二十四節気の季節感溢れる季語と俳句 仲春:啓蟄・春分(その4)行事

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春分

前回まで、「ホトトギス派の俳人」16人(「ホトトギス派の俳人(その16)杉田久女:虚子との確執で有名な悲運の女流俳人」など)と「ホトトギス派以外の俳人」14人(「ホトトギス派以外の俳人(その14)長谷川かな女:大正期を代表する女流俳人」など)を紹介する記事を書いてきました。

ホトトギス派は、「客観写生」「花鳥諷詠」「有季定型(季語のある定型俳句)」を旨としましたが、それに飽き足りない俳人たちが、「無季俳句」や「自由律俳句」などを標榜する「新興俳句運動」を起こしました。

私は、「新興俳句運動」を全否定するつもりはなく、それなりの歴史的意義はあったと思います。しかし、私はやはり季節感溢れる「季語」を詠み込んだ「定型俳句」に魅力を感じます。

そこには、現代の私たちの生活から失われつつある(一部はほとんど失われた)季節感が溢れており、「懐かしい日本の原風景」を見るような気がします。

そこで今回から、「二十四節気」に沿って季節感あふれる「季語」と俳句をご紹介していきたいと思います。

なお、前に「季語の季節と二十四節気、旧暦・新暦の季節感の違い」という記事も書いていますので、ぜひご覧下さい。

季語の季節対比表

二十四節気図

「春」は旧暦1月~3月にあたり、「初春」(立春・雨水)、「仲春」(啓蟄・春分)、「晩春」(清明・穀雨)に分かれます。

今回は「仲春」(啓蟄・春分)の季語と俳句をご紹介します。

・啓蟄(けいちつ):新暦3月5日頃です。「二月節」 冬ごもりしていた地中の虫がはい出て来ます。

・春分(しゅんぶん):新暦3月20日頃です。「二月中」 太陽が真東から昇って真西に沈み、昼夜がほぼ等しくなります。

5.行事

(1)あ行

・愛林日(あいりんび):もとアメリカで始まった緑の週間のこと

・赤彦忌(あかひこき):3月27日。明治・大正時代のアララギ派歌人島木赤彦(しまき あかひこ)(1876年~1926年)の忌日。

正岡子規の短歌に影響を受け、伊藤左千夫に師事。写生を尊重した作風で、短歌雑誌「アララギ」の編集兼発行人となる

・淡島祭(あわしままつり)/粟島祭(あわしままつり):3月3日、和歌山県加太の淡島神社で行われる祭礼。婦人の病の平癒を願って、櫛、乳型、雛人形が奉納された。全国から奉納されるおびただしい数の雛人形を舟に積み、海に向かって雛舟が流される。近年、関西では有名な行事となった

・居重ね(いがさね):年季が切れた後、出替わらず再び来期も奉公人として勤めること

・従兄煮(いとこに):「お事汁」のこと

・糸雛(いとびな):雛人形の一種

・居なり(いなり):年季が切れた後、出替わらず再び来期も奉公人として勤めること

・浦佐の堂押(うらさのどうおし):新潟県南魚沼市の普光寺毘沙門堂の裸押合祭。毎年3月3日、積雪2mの中で行われる。信者は水垢離をして身を清めその年の除災招福を祈願しようと押合いもみ合い本尊に参前する。 冷水を浴びた男衆が五穀豊穣、家内安全を願い、ご利益の御札を我先に奪い合う

・円位忌(えんいき):陰暦2月15日、平安時代末期の僧侶・歌人の西行(さいぎょう)(1118年~1190年)の忌日

・御出祭(おいでまつり):3月18日~23日、石川・気多神社で行なわれる神事

・大石忌(おおいしき):陰暦2月4日、大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしたか)(1659年~1703年)の命日。主君浅野内匠頭のあだ討ちをテーマにした歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」で知られる。当日、東京の高輪泉岳寺で法会が営まれる。又陰暦3月20日、京都花街の万亭(一力)でも法要が営まれる

一力

・大阪場所(おおさかばしょ):三月に大阪で行われる大相撲春場所のこと

・おこと:「おこと」は、「御事始め」または「御事納め」の略。

陰暦12月8日の「事納(ことおさめ)」に対して、陰暦2月8日を「事始(ことはじめ)」という。おもに農事、祭事に対する事始であり、関東では魔除けのおまじないとして目笊というものを軒に掲げたりした

・お事汁(おことじる):2月8日の事始の日に作った味噌汁

・押合祭(おしあいまつり):3月3日の「浦佐の堂押」の別称

・お松明(おたいまつ)/御松明(おたいまつ):3月15日の夜、京都市嵯峨の清涼寺(釈迦堂)で行われる涅槃会(ねはんえ)の行事。大松明を焚(た)いて釈尊の荼毘(だび)のさまを再現するといわれる。「嵯峨の柱炬(さがのはしらたいまつ)」の別称

・お中日(おちゅうにち):春の彼岸の中日。春分にあたる

・御告祭(おつげさい)/お告げの祝日(おつげのしゅくじつ):3月25日。カトリック教会で、聖母マリアの受胎告知を記念するための祝日。この日、大天使ガブリエルが処女マリアにキリストの受胎を告知したとされる

・お涅槃(おねはん):陰暦2月15日の釈迦入滅のこと

お涅槃や 大風鳴りつ 素湯の味(渡辺水巴)

・お札流し(おふだながし):陰暦3月28日、四国八十八箇所寺の松山地方の十ヵ寺(四十四番大宝寺から五十三番円明寺まで)で行われる、遍路が納めたお札を松山の高浜沖に流す行事

・お水送り(おみずおくり):「若狭のお水送り」の略。3月2日、福井県小浜市神宮寺の神仏習合の行事。若狭、遠敷川上流の鵜の瀬から、送水の祭文を誦し香水を川に注ぐ。これが奈良東大寺二月堂の若狭井に届くと、古来より言い伝えられてきた。 東大寺修二会(お水取)に汲まれる水である

・お水取り(おみずとり):奈良東大寺二月堂における修二会の行のひとつ。3月12日深夜、堂近くの閼伽井(あかい)から香水を汲み本尊の十一面観音に供える。この水は、天平時代より遠敷明神が若狭から送り届けるという時空を超えた霊水。これを中心に堂内外ではさまざまな祈の行法がある。これが終わると奈良に本格的な春が訪れる

お水取り

水取りや 氷の僧の 沓(くつ)の音(松尾芭蕉)

・御目見得(おめみえ):出替で、新規に奉公する男女が、奉公先に顔見せにいくこと

・折雛(おりびな):折紙などで作った雛人形。

(2)か行

・貝の華(かいのはな):聖徳太子の忌日に行われる法要。奈良の法隆寺は3月22日から3日間行われ、大阪の四天王寺は4月22日未明から、舞楽が奉納される。舞台の四隅には、紅紙で作った曼珠沙華を掲げるが、昔は住吉の浜の貝殻を付けた。よってこれを「貝の華」とも いう

夕はへや 舞台の隅の 貝の華(友梅)

・鶴林の夜半(かくりんのよわ):陰暦2月15日の釈迦入滅の際、沙羅双樹の葉の色が白鶴のようになったことを指す

・鹿島祭頭祭(かしまさいとうさい):3月9日、茨城・鹿島神宮で行われる祭頭祭。

茨城県の鹿島神宮の最も規模が大きく勇壮な祭典。奈良時代、武運長久を祈って旅立っていった防人たちの「鹿島立ち」の故事に由来する。五穀豊穣、天下泰平を願う祈年祭で、囃し唄に合わせて、色鮮やかな衣装を身に着けた囃人が、六尺の樫棒を組んでは解き、囃しながら街中を練り歩く

・春日祭(かすがまつり/かすがさい):平安時代に始まり、葵祭、石清水祭と共に三大勅祭の一つと言われる春日大社(奈良県 奈良市)の例大祭

かつては 2月 ・ 11月 の上申日(当該月の最初の申の日)に行われたが、 1886年(明治19年)以後は新暦の3月13日に統一されている

・神のお告げ(かみのおつげ):3月25日、大天使ガブリエルがマリアにキリスト受胎を告知したこと

・紙雛(かみびな):紙で作った男女一対の立ち姿の雛人形。祓(はらえ)の形代(かたしろ)から起こり、流し雛に用いられたが、やがて日常の玩具ともされるようになった

・韓神祭(からかみまつり):宮中行事の一つで平安京宮内省内に鎮座していた園神・韓神の例祭。二月春日祭の後の丑の日と、十一月新嘗祭の前の丑の日に行われる。神部二人が庭に賢木を立て庭火をたき、大臣は召使いをして歌人・神馬・鬘木綿などを召す。次に祝詞をあげ、笛、琴を奏し、歌舞を行うというもの。

・雁供養(かりくよう):「雁風呂(がんぶろ)」の別称

・変り雛(かわりびな):伝統的なものとは違った材料を用いたり、変わった形に作ったりした雛人形。その年の干支 (えと) にちなんだもの、世相を風刺したものなどがある

変わり雛

・寛永雛(かんえいびな):立雛から座り雛に変わった最初の雛人形。寛永雛は男女の内裏雛のみの小型の飾りで、頭と冠と共に一本造りで耳が大きく作られている。女雛は手が付かないまま両腕を開き、衣服は着物に袴と古い姿。

束帯姿・面長な古典的気品のある顔立ちで、いまの京雛の源流とも言える。

・寒食(かんしょく):中国の古い風習。冬至から百五日、清明の二日前、火気をたって冷たいものを食すること。介子推と晋の賢人がこの日に焼け死んだことを悼んでのならわし

寒食の うさもひとしほ 旅衣(八十村路通)

・寒食節(かんしょくせつ):冬至から百五日目に火気を断ち冷食する、昔の中国の風習

・官女雛(かんじょびな):官女の雛人形。江戸末期以後、江戸では京都形式の官女・随身を取り入れ、これに江戸式の五人囃子(ばやし)を加えたものを決まりの雛人形とした。 現在もこの形式にならい、内裏雛 (2人)・官女 (3人)・五人囃子 (5人)・随身 (2人)・衛士 (3人)の5種類を〈きまりもの〉「十五人揃い」としている

・鑑三忌(かんぞうき):3月28日、明治・大正・昭和初期のキリスト教の代表的指導者・伝道者内村鑑三(うちむらかんぞう)(1861年~1930年)の忌日

・雁風呂(がんぶろ):雁が北へ帰ったあと、海岸に落ちていた木片を拾い、それを薪にして焚いた風呂のこと。木片は雁が渡りの途中海上でで休む為に必要としたもので、残された木片は雁が死んだ数であるとして悼む心もある

・妓王忌(ぎおうき)/祗王忌(ぎおうき):陰暦2月14日。平清盛の寵愛をうけた白拍子祇王の忌日とされているが、明らかではない。清盛をめぐる仏御前との哀れをさそう物語は、「平家物語」の中に伝えられる。京都嵯峨にある祇王寺は、彼女らが仏に仕え住んだ所という。能にも「妓王」がある。 祇王寺パンフレットには、陰暦8月15日が忌日であるとし、法要とか行事はないという

・基角忌(きかくき):陰暦2月30日。江戸前期の俳人・宝井其角(1661年~1707年)の忌日。其角は14歳の頃、松尾芭蕉に入門し、23歳の時に俳諧撰集『虚栗』を編纂。以降、蕉門の筆頭として活躍した。伊達で豪放な人柄で、俳風は闊達壮麗

其角忌や 立並ぶべき 花もなし(松瀬青々)

・木彫雛(きぼりびな):木彫りの雛人形

・灸据え日(きゅうすえび):陰暦2月2日。「二日灸」を据える日

・京雛(きょうびな):京都で作られる雛人形。関東で作られる雛人形は「関東雛」という。
関東雛と京雛では、顔立ちに違いがあり、雛人形を飾る際の並べ方も、男雛(お殿様)と女雛(お姫様)の座る位置が左右反対である。

京雛

顔立ちの特徴として、関東雛は目が大きめで、口元がふっくらしており、優し気な表情をしているものが多い。
京雛は切れ長の目で、鼻筋が通っており、高貴で品のある表情をしているものが多く、鼻筋を中心に見ると見分けやすい。

男雛と女雛の座る位置は、関東雛では、向かって左に男雛、向かって右に女雛。京雛では、向かって右に男雛、向かって左に女雛

・享保雛(きょうほびな):江戸時代、八代将軍徳川吉宗の時代の「享保年間」に京都で生まれて各地に広まっていった雛人形

・漁夫来る(ぎょふくる):春先、ニシンの漁期が近づくと、網元に雇われて、北海道へ渡る漁夫のこと

・漁夫募る(ぎょふつのる):春先に鰊の漁期が近づくと、網元が漁夫を募ること

・平国祭(くにむけまつり):3月18日から23日の御出祭の別称

・訓読会(くんどくえ):陰暦2月日、京都市・大報恩寺での涅槃会の別称

・気多平国祭(けたへいこくさい):石川県羽咋市の気多神社の祭礼。3月17日の発輦祭に始まり、翌18日には神幸、23日に還幸と7日間にわたる祭礼である。 神幸は神馬を先頭に、神職、錦旗、太鼓、神輿、宮司など総勢50人が羽咋市内を回る。

・月斗忌(げっとき):3月17日。明治・大正・昭和期の俳人青木月斗(1879年~1949年)の忌日

・兼好忌(けんこうき):陰暦2月15日。僧侶で歌人、吉田兼好(1283年頃~1352年頃)の忌日とするが、諸説あり確定していない。南北朝時代の動乱の世を冷静に見据えた随筆「徒然草」の作者として著名。三十代で出家し兼好法師として親しまれている。また、歌道にも優れ二条派四天王の一人とされる

・元政忌(げんせいき):陰暦2月18日。江戸時代初期の日蓮宗を代表する高僧元政上人(1623年~1668年)の忌日。井伊家に仕えたが、26歳の時致仕して、出家し、33歳の時、洛南深草に称心庵を結んで隠棲した。法華経の研究にいそしんだほか、詩人文人としても一流であった。46歳で入寂

とひよりて 竹を叩くや 元政忌(松瀬青々)

・元禄雛(げんろくびな): 江戸時代初期~中期の元禄年間(1688年~1703年)に作られたもので、男雛の頭(かしら)は冠と一体の木彫りの雛人形

・光悦忌(こうえつき):陰暦2月3日。本阿弥光悦(1558年~1637年)の忌日。京都洛北鷹ヶ峰の地に、大虚庵(光悦寺)を結び、親族、芸術家、工芸職人等一門一党を率いて、いわゆる芸術家村を築いた。毎年2月3日に、京都市北区光悦寺にて法要が営まれる。11月に光悦忌茶会も行われる。

・皇霊祭(こうれいさい):春分の日に、天皇が宮中皇霊殿で歴代の天皇・后妃・皇親の霊を祭る行事。「春季皇霊祭」

・粉河雛(こかわびな):和歌山県粉河地方の雛人形の一種。色紙で男女二体の人形を作り、小さな土の首をつけたもの。三月の節供に飾ったあと、紀ノ川に流す。粉河流雛(こかわながしびな)

・告知祭(こくちさい):3月25日。「御告祭」の別称。カトリック教会で、聖母マリアの受胎告知を記念するための祝日。この日、大天使ガブリエルが処女マリアにキリストの受胎を告知したとされる

・古参(こさん):出替の以前から奉公人として勤めている者

・事始(ことはじめ):陰暦の12月8日の「事納(ことおさめ)」に対して、陰暦2月8日を「事始」という。おもに農事、祭事に対する事始であり、関東では魔除けのおまじないとして目笊というものを軒に掲げたりした

・事八日(ことようか):「事始」の日のこと。地域によっては事納を指すことや、事始・事納の両方を指すこともある

・五人囃(ごにんばやし):雛人形で、地謡・笛・小鼓・大鼓(おおつづみ)・太鼓の役をそれぞれ受け持つ五人を模した人形。雛壇の三段目に飾る

(3)さ行

・西行忌(さいぎょうき):陰暦2月15日、平安時代末期の僧侶・歌人の西行(さいぎょう)(1118年~1190年)の忌日

今日ばかり 花も時雨(しぐれ)よ 西行忌(井上井月)

西行忌 我に出家の 意(こころ)なし(松本たかし)

・犀星忌(さいせいき):3月26日。金沢市生まれの詩人・小説家の室生犀星(むろうさいせい)(1889年~1962年)の忌日。詩集「愛の詩集」「抒情小曲集」小説「幼年時代」「性に目覚める頃」句集「魚眠洞発句集」「犀星発句集」等を発表してあまりにも有名。十代の頃から句作を開始

・嵯峨御松明(さがおたいまつ):3月15日、京都市・清涼寺釈迦堂で行なわれる「嵯峨の柱炬」の別称

・嵯峨の柱炬(さがのはしらたいまつ):3月15日の夜、京都市嵯峨の清涼寺(釈迦堂)で行われる涅槃会(ねはんえ)の行事。大松明を焚(た)いて釈尊の荼毘(だび)のさまを再現するといわれる。

・座頭積塔(ざとうしゃくとう):陰暦2月16日、「積塔会(しゃくとうえ)」の行事

・去りし仏(さりしほとけ):陰暦2月15日の釈迦入滅のこと

・申祭(さるまつり):4月13日から15日の大津市・日吉神社での山王祭の別称

・三月場所(さんがつばしょ):三月に大阪で行われる大相撲春場所のこと

・三人使丁/三人仕丁(さんにんしちょう):雛人形 の 段飾り の 五段目 に 飾られる 三対の 人形のこと。 「使丁(仕丁)」とは、平安時代以降に貴族などのお世話をしていた人のこと。いわば「宮廷における雑用係」として、お内裏様のお供や庭の掃除などを担当していた。

一般に関東風の雛人形では、3人がそれぞれ台傘と沓台、立傘を持っており、京都風の雛人形では、箒と熊手、ちりとりを持っている。なお、単に、怒り上戸と泣き上戸、および笑い上戸の3人を指して「三人上戸(さんにんんじょうご)」と呼ぶ場合もある。

・讃仏会(さんぶつえ):「彼岸会(ひがんえ)」の別称

・四旬斎(しじゅんさい):「四旬節」の別称

・四旬祭(しじゅんさい):「四旬節」の別称

・四旬節(しじゅんせつ):復活祭の46日前の水曜日(灰の水曜日)に始まり、聖土曜日に終わる期間のこと。この間、食事の節制と祝宴の自粛がおこなわれ、償いの業がなされる。キリストの受難に思いをはせ祈り、断食、慈善の三点を通して悔い改める期間である

・積塔/石塔(しゃくとう):陰暦2月16日、「積塔会(しゃくとうえ)」の行事

・積塔会/石塔会(しゃくとうえ):陰暦2月16日、京都市高倉綾小路にあった清聚庵で、盲人の守護神雨夜皇子を祀った行事。当日、勾当が四条河原で石を積んで塔を組み、皇子の冥福を祈ったのでこういう。皇子は光孝天皇の弟で盲目の人康親王というが、定かでない。現在は途絶えている

積塔や 古風伝へし 膝と膝(三宅嘯山)

石を積む 雨夜の御子の 為とかや(松瀬青々)

・守護者祭(しゅごしゃさい):3月19日、聖ヨセフ祭の別称

・受胎告知日(じゅたいこくちび):3月25日、大天使ガブリエルがマリアにキリスト受胎を告知した日

・修二会(しゅにえ):二月から三月にかけて、二月堂を中心に東大寺で行われる行事。3月12日夜の籠松明と、翌未明のお水取は壮観である。お水取りを過ぎれば、古都奈良は本格的な春を迎える

・修二月会(しゅにがつえ):3月1日から14日、奈良・東大寺で行われる国家鎮護の祈願行事

・春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい):春分の日に、天皇が宮中皇霊殿で歴代の天皇・后妃・皇親の霊を祭る行事。

・春分の日(しゅんぶんのひ):「春分」は二十四節気の第四。太陽暦では3月20日頃が「春分の日」として祝日になり、彼岸の中日でもある

・丈草忌(じょうそうき):陰暦2月24日。尾張国犬山藩士で、蕉門の俳人の内藤丈草(1662年~1704)の忌日。「猿蓑」の跋文を記している。編著に「寝ころび草」追善集に「幻之庵」などがある。芭蕉没後は、芭蕉の墓を守ってすごした。元禄17年、43歳で没した

つれなきは 比良の雪なり 丈草忌(松瀬青々)

・浄配祭(じょうはいさい):3月19日、聖ヨセフ祭の別称

・常楽会(じょうらくえ):陰暦2月15日で、釈迦が入滅されたとする日。各寺院ではこの日、涅槃会と称する法要を営むが真言宗では一般に常楽会として修される。高野山では14日夜から15日にかけて行われている

・聖霊会(しょうりょうえ):聖徳太子の忌日に行われる法要。奈良の法隆寺では3月22日から三日間行われ、大阪の四天王寺は4月22日未明から、舞楽が奉納される。舞台の四隅には、紅紙で作った曼珠沙華を掲げるが、昔は住吉の浜の貝殻を付けた。よってこれを「貝の華」ともいう

そこを掃け かしこを拭へ 聖霊会(杏盧)

・植樹祭(しょくじゅさい):緑の週間に行なわれる一行事

・植樹式(しょくじゅしき):緑の週間に行なわれる一行事

・晋翁忌(しんおうき):陰暦2月20日、蕪門の俳人宝井其角(たからいきかく)(1661年~1707年)の忌日

・新参(しんざん):出替で、新しく奉公人として入ってくる者

・晋子忌(しんしき):陰暦2月20日、蕪門の俳人宝井其角(たからいきかく)(1661年~1707年)の忌日

・親王雛/新皇雛(しんのうびな):「内裏雛(だいりびな)」の別名で、お雛様の代表格。  御座所の左側に男性、右側に女性が並ぶのは近年になってからで、 古くは右側に男性、左側に女性となっていた。 男雛は右手に笏、腰に飾り刀を、女雛は十二単に緋扇を持ち、親王の姿をしているところから、親王雛と呼ばれる

・捨雛(すてびな):「流し雛」の別称。雛を流すことで一家の災厄を祓うという意義を持つ行事

・坐雛(すわりびな):三月の節供に飾る雛の一種。「立雛(たちびな)」に対していう

・聖灰祭(せいかいさい):「灰の水曜日」の別称。四旬節の初日にあたり、復活祭まで40日間の精進が続く。灰の水曜日という名前は、この日に司祭が灰で信者の額または頭に十 字の印をつけることによる。灰は人間の末路であり、しかも石鹸 の代用品として用いられてきたことから、浄化に繋がるともされる

・聖胎告知日(せいたいこくちび):3月25日の受胎告知日の別称

・清明祭(せいめいさい):陰暦三月に行なわれる沖縄の先祖祭

・清明参(せいめいまいり):陰暦三月の「清明祭」の別称

・聖ヨセフ祭(せいよせふさい)/聖ヨゼフ祭(せいよぜふさい):3月19日、キリストの養父であった聖ヨゼフが死亡した日とされる。ダビデの子孫とされる聖ヨゼフは大工であり、聖家族の保護者であった。なお三月を「ヨゼフの月」とし、また5月1日は「労働者聖ヨゼフの日」とする

・栴檀の煙(せんだんのけむり):釈迦が入滅した時、栴檀の香木をたいて荼毗(だび)に付したという故事から、荼毗の煙をいう。転じて、死をいう

・千本念仏(せんぼんねんぶつ):京都・引接寺で、春、境内の名木普賢象の桜の一枝を所司代に献じて、同時に、大念仏を修めた行事

千本大念仏(せんぼんだいねんぶつ):五月に京都市・引接寺(閻魔堂)で行われる狂言

・宗易忌(そうえきき):陰暦2月28日、安土桃山時代の茶人千利休(せんのりきゅう)(1522年~1591年)の忌日

・送水会(そうすいえ):「若狭のお水送り」に同じ。3月2日、福井県小浜市神宮寺の神仏習合の行事。若狭、遠敷川上流の鵜の瀬から、送水の祭文を誦し香水を川に注ぐ。これが奈良東大寺二月堂の若狭井に届くと、古来より言い伝えられてきた。 東大寺修二会(お水取)に汲まれる水である

・園神祭(そのかみまつり):「園韓神祭(そのからかみまつり)」のうちの園神の祭

・園韓神祭(そのからかみまつり):宮中行事の一つで平安京宮内省内に鎮座していた園神・韓神の例祭。二月春日祭の後の丑の日と、十一月新嘗祭の前の丑の日に行われる。神部二人が庭に賢木を立て庭火をたき、大臣は召使いをして歌人・神馬・鬘木綿などを召す。次に祝詞をあげ、笛、琴を奏し、歌舞を行うというもの

・園韓両神祭(そのからふたかみのまつり):「園韓神祭(そのからかみまつり)」の別称

(4)た行

・大斎始日(だいさいしび):「灰の水曜日」の別称

・大斎節(たいさいせつ):「四旬節」の別称

・太子会(たいしえ): 陰暦2月22日、聖徳太子の忌日。京都市右京区太秦の広隆寺で、太子の遺徳を偲んで行われた法会のこと。現在は行なわれていない。太子から賜った仏像を本尊として秦河勝が建立、この本尊が国宝第一号の弥勒菩薩である。太子堂には聖徳太子立像を安置する

・内裏雛(だいりびな):内裏様、親王雛ともいい、内裏(御所)の貴人の姿態、風俗を人形に仕立てたのでこの名がある。江戸時代、紙雛にかわって現れた衣装雛で、ほとんどが裂 (きれ)製の座り雛。

男雛は衣冠束帯 (いかんそくたい)、笏 (しゃく)を持ち、女雛は五衣 (いつつぎぬ)に緋袴 (ひばかま)姿、檜扇 (ひおうぎ)を持つのが普通で、雛段の最上段に飾る。衣装雛のほか、木目込製、土焼き製、練り物製などが郷土玩具 (がんぐ)として各地にある

・高尾山火渡り祭(たかおさんひわたりまつり):三月の第二日曜日、八王子市・高尾山薬王院で行なわれる荒行

・立雛(たちびな):立姿の雛人形。紙雛の類に多い。三月の雛飾りは、近世初期から中期までは、男女一対の立雛が普通であった

・団子撒き(だんごまき):陰暦2月15日、涅槃会に行なう団子撒き

・竹冷忌(ちくれいき)/聴雨窓忌(ちょううそうき):3月20日、明治・大正期の政治家・俳人角田竹冷(かくたちくれい)(1857年~1919年)の忌日

・重年(ちょうねん):「出替(でがわり)」のこと

・恒持祭(つねもちまつり):3月15日、秩父市の恒持神社で行われる祭礼

・鶴の林(つるのはやし)/鶴林(かくりん):陰暦2月15日の釈迦入滅の際、沙羅双樹の葉の色が白鶴のようになったことを指す

・出替/出代(でがわり):年季を終えた奉公人が交代すること。今で言う人事異動のようなもの。江戸では二月と八月、後に三月と九月に行われた

出替りや 幼心(おさなごころ)に ものあはれ(服部嵐雪)

出代りの 畳へ落す 涙かな(炭太祇)

出代や 春さめざめと 古葛籠(ふるつづら)(与謝蕪村)

・道明寺糒(どうみょうじほしいい):春の道明寺祭で売られた、道明寺の尼僧がつくった糒

祭る日もひまなき尼の 水粉かな(井原西鶴)

・道明寺祭(どうみょうじまつり):3月25日、大阪府藤井寺市、菅原道真ゆかりの尼寺道明寺と道明寺天満宮にて道真の忌日を修する行事。菜種色の団子を本尊十一面観音に供える。尼僧が厳寒のうちに作る糒を袋に入れて売る。道明寺糒は道明寺粉(どうみょうじこ)として有名

・泥打祭(どろうちまつり):3月28日、福岡県杷木町・阿蘇神社で行なわれる豊作祈願祭

(5)な行

・流し雛(ながしびな):三月三日の夕方、紙などで作った雛人形を川や海に流すこと。雛祭の元となった行事であり、紙の人形に穢れを託して流したことに始まる厄払いの行事である

流し雛 堰落つるとき 立ちにけり(鈴木花蓑)

明るくて まだ冷たくて 流し雛(森澄雄)

・浪花場所(なにわばしょ):三月に大阪で行われる大相撲春場所のこと

・二月堂の行(にがつどうのおこない):3月1日から14日、奈良・東大寺で行われる国家鎮護の祈願行事

・二月の別れ(にがつのわかれ):陰暦2月15日の釈迦入滅のこと

・寝釈迦(ねしゃか):陰暦2月15日の釈迦入滅のさまを描いたもの

寝釈迦

・涅槃会(ねはんえ):釈迦が沙羅双樹の下に入滅した日にちなむ法要。旧暦2月15日であるが、新暦の2月15日あるいは3月15日に執り行われる。各寺院では涅槃図を掲げ、釈迦の最後の説法を収めた「遺教経」を読誦する。参詣者には涅槃だんごなどがふるまわれる

涅槃会や 皺手合する 数珠の音(松尾芭蕉)

・涅槃絵(ねはんえ)/涅槃図(ねはんず)/涅槃像(ねはんぞう):陰暦2月15日の釈迦入滅のさまを描いたもの

・涅槃寺(ねはんでら):陰暦2月15日、涅槃会を行なっている寺

(6)は行

・灰の水曜日(はいのすいようび):四旬節の初日にあたり、復活祭まで40日間の精進が続く。灰の水曜日という名前は、この日に司祭が灰で信者の額または頭に十 字の印をつけることによる。灰は人間の末路であり、しかも石鹸 の代用品として用いられてきたことから、浄化に繋がるともされる

・柱松明(はしらたいまつ):3月15日、京都市・清涼寺釈迦堂で行なわれる「嵯峨の柱炬(さがのはしらたいまつ)」の別称

・初雛(はつびな):女の子が生まれて初めての三月の節句に雛人形を飾って祝うこと

・花会式(はなえしき/かえしき):3月30日〜4月5日、薬師寺花会式のこと

・春の灸(はるのきゅう):春の二日灸の別称

・春場所(はるばしょ):三月、大阪で行われる大相撲の本場所。エディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館)で行われる。近年は、横綱、大関が多く負ける、「荒れる春場所」としても知られている

・日送り(ひおくり):彼岸の中日、または彼岸の中の一日をえらんで行なう巡拝の行事、午後には西に向かって歩くこと

・彼岸会(ひがんえ):中日をはさんで前後7日間を彼岸といい、この間寺院で行われる法要(法会)のこと。寺院に参詣し、墓参などの仏事を行う。俳句では特に春についていう。

彼岸会の始まりは諸説あり、平安貴族の間でもこの行事が行われていたことが「蜻蛉日記」や「源氏物語記されているいる。彼岸はサンスクリット語で悟りの世界を意味し、われわれの住んでいる煩悩の世界(「此岸(しがん)」)から、迷いのない彼岸へ到ることを願う法会といえる。聖徳太子の頃から行なわれてきた日本固有の行事

・彼岸団子(ひがんだんご):彼岸に仏前に供える団子

・彼岸寺(ひがんでら):彼岸会の行なわれる寺

・彼岸参(ひがんまいり):彼岸の墓参り

信濃路は 雪間を彼岸 参りかな(横井也有)

・彼岸道(ひがんみち):彼岸の墓参りに行く道

・彼岸詣(ひがんもうで):彼岸に行なう拝巡行事

・彼岸餅(ひがんもち):彼岸に食べるぼた餅

・雛遊び(ひなあそび):雛には小さいという意味があり、小さな人形で女子があそぶことをいう。三月三日に限ったことではなかったが、中国から伝わった上巳の風習と結びつくことで、雛祭へ発展していった。単に雛を飾って、女子の幸福を願うこともまた今日の雛遊びである

乳母去(い)なす 今年ばかりや 雛遊び(森川許六)

・雛荒し(ひなあらし):岡山や徳島で、雛祭りに男女の子供が群をなして炒り豆などをもらい歩くこと

・雛合(ひなあわせ):貴族の暮らしをまねる遊びで、雛人形を比べ合うこと

・雛市(ひないち):雛人形や雛道具を売る市。江戸時代のころは、往来に小屋を作って雛市が立ち、雛や雛の調度品を求める多くの人でにぎわった

店へ出る 雛(ひいな)に桃の つぼみかな(横井也有)

雛見世の 灯を引(ひく)ころや 春の雨(与謝蕪村)

掌(てのひら)に 飾(かざっ)て見るや 雛の市(小林一茶)

・雛売場(ひなうりば):三月三日の雛祭りの前に雛人形や調度を売る市

・雛送り(ひなおくり):「雛流し」の別称

・雛納め(ひなおさめ):雛祭の終わった後、雛人形をしまうこと。雛の顔を柔らかな和紙 で包み、細々とした道具ともども元の箱に納める。華やかな雛祭 が終わる淋しさもあり、再び箱の中にもどる雛の姿にはものの哀 れが漂う

・雛菓子(ひながし):雛壇に供える菓子

・雛段(ひなだん):雛祭りに雛人形やその調度をならべる壇

・雛葛籠(ひなつづら):雛人形をいれる箱

・雛流し(ひなながし):三月三日の夕方、紙などで作った雛人形を川や海に流すこと。雛祭の元となった行事であり、紙の人形に穢れを託して流したことに始まる厄払いの行事である

・雛の宴(ひなのえん):雛祭に行なわれる宴会

・雛の貝(ひなのかい):雛祭に蛤・浅蜊・貽貝などを調理して供えるもの

・雛の駕籠(ひなのかご):江戸時代の中頃、3月3日の節句の頃、雛人形を小さな駕籠にのせ、親類へ送った習慣

・雛の客(ひなのきゃく):雛祭にきた客

・雛の酒(ひなのさけ):雛飾の一つで、通常白酒を供える

・雛の燭(ひなのしょく):雛壇の燭・雪洞(ぼんぼり)

・雛の膳(ひなのぜん):雛飾りの一つ。「菱台(ひしだい)」「懸盤膳(かけばんぜん)」

などがある。「懸盤膳」とは、雛人形の四段目に菱台とともに飾られるもので、高級なお膳の型で、平椀(おひら)・腰高(高坏・たかつき)・湯桶(ゆとう)・飯櫃(めしびつ)がついている

・雛の調度(ひなのちょうど):雛段に並べる調度

・雛の使(ひなのつかい):江戸時代の風習。駕篭に雛人形、草餅の入った器、白酒詰めた樽などを乗せ、それを振舞うために親戚や知人を回ること。女児が成人して嫁入りするさいの稽古のような意味も兼ねていた

春風に こかすな雛の 駕篭の衆(辻荻子)

・雛の日(ひなのひ):3月3日。女の子の健やかな成長を願うお祭。雛人形を飾り、白酒や雛あられをふるまって祝う

・雛の櫃(ひなのひつ):雛人形をいれる箱

・雛の間(ひなのま):雛人形の飾ってある部屋

雛の間に とられてくらき ほとけかな(加藤暁台)

・雛の宿(ひなのやど):雛祭の行なわれる家

・雛箱(ひなばこ):雛人形をいれる箱

・雛祭(ひなまつり):3月3日、女の子の健やかな成長を願うお祭。雛人形を飾り、白酒や雛あられをふるまって祝う

雛祭は、人のけがれを移した人形(ひとがた)を川に流すという上巳の日の祓の行事と、雛遊びの風習が結びついたものとされる。室町時代になると中国から新しい人形技術が伝わり現在のすわり雛の原型ができた。江戸時代に入ると、幕府や大奥でも雛祭りを行うようになり、やがて武士階級から町人へと広まった。男児の端午と並んで雛祭が盛んになったのは元禄のころとされる

草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家(松尾芭蕉)

とぼし灯の 用意や雛の 台所(加賀千代女)

桃ありて ますます白し 雛の殿(炭太祇)

箱を出る 皃(かお)わすれめや 雛二對(与謝蕪村)

綿とりて ねびまさりけり 雛の顔(宝井其角)

雛飾る 手の数珠しばし はづしおき(瀬戸内寂聴)

笛吹ける おとがひほそき 雛(ひいな)かな(篠原鳳作)

・雛見世(ひなみせ):3月3日の雛祭りの前に雛人形や調度を売る市

・雛椀(ひなわん):雛祭に使う椀

・日の伴(ひのとも):丹後地方で彼岸の中日、または社日に行なう巡拝の行事のこと

・火振り祭(ひぶりまつり):3月16日、熊本県一の宮町・阿蘇神社で行われる祭礼

・日迎え(ひむかえ):彼岸の中日に、東のほうにある寺を巡拝すること。午前中は日迎であるが、午後からは日送といって、西のほうへ歩いて巡拝した

・百五節(ひゃくごせつ):「寒食節」の別称

・比良八講(ひらはっこう):昔、近江の白髭神社で比叡山の衆徒が行ったという、法華八講の略称。現在は3月22日、滋賀県大津市の本福寺を集合場所として、高僧の講義や延暦寺僧衆による湖上安全祈願が営まれる。 この法要の頃、比良山からの強風で湖上が荒れる。これを「比良八荒」と呼ぶ

・二日灸(ふつかきゅう):陰暦2月2日に灸をすえると効能が倍になるとか、無病息災で暮らせるという俗信がある。陰暦8月2日にも同じ風習があり、「二日灸」と云う。俳句では二月の方が主である。農事の始まる前の疫病除け

かくれ家や 猫にもすゑる 二日灸(小林一茶)

死はいやぞ 其きさらぎの 二日灸(正岡子規)

撫肩の さびしかりけり 二日灸(日野草城)

・古雛(ふるびな):古い雛人形

古雛や むかしの人の 袖几帳(与謝蕪村)

・帆手祭(ほてまつり):3月10日、塩釜市・塩竈神社で行われる祭礼。神輿巡行で有名

・仏の別れ(ほとけのわかれ):陰暦2月15日の釈迦入滅のこと

(7)ま行

・摩耶昆布(まやこんぶ):摩耶詣で売られる昆布

・摩耶参(まやまいり)/摩耶詣(まやもうで):神戸市灘区の摩耶山利天上寺へ陰暦2月初午の日に参詣すること。「摩耶」の語音が「馬」に通じるためか、昔は近在の農家が馬を曳いて参った。現代は、三月春分の日、糸に通した昆布が土 産に売られ、これを摩耶昆布という。

心行く 馬のかざりや 摩耶参(松根東洋城)

菜の花の 夜目に白さや 摩耶詣(飯田蛇笏)

・水取(みずとり):奈良東大寺二月堂における修二会の行の一つ。3月12日深夜、堂近くの閼伽井(あかい)から香水を汲み本尊の十一面観音に供える。この水は、天平時代より遠敷明神が若狭から送り届けるという時空を超えた霊水。これを中心に堂内外ではさまざまな祈の行法がある。これが終わると奈良に本格的な春が訪れる

・緑の週間(みどりのしゅうかん):4月1日から一週間(地方によっては月が違う)、国土緑化を目的として1950年(昭和25年)から始まった行事。

国民の祝日「みどりの日」を最終日とする一週間。緑豊かな自然を守り発展させるため、緑の羽根募金が呼びかけられたり、全国各地で植樹祭などが行われる

・緑の羽根(みどりのはね):緑の週間に行なわれる募金

・むしつ汁(むしつじる):「お事汁」のこと。2月8日の事始の日に作った味噌汁

・室町雛(むろまちびな):「座り雛」が史上初めて登場したのが、室町時代の「室町雛」。この室町雛は、江戸時代に創られたものとの説もある。

それまで、雛人形と言えば、「立ち雛」だけで、「座り雛」は無かった

・餅花煎(もちばないり):陰暦2月15日、涅槃会に供物とする霰のように切った煎り餅花

・桃の酒(もものさけ):桃の花を浸した酒。これを桃の節句に飲めば、百病を除き、顔の色艶がよくなるといわれる

ぬれつつぞ しひてもりこぼす 桃の酒(西山宗因)

薄赤き 顔並びけり 桃の酒(正岡子規)

(8)や行

・やいと日(やいとび):陰暦2月2日。二日灸を据える日

・薬師寺造華会(やくしじぞうかえ):「薬師寺花会式」のこと

・薬師寺花会式(やくしじはなえしき):3月30日から4月5日まで、奈良薬師寺で行われる修二会の異称。堀川天皇が、皇后の病気平癒を薬師如来に祈願し、霊験のあったお礼に、宮中から造花十二瓶を献じたのが始まり。期間中、薬師悔過の行法が営まれる。結願の夜は、鬼走りの儀式も行われるかたどった

・矢大臣(やだいじん):「矢大臣」をかたどった雛人形。「矢大臣」とは、 神社の随身門の左右に安置されている、随身の装束をした2神像のうち、向かって左方の弓矢をもっている神像。

・山田の春祭(やまだのはるまつり):3月15日の「恒持祭」の別称

・ヤンシュ来る(やんしゅくる):春先に鰊の漁期が近づくと、網元に雇われて漁夫が北海道へ渡ってくること

・遺敎会(ゆいきょうえ)/遺敎経会(ゆいきょうぎょうえ):陰暦2月15日、京都市・大報恩寺での涅槃会の別称

・譲り雛(ゆずりびな):譲り受ける雛人形

(9)ら行

・利休忌/利久忌(りきゅうき):陰暦2月28日。千利休(1522年~1591)の忌日。利休は堺の商家の生まれ。信長、秀吉に仕えた。禁中茶会にて正親町天皇に茶を献じたこともある。晩年には茶道の基となる「わび茶」を完成させた。秀吉に 理不尽なる切腹を賜った

・緑化週間(りょっかしゅうかん):「緑の週間」のこと

・冷烟節(れいえんせつ):「寒食節」の別称

・六阿弥陀(ろくあみだ)/六阿弥陀参(ろくあみだまいり)/六阿弥陀詣(ろくあみだもうで):春の彼岸のうちの一日に、六か所の阿弥陀如来を参詣する行事。春と秋の彼岸の期間に、阿弥陀像をまつってある江戸府内の六個 所の寺を巡り歩くというもの。庶民の行楽もかねていた。六体の阿弥陀仏は、熊野から流れついた一本の霊木を、行基上人が六体に彫り上げたとされる

(10)わ行

・若狭のお水送り(わかさのおみずおくり):3月2日、福井県小浜市神宮寺の神仏習合の行事。若狭、遠敷川上流の鵜の瀬から、送水の祭文を誦し香水を川に注ぐ。これが奈良東大寺二月堂の若狭井に届くと、古来より言い伝えられてきた。 東大寺修二会(お水取)に汲まれる水である

・渡り漁夫(わたりぎょふ):鰊が大量に獲れた頃、鰊漁が始まる前に北海道に渡る雇われ漁師。東北地方の農民が多く、夏が来て漁期が終れば「漁夫帰る」といって、又本州に戻ってゆく