(*)1988年にHartmut Heinrichが発見した「最終氷期に北大西洋へ多数の氷山が流れ出したことで生じた、急激で大規模な寒冷イベント(気候変動)」のこと
ホモ・サピエンスは弱いがために、コミュニケーションが発達し、集団で助け合って生活するようになり、言葉が生まれ、文明が生まれました。やがて、それは文字の発明につながり、現在の大繁栄に繋がったというわけです。
(3)大規模で深刻な疫病(感染症)の蔓延が原因とする説
アフリカから世界に広がったホモ・サピエンスとの交雑で、ネアンデルタール人の間でアフリカ由来の深刻な感染症が広がり、人口を減らしたという説です。
病気に関係する遺伝子の研究が注目されるのは、この仮説を検証できる可能性があるからです。高い精度で解読されたネアンデルタール人のDNAの数が増えれば、その手がかりをつかめるかもしれません。
(4)生殖能力がホモ・サピエンスに比べて劣っていたのが原因とする説
ネアンデルタール人のゲノムと、ホモ・サピエンスのゲノムとを比べると、X染色体のある部分が異なります。
それは何に関係しているかというと、生殖能力です。つまり結局、ホモ・サピエンスが世界を席巻できたのは、ネアンデルタール人より生殖能力(繁殖能力)が高かったという考え方です。
ネアンデルタール人は滅んだというより、ホモ・サピエンスが吸収してしまったとみるほうが正しいということです。
ネアンデルタール人も進化の袋小路に入りかけていて、なかなか数が増やせなかったところに、とにかく多産なホモ・サピエンスが登場したので、吸収されたというわけです。
ネアンデルタール人との交雑によって、最初はホモ・サピエンスのゲノムに10%くらいネアンデルタール人のゲノムが入っていったと考えられていて、それはまさに両者の人口比そのものだったのではという説もあります。
(5)言葉や発明の才などの能力の差が原因とする説
2000年代初めまで有力だった仮説は、「ホモ・サピエンスは抽象的な思考ができて高度な言葉を操るなど、ネアンデルタール人より優れていた」というものです。
しかしその後、ネアンデルタール人が作った石器や洞窟の壁画、装飾品などの考古学的な証拠が増えました。これらの考察から、現在はホモ・サピエンスに近い能力を持っていたと推測する研究者が多くなっています。
ネアンデルタール人の研究を続けてきた東京大総合研究博物館長の西秋良宏教授(先史考古学)も、そうした一人です。「私自身、ネアンデルタール人は劣っていたと考えていた。今はそれほど差がないと思っている」と振り返ります。
では、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の運命を分けた差は何でしょうか?ホモ・サピエンスには、ネアンデルタール人にない「発明の才」があった、という説は根強くあります。
東北大東北アジア研究センターの佐野勝宏教授(先史考古学)らは、イタリア南部のホモ・サピエンスの遺跡で見つかった約4万5000年前~4万年前の石器に、弓か 投槍 器という道具によって、高速で投射された痕跡があることを発見しました。効率よく安全に獲物を仕留められたホモ・サピエンスが、生存競争で優位に立ったと推測しています。
しかし、投射痕のある石器が見つかったのは、この遺跡だけです。将来、ネアンデルタール人の遺跡から、同様の石器が出てこないとも限りません。
2016年2月に科学誌「米国科学アカデミー紀要」に掲載された最新研究は、約4万5000年前にヨーロッパ大陸にやってきた現生人類と競う能力が無かったため、絶滅に追いやられたとする説です。
研究に携わったスタンフォード大学の生物学者、マーカス・フェルドマン博士は「2つのグループが対立した場合、より発達した文明を持つグループがたとえ人口が少なかったとしても、相手を侵略し打ち負かす」と説明しています。
ここでいう「文明(文化)」とは狩猟の技術やコミュニケーションの能力、予期せぬ環境の変化に対応する能力のことです。
また、両者は実際に戦ったようです。「ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの間で、多くの戦いがあったと考えられます。全ての道具が建設的な目的で使われたわけではなかったのです。斧は、何かを作るためだけではなく、破壊するためにも使えます」とフェルドマン博士は述べています。
最近、フランス南部の洞窟で、子どもの歯1本と石器が発見されました。ホモ・サピエンス(現生人類)が約5万4000年前に西ヨーロッパにいたことをうかがわせるものです。
これは、これまで考えられてきたより数千年前となり、2つの人類が長期間、共存していた可能性を示しています。
ネアンデルタール人がヨーロッパに現れたのは40万年前のことです。現在の説では、約4万年前に絶滅したとされ、現生人類がアフリカからヨーロッパに到来して間もなくのこととみられていました。
しかし今回の発見は、現生人類がヨーロッパにやって来たのはそれよりずっと前で、ネアンデルタール人が絶滅するまで1万年以上にわたって、2つの人類が同地で共存していたかもしれないことを示唆しています。
英ロンドンの自然史博物館のクリス・ストリンガー教授は、現生人類が素早くネアンデルタール人を圧倒したとする現在の見方に対し、見直しを迫る発見だと述べています。
「現生人類が一夜にして乗っ取ったわけではなかった。ある時はネアンデルタール人が優位になり、またある時は現生人類が優位に立った。もっと微妙なバランス関係があった」と同教授はBBCニュースに語っています。
(5)偶然説
2010年代に関心を集めたのは、ホモ・サピエンスが犬を飼い始めて狩猟の成功率を高め、ネアンデルタール人より優位に立ったという説です。
ただ、現代の犬が登場したのは約1万5000年前と推定されています。ネアンデルタール人が絶滅した約4万年前に、犬の祖先であるオオカミが家畜化されていた証拠はありません。
東大の近藤修准教授(形態人類学)は、2021年3月に出版された大学生向けの自然人類学の教科書「人間の本質にせまる科学」の中で、ネアンデルタール人の絶滅を考察する11もの仮説を比較し、検討しています。
どの仮説も単独では弱いと考える近藤氏は、「絶滅の理由はわからない」と嘆き、担当した章の最後で「ホモ・サピエンスが生き残ったのは偶然の結果にすぎない」という英国人研究者の見解を紹介しています。
2.ホモ・サピエンスが生き残れた原因
ネアンデルタール人は、厳密にいえば1600ミリリットルという現代の人類よりもやや大きな脳を持っていました。知能そのものはホモ・サピエンスとあまり変わらないと考えられていますが、石器の製作・使用の技術に長けていて、狩猟用、解体用などに使い分けていました。
さらに、ほぼ完全な状態の全体の骨が発見されていることから、埋葬の習慣があったことも分かっています。最盛期の人口は2万人ほどがヨーロッパか各地に広まっていたようです。
これほど繁栄したネアンデルタール人だけが滅びた理由は何だったのでしょうか?
その謎に迫るひとつの仮説があります。現在生存している様々な霊長類の頭蓋骨を調べてみたところ、みな気道と食道を分ける喉仏が高い位置にあり、ネアンデルタール人も人類に比べ、喉仏が高い位置にあったと考えられました。一方、私たち人類の喉仏は下の方にあります。このことは、喉の長さがホモ・サピエンスのほうが長く、会話をするのに適していることを示しています。
ネアンデルタール人も言葉を発していましたが、この人体構造だと母音がうまく発音できなかったと考えられています。そのため、複雑な会話が困難でコミュニケーション能力ではホモ・サピエンスのほうが勝っていたのです。
私たち、ホモ・サピエンスが手に入れた言葉。これこそが、私たちが生き残れた原因です。
言葉を使って効率よく狩りを行い、狩りが終われば失敗した理由を考え、話をします。こうして新しい工夫を話し合い、次回の狩りではさらに効率よく獲物を狩るのです。大人の言葉を聞いた子供たちは、狩りの技術を学び、大人たちは自らの経験を言葉によって子供や仲間たちに伝えています。
言葉を使うようになり、私たちは初めて知識や経験を共有するようになり、ホモ・サピエンスだけが生き残れたのでした。
これは、ネアンデルタール人が絶滅した原因に関する(5)の仮説に対応した考え方です。
3.人類の進化の歴史
私たち生命の始まりは、大きさ1mmにも満たない微生物でした。そして、長い進化の果てに、いま地球には3,000万種を超える多様な生命が息づいています。しかし、その数百倍・数千倍という生命が途中で絶滅しています。地球生命の歴史とは絶滅の歴史でもあったのです。
私たち、人類の進化の舞台となったのはアフリカ大陸です。中央部にわずかに残る熱帯雨林。ここに私たち人類と最も近い仲間、チンパンジーが今も暮らしています。およそ700万年前、人類はこのチンパンジーの祖先と分かれ、二本の足で歩き始めました。その理由は分かっていませんが、チンパンジーと分かれて300万年ほど経った頃、「アウストラロピテクス」が誕生します。
二足歩行をしているため、背骨が真っ直ぐ伸びていて、身長は140cmほど。これはチンパンジーとほぼ同じサイズで、腕も長いままでした。その長い腕を使って木に登っては主食である果実をとっていたと考えられています。
人類はチンパンジーと分かれた後も、チンパンジーとあまり変わらない森の生活を続けていたのです。しかし、人類は誕生の時から常に深刻な危機にさらされてきました。当時のアフリカでは果実の宝庫である熱帯雨林が次第に消えていったため、主食である果実が不足していたのです。その原因は、ヒマラヤ山脈にありました。
約5,000万年前、大陸移動によりインドがアジアに激しく衝突、地球史上最大の山脈であるヒマラヤ山脈を形成します。隆起を始めたヒマラヤ山脈は、人類が進化を始めた700万年前には標高5,000m級になり、地球の気候を大きく変え始めていました。ヒマラヤの上空にたまった熱くて乾いた空気が、アフリカ大陸に流れ込み、雨が極端に少ない季節が生まれたのです。
この現象は熱帯雨林の消失を促し、我々人類もおよそ200万年前、この危機から逃れるべく劇的な変化を遂げました。
まったく違った二種類の人類が登場したのです。
南アフリカ・ノースウェスト州にある170万年~150万年前の地層から二種類の人類化石が発見されました。発見された化石のひとつは「ホモ・エルガステル」と名付けられました。その姿を再現してみると身長は約170cm、以前より30cmも身長が伸び、すらりとした体型をしています。
もう一つは、「パラントロプス・ロブストス」と呼ばれています。頭蓋骨の上に突起があるのが特徴で、顔の筋肉を支えるためのものだったといわれています。身長は150cmほどで、ずんぐりとした体格をしていたと考えられています。
この二つの人類の姿の違いは、食糧不足を生き抜きために独自の進化を遂げたためでした。パラントロプスは、乾季には木の根(球根)を食べていたため、その硬い根を噛み砕くために丈夫な顔の筋肉が発達したと考えられています。
一方、長身のホモ・エルガステルは、他の動物が狩りをして残した肉を食べるという選択をしました。当時の人類は狩りをして獲物を狙うという知恵も体力もなかったためです。しかし、時に食べ残しはなかなか見付からず、長距離を移動しないといけません。すらりとした体つきは長距離移動に向いていたと考えられています。
その後の研究によって、ほぼすべての時代にわたって、人類には複数の祖先がいたことが分かってきました。700万年の間に登場した人類の祖先の数は20種にもなります。そのうち、たった一つを除いて絶滅してしまったのです。
木の根を主食としていたパラントロプスも100万年後に、突如として絶滅してしまいました。その理由は不明ですが、偶然生き延びたのが、ホモ・エルガステルでした。しかし、生き残ったホモ・エルガステルは激的な進化を遂げます。その原動力はアフリカ大陸の地形にありました。アフリカ東部には幅100kmにもわたる大渓谷があります。
「大地溝帯(だいちこうたい)」と呼ばれるこの渓谷は、アフリカを縦断するように南北に6,000kmも伸びています。
この大地溝帯は地下のマントルが地殻を押し上げた結果であり、周辺は高原となって、両側には高さ2,000mもの山々が形成されました。このため、海からの湿った風は遮られ、内陸の乾燥化は一層進みます。
そして、200万年前には現代と同じような広大な草原、サバンナが出来上がったのです。
サバンナの出現は、草食動物とそれを狙う肉食動物の進化を促しました。私たちの祖先であるホモ・エルガステルもこうした弱肉強食の世界へ進出して行ったのです。それは危険と隣り合わせの生活でした。
巨大な牙を持つサーベルタイガーはこの時代の王者であり、逆に人類は格好の獲物でした。しかし、逆境ともいえる危険な肉食の道をあえて選んだことが、思わぬ、そして決定的な進化をホモ・エルガステルにもたらしたのです。
それこそ、脳の巨大化でした。肉を主食とした祖先だけがなぜか脳を巨大化させていったのです。初期の人類のアルストラロピテクスでは、チンパンジーと変わらない500ミリリットルほどに過ぎませんでしたが、肉食を覚えたホモ・エルガステルの脳は、ほぼ倍の900ミリリットルに拡大していたのです。
なぜ脳が巨大化したのかはまだ分かっていませんが、肉食が脳の巨大化に有利だったことは確かです。脳は身体で最もエネルギーを使う器官です。その脳のエネルギーを補うのに高カロリーの肉が役に立ったのではないかと考えられています。
脳が巨大化した人類は肉を狩るため、知恵を絞り始めました。「狩り」の始まりです。それが更なる脳の巨大化を促し、その後もアフリカでは新たな人類が出現していきますが、そのたびに脳は大きくなっていきました。
ホモ・エルガステルの次にあらわれた「ホモ・エレクトス」では、脳の大きさは1000ミリリットルを突破しています。このホモ・エレクトスはアフリカから、アジアへと広まっていったのです。その子孫は現在のインドネシアで「ジャワ原人」となり、やがては中国に達し、「北京原人」となりました。
そしておよそ20万年前に、遂に「ホモ・サピエンス」がアフリカ中央部で誕生しました。その脳は1400ミリリットルまで大きくなったのです。私たち、ホモ・サピエンスはかつてないほど大きな脳を持つようになりました。しかし、その脳の大きさだけが私たちが繁栄した理由ではないことが分かってきました。
それは、私たちとほぼ同じ大きさの脳を持っていた「ネアンデルタール人」の存在です。約30万年前に出現したネアンデルタール人は、身長もホモ・サピエンスとほぼ同じくらいでしたが、身体はより頑強でした。
ネアンデルタール人は、氷河期の真っ最中だったヨーロッパに進出し、寒さに適応した人類です。彼らは氷河期のハンターとして活躍し、私たちホモ・サピエンスとも長い間共存していたのです。しかし、およそ4万年前に絶滅し、現代にはいません。
しかし、最新の研究ではアフリカ以外の地域の人のDNAに、ネアンデルタール人のDNAがわずかに含まれていることが確認されています。
2021年2月に沖縄科学技術大学院大教授が発表した「現代人はネアンデルタール人から新型コロナウイルス感染症の重症化を防ぐ遺伝子を受け継いでいる」という研究論文が話題になりました。
発表したのは、同大教授を兼ねる独マックス・プランク進化人類学研究所長のスバンテ・ペーボ博士。古代人のDNAを解読し、現代人の祖先とネアンデルタール人が交雑していたことを突き止めた研究者です。
ネアンデルタール人由来の重症化を防ぐ遺伝子は、現代人の12番目の染色体にあります。体内でコロナウイルスの遺伝情報(RNA)を分解する酵素の働きを強め、重症化のリスクを約20%下げるということで、この遺伝子は、日本人の約30%が持っているそうです。
驚いたことに、現代人は新型コロナ感染症を重症化させる遺伝子も、ネアンデルタール人から受け継いでいるそうですが、日本人はほとんど持たず、南アジアの人は約50%が持っているということです。
4.ネアンデルタール人とは
「ネアンデルタール人」(学名:Homo neanderthalensis、英: Neanderthal(s)、独: Neandertaler)は、約4万年前までユーラシアに住んでいた旧人類の絶滅種または亜種です。
彼らは、大規模な気候変動、病気、またはこれらの要因の組み合わせによって絶滅した可能性が高いと考えられています。彼らは完全にヨーロッパの初期の「現生人類」(ホモ・サピエンス)に取って代わられました。
化石人類としてのネアンデルタール人の位置が確定するまでには紆余(うよ)曲折がありました。
1856年、ドイツ、デュッセルドルフ近郊のネアンデル谷(タールは谷の意)の石灰岩洞穴から、1体の人骨が偶然に発見され、その異様な形態から、かつてヨーロッパに住んでいた原始人類の遺骨として発表されました。
これに対して、人類学界の一大権威であったドイツの病理学者ウィルヒョウ(フィルヒョウ)が、その原始的特徴を病理的なものであると判断したため、この人骨は当時の人々から無視されました。
一方イギリスでは、地質学者A・キングがこれを絶滅種の人類であると考え、1864年に「ホモ・ネアンデルターレンシス」と命名しました。1901年、ドイツの人類学者シュワルベが、この骨と、1886年にベルギーで発見されたスピー人骨とを比較するに及んで、これらが原始的な人類であることが確かなものとなりました。
<1888年時点の最初期の復元図>
そのほか同類の人骨が、クロアチアのクラピナ(1899~1905)、フランスのラ・シャペル・オ・サン(1908)、ル・ムスティエ(1908)などヨーロッパ各地から発見されています。
さらにヨーロッパ以外でも、イスラエルのカルメル山からタブーン人(1931~1934)、アフリカではカブウェ人(ローデシア人)(1921)、イラクではシャニダール人(1953~1960)など、ネアンデルタール人の遺跡は広く散在しています。
<現生人類(左)とネアンデルタール人(右)の頭蓋骨の比較写真>
これらの人骨の頭蓋(とうがい)容量は、1300~1600立方センチメートルと現生人類並みか、時にはそれを超えるほど大きい一方、頭高はかなり低く、とくに前頭部の発達は悪いのが特徴です。
眼窩(がんか)上隆起は著しく、強い突顎(とつがく)を示し、顔面部は大きい半面、身長は低く、成人男子で平均約155センチメートルと推定され、体格は頑丈でした。中期旧石器文化であるムステリアン型石器が伴出します。第三間氷期およびビュルム氷期第一期、年代としては15万~3万5000年前に生存していたと考えられます。
ネアンデルタール人は、長い間、現生人類とは類を異にする独立種とみなされていました。しかし、埋葬を行うなど、高い精神性を示す証拠が発見されたこと、また現生人類への移行形の人骨が発掘されていることなどを考慮して、現生人類と同種のホモ・サピエンスの中に入れる学説もあります。
シャニダール遺跡の洞窟に埋葬されていた人骨の下の土壌からは、今日でもその周辺に咲く花の花粉が出土し、「最初に花を愛(め)でた人々」とみなされるようになりました。
なお、一部の学者は、ヨーロッパ出土の人骨のみをネアンデルタール人とし、他をネアンデルターロイド(類ネアンデルタール人)と呼んでいます。
5.ホモ・サピエンスとは
「ホモ・サピエンス」(Homo sapiens、ラテン語で「賢い人間」の意味)は、現生人類が属する種の学名です。ヒト属で現存する唯一の種です。
種の下位の亜種の分類では現生人類をホモ・サピエンス・サピエンスとすることで、彼らの祖先だと主張されてきたホモ・サピエンス・イダルトゥと区別しています。
創意工夫に長けて適応性の高いホモ・サピエンスは、これまで地球上で最も支配的な種として繁栄してきました。国際自然保護連合が作成する絶滅危惧種のレッドリストは、「軽度懸念」としています。
「ホモ・サピエンス」の学名は、1758年にカール・フォン・リンネが考案しました。ラテン語の名詞で「homō」は「人」を意味します。「sapiens」は動詞 sapiō 「理解する、知っている」の現在分詞で「知恵のある」といった含み。
ホモ・サピエンスの亜種は、ホモ・サピエンス・イダルトゥと唯一現存するホモ・サピエンス・サピエンスです。
ネアンデルタール人も一亜種としてホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスに分類する学説もあり、また種の標本が発見されたホモ・ローデシエンシスも、亜種としてホモ・サピエンス・ローデシエンシスに分類する学説もあります。
アルタイで発見されたデニソワ人も亜種とする学説があり、ホモ・サピエンス・アルタイと名付けられています。
ちなみにネアンデルタール人やデニソワ人の遺伝子は現代人に混入しています。