二十四節気の季節感溢れる季語と俳句 初冬:立冬・小雪(その4)行事

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小雪

前回まで、「ホトトギス派の俳人」16人(「ホトトギス派の俳人(その16)杉田久女:虚子との確執で有名な悲運の女流俳人」など)と「ホトトギス派以外の俳人」14人(「ホトトギス派以外の俳人(その14)長谷川かな女:大正期を代表する女流俳人」など)を紹介する記事を書いてきました。

ホトトギス派は、「客観写生」「花鳥諷詠」「有季定型(季語のある定型俳句)」を旨としましたが、それに飽き足りない俳人たちが、「無季俳句」や「自由律俳句」などを標榜する「新興俳句運動」を起こしました。

私は、「新興俳句運動」を全否定するつもりはなく、それなりの歴史的意義はあったと思います。しかし、私はやはり季節感溢れる「季語」を詠み込んだ「定型俳句」に魅力を感じます。

そこには、現代の私たちの生活から失われつつある(一部はほとんど失われた)季節感が溢れており、「懐かしい日本の原風景」を見るような気がします。

そこで今回から、「二十四節気」に沿って季節感あふれる「季語」と俳句をご紹介していきたいと思います。

なお、前に「季語の季節と二十四節気、旧暦・新暦の季節感の違い」という記事も書いていますので、ぜひご覧下さい。

季語の季節対比表

二十四節気図

「冬」は旧暦10月~12月にあたり、「初冬」(立冬・小雪)、「仲冬」(大雪・冬至)、「晩冬」(小寒・大寒)に分かれます。

今回は「初冬」(立冬・小雪)の季語と俳句をご紹介します。

・立冬(りっとう):新暦11月7日頃です。「十月節」 冬の気配が感じられます。

・小雪(しょうせつ):新暦11月22日頃です。「十月中」 寒くなって雨が雪になります。

5.行事

(1)あ行

・亜浪忌(あろうき):俳人の臼田亜浪(1879年~1951年の忌日で、陰暦11月11日。明治12年に長野県の小諸に生まれ、大正4年に「石楠」を創刊した。『定本亜浪句集』などの著書がある。

・勇忌(いさむき):11月19日、明治・大正・昭和期の歌人吉井勇(1886年~1960年)の忌日

・出雲大社新嘗祭(いずもおおやしろにいなめさい):例年11月23日に出雲大社で行われる古伝新嘗祭のこと。出雲の国造がその年の新穀を神前に供え、自らも口にし、天下泰平、五穀豊穣を祈念する出雲大社の最も重要な祭儀

・一の酉(いちのとり):11月の最初の酉の日。また、その日に開かれる鷲 (おおとり) 神社の祭礼。酉の市。初酉 (はつとり)

灯の渦を ぬければ星夜 一の酉(柴田白葉女)

・一葉忌(いちようき):明治の小説家・樋口一葉(1872年~1896年)の忌日、11月23日。本名は奈津、東京生まれ。一家を支えるため実生活は 困窮を極めたが「にごりえ」「十三夜」「たけくらべ」などの傑作を次々に発表。肺結核のため24歳で死去

・厳島鎮座祭(いつくしまちんざさい):広島県宮島の厳島神社の祭礼。12月初の申の日に行われ、厳島神社の祭神が鎮座されたことを寿ぐ。かっては、陰暦10月末の亥の日より11月はじめの申の日まで、大声を出したり、物を鳴らしたりすることを禁じられた、厳かな祭礼であったという

・稲荷の御火焚(いなりのおほたき):御火焚に同じ

・亥の神祭(いのかみまつり):旧暦10月の亥の子の日に田の神をまつる行事

・亥の子(いのこ):旧暦10月の亥の日の亥の刻には亥の子餅を食べ、無病息災が願われてきた。その歴史は古く、平安時代には行事食とされ、『源氏物語』にも登場する。

江戸時代には各地に広まり、猪が多産であることから、豊年や子孫繁栄を願う意味も込められるようになった。猪が火伏の神の愛宕神社のつかいであることから、11月の亥の日には炬燵や火鉢を出す習慣があり、茶の湯の世界でも、炉開きの菓子として亥の子餅を用意することがある。時代や階層によって、色かたちもさまざまな亥の子餅が作られてきたが、現在ではおはぎのような餡ころ餅が多い

亥の子餅亥の子餅

しら箸の 夜のちぎりや 亥の子餅(西山宗因)

亥猪(いのこ)とや 祖父(おおじ)のうたふ 枝折萩(しおりはぎ)(宝井其角)

洗菜に 朝日の寒き 豕子(いのこ)かな(椎本惟然)

いの子とも しらで餅屋に 旅寝かな(野沢凡兆)

人の来て 言ねばしらぬ 猪子哉(炭 太祗)

故郷の 大根うまき 亥子かな(正岡子規)

亥の子餅 いづこの神か 知らねども(長谷川櫂)

・亥の子石(いのこいし):亥の子に行なわれる子供の遊びで、石に多くの縄をつけ家々の門口をついたりした

・亥の子突(いのこづき):陰暦10月の亥の日に、子供たちが石やわら束で地面を打ってまわる行事

・亥の子餅(いのこもち):亥の子の日に新穀で作る餅

山茶花 (さざんか) の 紅つきまぜよ 亥の子餅(杉田久女)

・亥の日祭(いのひまつり):陰暦10月初亥の行事で、餅をついて祝う風習

・射場始(いばはじめ):嘗て陰暦10月5日頃、宮中弓場殿(ゆばどの)において、天皇が公卿以下群臣の賭射(かけゆみ)を観覧した宮廷行事。家々によってその装いに工夫を凝らしたという。興にのった天子が自ら弓を射た、というような古い記述もうかがわれる

・夷講/恵比寿講(えびすこう):陰暦10月20日に恵比須を祭る行事。商売繁盛を祈願して、親類・知人を招いて宴を開く。関西などでは正月10日(十日恵比須)とし、また11月20日に行う地方もある

振売(ふりうり)の雁(がん)あはれなり えびす講(松尾芭蕉)

・夷子祭/恵比須祭(えびすまつり):陰暦10月20日、各地で行われる祭。恵比須神を祭り商売繁盛を祝う行事。陽暦で行うところも多い

・御忌祭(おいみまつり):島根県松江市鹿島町佐陀宮内にある佐太神社で、11月20日の夕方から25日の夜半(古くは陰暦10月11日から25日まで)に行なう祭。神無月に出雲に集まった諸国の神々をまつるもの。古くは、祭の期間中に出雲国内の他社の神事をすべて停止し、神職以下は厳重な物忌みに服したところからいう。

・大嘗祭(おおにえまつり/おおなめまつり/だいじょうさい):天皇が皇位継承に際して行う宮中祭祀であり、皇室行事。

新天皇が即位(現代では国事行為となる即位の礼の各儀式が終了)した後に新穀を神々に供え、自身もそれを食する。その意義は、大嘗宮において、国家、国民のために、その安寧、五穀豊穣を皇祖天照大神及び天神地祇に感謝し、また祈念することである

・おかめ市(おかめいち):熊手市のこと

・翁忌(おきなき):(「翁」は松尾芭蕉をさす)松尾芭蕉の忌日、陰暦10月12日。芭蕉忌。桃青忌。時雨忌。おきなの日

去来ここに 丈草そこに 翁の忌(長谷川櫂)

・翁の日(おきなのひ):芭蕉忌に同じ

障子まで 来る蠅もあり 翁の日(加藤暁台)

・御燈消(おしめし):厳島鎮座祭の最終日の申の日に、神社の灯が全て消され、点灯されるまでの間、おごそかな神事が進められたこと

・御十夜(おじゅうや): (「お」は接頭語) 浄土宗の寺で陰暦10月15日の夜を最後として、十昼夜にわたって行なわれる念仏を主とした法要

・お酉さま(おとりさま):酉 の市 (とりのいち) のこと。毎年11月の酉の日に、各地の鷲(おおとり)神社で行なわれる「酉の市」をいう尊敬語。一の酉、二の酉、三の酉といい、三の酉まである年は火事が多いという俗説がある。今日では鷲神社に限らず行なわれる

・御成切(おなりきり):亥 (い) の子の日に、宮中、のちには幕府から臣下に賜った亥の子餅 。碁石ほどの大きさに丸めて平たくしたもの

・おひたき:御火焚に同じ

・御火焚(おほたき):11月中、京都伏見稲荷大社はじめ多くの社寺が行う新穀感謝の祭事。神前に五穀・果物・餅・酒等を供え、庭に割木を組み竹を立てて火を起す。火が燃え盛れば、竹に神酒を注ぐ。その後、供物を参詣人や氏子に分けて、共に五穀豊穣を祝う

稲荷の御火焚

お火焼や 塵にまじはる 箒の神(椎本才麿)

御火焼や 風雅と呼ばる 友ほしゝ(天野桃隣)

御火焚や 霜うつくしき 京の町(与謝蕪村)

御火焚や 鎌倉山は 星月夜(田川鳳朗)

御火焚や 蜜柑ころがる 潦(にわたずみ)(中川四明)

(2)か行

・案山子揚(かがしあげ):陰暦10月10日に長野県や山梨県などで行われる行事。案山子はもともと山から降りてきた田の神と考えられていた。田の神が山へ帰るこの日、田から案山子を引き上げ、餅や大根を供えて感謝するというもの

・下元(かげん):三元の一つ。陰暦10月15日の称

・下元の節(かげんのせつ):陰暦10月15日のこと。中国から伝わった三元の一つ。正月15日の上元、7月15日の中元に対し、この日が下元である。わが国に今も定着しているのは「中元」のみといえる

・鍛冶祭(かじまつり):鞴祭(ふいごまつり)のこと

・かにかく忌(かにかくき):11月19日、明治・大正・昭和期の歌人吉井勇(1886年~1960年)の忌日

・神在(かみあり):神無月に諸国から出雲に神々が集まっていること

・神在祭(かみありまつり):陰暦10月、氏神、鎮守神はじめ全国の諸神が出雲に集まり、縁結び、諸事が神議される。出雲ではこの月を「神在月」と呼び、出雲大社や佐太神社では、11月11日から17日まで神在祭が行われる

・神送り(かみおくり):陰暦の9月30日に各地の神々は出雲へ旅たつ。その神々を送り出すことをいう。神棚にお供えをしたり、地方によっては参詣して送ったりする

けふはさぞ 道づれ多き 神おくり(松江重頼)

あるる物と しれどたふとし 神送(上島鬼貫)

風の駒 雲の車や 神送り(椎本才麿)

飛ぶ木の葉 いづこいかなる 神送り(溝口素丸)

神を送る 峰又峰の 尽るなき(石井露月)

・神還り(かみかえり):陰暦11月1日をいう。八百万神が出雲大社から帰られるとされた

・神立(かみたち):全国の八百万の神々が出雲に集まるため10月1日に旅立つという俗信

・神集い(かみつどい):神々が集まること。陰暦10月に神々が出雲大社に集まること

・神の旅(かみのたび):陰暦十月、諸国の神々が出雲大社へ集まるために旅立つこと。男女の縁を結び給うために集まるという。相談を終えた神々は十月晦日にそれぞれの国に帰る。もともとあった田の神が秋の収穫をもたらしたのちに山に帰るという信仰と、出雲信仰が結びついたとされる

都出て 神も旅寝の 日数哉(松尾芭蕉)

旅じたく 神の御身を せはしなや(小林一茶)

凩に 葉守の神も 旅出哉(岩間北冥)

かつらぎの 神もおたちか 小夜しぐれ(沢 露川)

・神の留守(かみのるす):陰暦10月は神無月と呼ばれ、全国の八百万の神様がこぞって出雲大社に集まる。神が留守となった神社の氏子たちは不安を覚え、恵比寿様などを留守神として祀る。信心の厚さゆえか、「神の旅」「神送」「神迎」、神が集まる出雲は逆に「神在祭」など類似の季語も多い

留主のまに 荒れたる神の 落葉かな(松尾芭蕉)

何人の いひひろげてや 神の留主(立花北枝)

開山忌 となりは留主の いなり山(浪化)

なら山の 神の御留主に 鹿の恋(小林一茶)

うつせみの 羽衣の宮や 神の留守(正岡子規)

神の留守 立山雪を つけにけり(前田普羅)

通ひ路の 一礼し行く 神も留守(松本たかし)

・神迎え(かみむかえ):出雲大社へ参集していた神々が会議を終えてもとの社へお帰りになる。それを迎える祭事、行事。陰暦10月末か11月1日とするところが多い。田の神が冬の間は山に帰るとする古い信仰が原型といわれる

水浴びて 並ぶ烏(からす)や 神迎へ(小林一茶)

暗(やみ)に踏む 木の葉かわくや 神むかへ(志太野坡)

神迎 水口だちか 馬の鈴(濱田酒堂)

・神等去出神事(からさでのしんじ):陰暦10月に出雲にお迎えした神々を諸国に送り出す神事。出雲大社では陰暦10月17日の夕方に行う。佐太神社では陽暦11月25日夜に、舟に見立てた割枝に神々を乗せて送り出す

・感謝祭(かんしゃさい):11月最後の木曜日。米国の祝祭日。(カナダは10月第2月曜日) 日本の教会でも、11月最後の日曜日に感謝祭を行い、穀物、果物を飾る。清教徒たちが北米の地で、収穫の喜びを記念して神への感謝の日としたのが始めである。七面鳥やカボチャが料理の定番になっている

・吉祥院八講(きっしょういんはっこう):京都市南区にあった寺吉祥院で行われた法会。法華経八巻を朝座、夕座に一巻ずつ四日間読誦、供養する法会で、詩歌、管弦、連歌 等盛んに行われた。現在は廃絶した

・吉祥院法華会(きっしょういんほっけえ):吉祥院八講の平安時代の呼び方

・几董忌(きとうき):陰暦10月23日。高井几董(1741年~1789年)の忌日。蕪村に師事し、蕪村没後に「蕪村句集」を編む。句集に「井華集」など

・九州場所(きゅうしゅうばしょ):毎年11月に福岡市で行われる年納めの大相撲本場所のこと。九州巡業、名古屋巡業がそれぞれ昭和32年、33年に昇格し た。現在は、東京の初、夏、秋場所、大阪の春場所、名古屋(7月)場所を含む六場所制である

・勤労感謝の日(きんろうかんしゃのひ):11月23日。働くことを喜び働く人に感謝する戦後制定された国民の祝日である

・熊手(くまで):酉の市で売られる縁起物である。幸運や金運を掻き集めるという意味から商売繁盛の縁起物とされる。おかめや鯛、米俵、宝船など、縁起のよいものが飾り付けらる

熊手

・熊手市(くまでいち):酉の市で熊手をうる露店がたちならぶことから

・倉入り(くらいり):日本酒を醸造する寒冷の時期に、酒造家によばれて、農村から職人が出稼ぎに来ることをいう

・厳祥(げんしょう):内蔵寮より亥の子餅を奉られることをいう

・玄猪(げんちょ):陰暦10月の亥の日。この日の亥の刻に新穀でついた餠を食べて、その年の収穫を祝ったものといわれる。厳重(げんちょう)

・紅燈忌(こうとうき):11月19日、明治・大正・昭和期の歌人吉井勇(1886年~1960年)の忌日

・興福寺法華会(こうふくじほっけえ):陰暦10月6日、奈良興福寺の南円堂での法華経を講讃する法会。南円堂を建立した藤原冬嗣の父内麻呂の忌日にあたる

・興福寺維摩会(こうふくじゆいまえ):興福寺で陰暦10月10日から16日までの7日間行われた維摩経を講ずる法会。藤原鎌足が山科陶原の自分の屋敷を、山階寺(やましなでら)とし、そこで維摩経を講じたのが始まりとされる。維摩会に御斎会、最勝会を加えて、興福寺三会とされる

・国師忌(こくしき):陰暦10月16日、鎌倉時代の僧で東福寺開山の聖一国師円爾弁円(1202年~1280年)の忌日

国師忌や 通天橋に 雲わたる(三宅嘯山)

・御厳重(ごげんじゅう):内蔵寮より奉られた亥の子餅のこと

・渾斎忌(こんさいき):11月21日、大正・昭和期の歌人会津八一(1881年~1956年)の忌日

(3)さ行

・ザビエルの祝日(ざびえるのいわいび):12月3日。フランシスコ・ザビエル(1506年~1552年)が永眠した日でカトリックの祝日

・三の酉(さんのとり):11月に酉の日が3回あるとき、その3回目の酉の日。11月の第三の酉の日に開かれる酉の市

たかだかと あはれは三の 酉の月(久保田万太郎)

・時雨忌(しぐれき):芭蕉忌に同じ

時雨忌の 人居る窓の あかりかな(前田普羅)

・慈眼忌(じげんき):陰暦10月2日、江戸時代前期の僧で寛永寺開山の慈眼大師天海(1536年?~1643年)の忌日

・慈眼大師忌(じげんだいしき):慈眼忌に同じ

・時宗歳末別時(じしゅうさいまつべつじ):時宗の三大法会の一つ。神奈川県藤沢市の遊行寺で行われる念仏修行で、11月18日から30日まで行われる。27日の夜には、堂内の燈火を消す「御滅灯」の式、つまり「一つ火」の儀式が行われ、人々は一年間の罪業を懺悔して心身ともに清らかにになって新しい年を迎えることになる。念仏のありがたさを知る修行である

・七五三(しちごさん):11月15日、男児の数え3歳と5歳、女児の3歳と7歳が神社に詣でて祝う行事。紋付や袴姿の男の子、髪を結い上げて飾りつけた女の子が参拝する姿は微笑ましい。千歳飴を引き摺る子、抱かれて帰る子とさまざま

七五三

・七五三祝(しめいわい):七五三に同じ

・惜命忌(しゃくみょうき):11月21日、昭和期の俳人石田波郷(1913年~1969年)の忌日

・収穫感謝祭(しゅうかくかんしゃさい):11月最後の木曜日に収穫を感謝して行なう祭り

・秋艸忌(しゅうそうき):11月21日、大正・昭和期の歌人会津八一(1881年~1956年)の忌日

・十夜(じゅうや):陰暦10月5日夜から15日朝まで、浄土宗の寺で十昼夜にわたって行う念仏法要。平貞経・貞国親子が京都の真如堂に参籠して夢想を得たことに始まるという。多くの信徒が参詣する。十日粥とは夜半、参詣者に給する粥のこと

夜念仏 他念もあらぬ 十夜かな(北村季吟)

下京の 果の果にも 十夜かな(森川許六)

冴えそむる 鐘ぞ十夜の 場(には)の月(杉山杉風)

夜あるきの 子に門で逢ふ 十夜かな(炭 太祇)

油燈(ゆうとう)の 人にしたしき 十夜かな(与謝蕪村)

樒売(しきみうり) 家も十夜の ともしかな(加舎白雄)

門前の 家は寝てゐる 十夜かな(江森月居)

月影や 外は十夜の 人通り(正岡子規)

きざはしを 十夜の嫗(おうな) 這ひのぼる(長谷川櫂)

・十夜柿(じゅうやがき):十一月上~中旬に行われる十夜の法会のとき道筋の露店で売られる柿

・十夜鉦(じゅうやがね):十夜の法要で鳴らす鉦

・十夜粥(じゅうやがゆ):十夜法要の際、参詣者にふるまう、仏前に供えられた新穀で作った粥

・十夜僧(じゅうやそう):十夜の法要を行なっている僧

・十夜寺(じゅうやでら):十夜の法要の行なわれている寺

・十夜婆(じゅうやばば):十夜の法要を行なっている婆

・十夜法要(じゅうやほうよう】):十夜に同じ

・聖一忌(しょういちき):陰暦10月16日、鎌倉時代の僧で東福寺開山の聖一国師円爾弁円(1202年~1280年)の忌日

聖一忌 仏祖不伝と 残されし(三宅嘯山)

雲起る 紅葉の上や 聖一忌(松瀬青々)

・浄名会(じょうみょうえ):10月16日の藤原鎌足の忌辰のために、奈良の興福寺で7日間維摩経を講義した法会

・少林忌(しょうりんき):陰暦10月5日、禅宗の祖達磨大師の忌日。中国の少林寺で修行したため、この名称がある

・初祖忌(しょそき):少林忌に同じ

・尻摘祭(しりつみまつり):静岡県伊東市の音無神社の祭礼。11月10日に行われる。当日は社殿の灯をすべて消し、話しをすることも禁じられる。暗闇の中、御神酒を廻すときに、お尻を摘まんで合図をすることからこの名がついた。参拝客が授かる、種が入っているみかんを食べると子宝に恵まれるといわれる

・新嘗会(しんじょうえ):新嘗祭の別称

・新嘗祭(しんじょうさい/にいなめのまつり):かつては陰暦11月の中の卯の日、近時は11月23日に行われ、 1947年まではこの呼称の祝日であった。天皇がその年の新穀 (栗と稲)を神に捧げ、親しくこれを食す儀式。即位後初めての場合は大嘗祭(だいじょうさい)となる

・神農祭(しんのうさい/しんのうまつり):神農は、中国の伝説上の帝王のこと。民に耕作を教え、医薬を作ったとされる。大阪市中央区の道修町にある神農は少彦名命を祀ったもので、神農さんと呼ばれている。神農祭はその少彦名神社の例祭で、11月22、23の両日に行われる

神農祭

・神農さん(しんのうさん):神農祭に同じ

・聖ザビエル祭(せいざびえるさい):12月3日、フランシスコ・ザビエル(1506年~1552年)が永眠し日である。ザビエルは日本最初の宣教者で、日本の守護の聖人とされる。東洋で布教活動し、1552年中国で没した

・聖ザビエルの日(せいざびえるのひ):12月3日。フランシスコ・ザビエル(1506年~1552年)が永眠した日でカトリックの祝日

・宗鑑忌(そうかんき):室町後期の俳人山崎宗鑑の忌日。陰暦10月2日。俳諧の始祖とされる。『犬筑波集』を編み、談林俳諧に大きな影響を与えた。讃岐で没したとされているが没年、忌日なども明らかになっていない

・そめの年取り(そめのとしとり):陰暦10月10日夜に、長野・南安曇地方で行なわれるもので、案山子を収穫の終わった田から引き揚げて、庭先に祭る行事

(4)た行

・待降節(たいこうせつ):降誕祭まで、四つの日曜日を含む四週間の節で、降誕祭の準備期間である。待降には、救世主キリストの来臨と、終末の日にそのキリストが再臨するという二重の意味がある。ドイツでは、アドベント・クランツ(花輪)に蝋燭を灯し、クリスマスを待つ

・大嘗祭(だいじょうさい/おおなめまつり/おおにえのまつり):天皇が即位後初めて行う新嘗祭。その年の新穀を天皇が天照大神および天神地祇に供え、自らも食する、一代一度の大祭。

祭場を東西2か所に設け、東を紀(ゆき)、西を主基(すき)と称し、神に奉る新穀をあらかじめ卜定(ぼくじょう)しておいた国々の斎田から召した

・踏鞴祭(たたらまつり):鞴祭(ふいごまつり)の別称

・鎮魂祭(たましずめまつり/ちんこんさい):新嘗祭の前日に天皇の鎮魂を行う儀式である。宮中の重大な祭事である新嘗祭。それに臨む天皇の霊力を高めるための儀式である

・達磨忌(だるまき):陰暦10月5日、菩提達磨の忌日。達磨はインドの高僧で、中国に初めて禅宗を伝えた人。少林寺で9年間、面壁静座をしたことは有名である。大通2年入寂と伝えられる

達磨忌や 壁にむかひし 揚豆腐(池西言水)

達磨忌や 自剃(じぞり)にさぐる 水鏡(宝井其角)

達磨忌や 一栄西に 二道元(森川許六)

達磨忌や 宗旨代々 不信心(炭 太祇)

達磨忌や 寒うなりたる 膝がしら(加舎白雄)

鳥栖みて 木をからしけり 少林忌(松瀬青々)

達磨忌や 達磨に似たる 顔は誰(夏目漱石)

・煖炉会(だんろかい):陰暦10月1日、炉を開いて炭火をたきはじめる宮中行事

・智積院論義(ちしゃくいんろんぎ):12月10日から3日間、京都市東山区にある真言宗智山派の総本山智積院で行われた問答会。別称五百仏山根来寺。論議とは、経論の要義を問答によって理非を明らかにすること。現在は、冬報恩講として行われている

・千歳飴(ちとせあめ):11月15日の七五三の際に売られている、棒状にした紅白のさらし飴を細長い袋につめたもの

・東叡山開山忌(とうえいざんかいさんき):陰暦10月2日。上野寛永寺を創建(寛永元年)した天海大僧正(1536年?~1643年)こと慈眼大師の忌日。天海大僧正は徳川家康の参謀として、家康の天下取りに大きく貢献した人。家康の死後、秀忠、家光にも使え、106歳で天寿を全うした。寛永20年没。この日、寛永時では忌日法要が行なわれる

・杜氏来る(とうじきたる):冬、寒くなって日本酒を醸造する時期に、農村から職人が酒造家のもとへ出稼ぎに来たこと

・桃青忌(とうせいき):松尾芭蕉の忌日。桃青は芭蕉の別号。陰暦10月12日。時雨忌(しぐれき)。翁忌(おきなき)。芭蕉忌

・頭の芋(とうのいも/かしらのいも):八つ頭を蒸しておかめ笹に通したもので酉の市売られた

・東福寺開山忌(とうふくじかいさんき):11月16日、京都市東山区東福寺の開山聖一国師(1202年~1280年)の忌日。駿河の人。東大寺で受戒。入宗し帰国。弘安3年79歳で入寂。当日、国師の木像を安置し、法要を行う。洗玉澗にかかる通天橋は、 紅葉の見頃で、参詣人は多い

開山忌 となりは留主の いなり山(浪化)

・十日夜(とおかんや):西日本の「亥の子(いのこ)」に対し、東日本で陰暦10月10日の夜に農村で行う収穫祭のこと。この日に田の神が山へ帰るとされ、新米で作った餅などを供えたり、子供たちが藁束で地面をたたいて村中を回ったりした

・栂尾虫供養(とがのおむしくよう):陰暦10月12、13日、京都市栂尾で行われた虫供養。殺生した虫たちのための念仏講で、栂尾では農夫たちが、高山寺へ供物を捧げ法要を行った。現在は廃れている

・酉の市(とりのいち):11月の酉の日に各地で行われる祭礼。一の酉二の酉、年によっては三の酉まである。この日、浅草鷲(おおとり)神社の境内では「縁起熊手」を求める人であふれかえる

世の中も 淋しくなりぬ 三の酉(正岡子規)

酉の市 江戸滞留の 文のはし(細谷不句)

通りをる 電車不思議や 酉の市(久米三汀)

その奥に おかめが笑ふ 大熊手(長谷川櫂)

・酉の町(とりのまち):酉の市の旧称

・酉の町詣(とりのまちもうで):11月酉の日、酉の市の古称

(5)な行

・新嘗祭(にいなめさい/にいなめのまつり):かつては陰暦11月の中の卯の日、近時は11月23日に行われ、 1947年まではこの呼称の祝日であった。天皇がその年の新穀 (栗と稲)を神に捧げ、親しくこれを食す儀式。即位後初めての場合は大嘗祭(だいじょうさい)となる

・二の酉(にのとり):11月の第2の酉の日。また、その日にたつ市

二の酉や いよいよ枯るる 雑司ケ谷(石田波郷)

・忍冬忌(にんとうき):11月21日。昭和期の俳人石田波郷(1913年~1969年)の忌日

(6)は行

・波郷忌(はきょうき):11月21日。昭和期の俳人石田波郷(1913年~1969年)の忌日。大正2年松山市生まれ。上京して「馬酔木」編集部に入って秋櫻子の知遇を得る。昭和12年「鶴」創刊主宰。戦後は胸部疾患のため療養生活を送り、昭和44年没。墓は東京深大寺にある

・白秋忌(はくしゅうき):11月2日。詩人、歌人として活躍した北原白秋(本名隆吉)(1885年~1942年)の忌日。福岡県柳川生まれ。「明星」「スバル」で活躍、のち歌誌「多磨」創刊主宰。数多くの童謡も残し、今日なお愛唱されている

・芭蕉会(ばしょうえ):陰暦10月12日、松尾芭蕉の忌日

・芭蕉忌(ばしょうき):松尾芭蕉の忌日。元禄7年陰暦10月12日その生涯を閉じた。旅を愛し、俳諧を芸術にまで高めた人。遺言により近江膳所の義仲寺に葬られた

ばせを忌に 薄茶手向る 寒さ哉(三浦樗良)

ばせを忌や 飯をゆかりの 茶に染ん(大島蓼太)

はせを忌と 申すもたつた 一人かな(小林一茶)

芭蕉忌や 弟子のはしなる 二聾者(村上鬼城)

・鉢叩(はちたたき):11月13日の空也忌から大晦日までの48日間、空也堂の僧が洛中洛外を巡り歩いた空也念仏のこと。瓢、鉢、鉦を叩き鳴らし、和讃や念仏を唱えた

われが手で 我が顔なづる 鉢たたき(上島鬼貫)

長嘯の 墓もめぐるか 鉢たたき(松尾芭蕉)

裏門の 竹にひびくや 鉢たたき(内藤丈草)

山彦を つけてありくや 鉢たたき(加賀千代女)

京中に この寂しさや 鉢叩き(蝶夢)

ゆふがほの それは髑髏か 鉢たたき(与謝蕪村)

墨染の 夜のにしきや 鉢たたき(与謝蕪村)

鉢叩き 月下の門を よぎりけり(高桑闌更)

川ぞひや 木履(ぼくり)はきたる 鉢叩き(加舎白雄)

・氷魚の使(ひおのつかい):平安・鎌倉時代宮廷行事。陰暦九月に始まって十二月晦日までの間、 朝廷に氷魚を貢ずること。氷魚は2~3cmほどの稚鮎

・氷魚を賜う(ひおをたまう):山城の宇治川、近江の田上川の網代でとれた冬期特産の氷魚を、参列の諸臣に賜った10月1日の朝廷の公事

・鞴祭/吹革祭(ふいごまつり):鍛冶屋、刀工、鋳物師など鞴を使う職人たちが、陰暦十一月八日に火を休め、一年の安全と商売の繁盛を願うお祭。酒を酌み交わしたり、近所の子どもたちに蜜柑をまいたりする

里並みに 藪のかぢ屋も 祭かな(小林一茶)

ふいごうも 祭るやかねを ふくの神(北村季吟)

屏風絵の 鞴祭の 絵解きなど(松本たかし)

・風鶴忌(ふうかくき):11月21日。昭和期の俳人石田波郷(1913年~1969年)の忌日

・別時念仏(べつじねんぶつ):11月18日から28日まで、藤沢市・遊行寺で行なわれる勤行。時宗の三大法会の一つ

(7)ま行

・蜜柑撒/蜜柑捲(みかんまき):鞴祭(ふいごまつり)の別称

・三島忌(みしまき):小説家で戯曲家の三島由紀夫(1925年~1970年)の忌日。1970年11月25日に「盾の会」のメンバーらと自衛隊の市ヶ谷駐屯地に乱入し割腹自殺をとげる。作品に『仮面の告白』『禁色』『潮騒』『金閣寺』『豊饒の海』など。唯美的な作家であった

・明治神宮祭(めいじじんぐうさい):11月3日。明治天皇の誕生日に行われる東京・明治神宮の例大祭

・孟冬の旬(もうとうのじゅん):かつて陰暦10月1日に、天皇が出御して行われた宮廷行事。参列した群臣には、献上物の氷魚(稚鮎)がふるまわれた。大体の儀式は孟夏の旬に準ずるとされる

(8)や行

・八一忌(やいちき):11月21日、大正・昭和期の歌人会津八一(1881年~1956年)の忌日

・山口閉の祭(やまぐちとじのまつり):厳島鎮座祭の別称

・山の神講(やまのかみこう):山の神祭に同じ

・山の神祭(やまのかみまつり):山の神を祭る行事。陰暦の11月や12月、2月などところによって祭礼の日は変わる。餅や酒、魚のひらきなどさまざまなものを供える。山の神は嫉妬深い女神とされ、女人禁制で執り行われるところもある

・山の講(やまのこう):山の神祭の別称。各地で山の神を祭ったこと。地方によって日はさまざま

・山の講祭(やまのこまつり):山の講に同じ

・維摩会(ゆいまえ):興福寺で陰暦10月10日から16日までの7日間行われた維摩経を講ずる法会。藤原鎌足が山科陶原の自分の屋敷を、山階寺(やましなでら)とし、そこで維摩経を講じたのが始まりとされる。維摩会に御斎会、最勝会を加えて、興福寺三会とされる

・憂国忌(ゆうこくき):三島忌に同じ

・由紀夫忌(ゆきおき):三島忌に同じ

・弓場始(ゆばはじめ):陰暦10月5日の射場始の別称

(9)ら行

・嵐雪忌(らんせつき):蕉門十哲の一人、服部嵐雪(1654年~1707年)の忌日で、陰暦10月13日。嵐雪は下級武士の出身で、延宝3年(1675年)頃芭蕉に入門する。その後、江戸蕉門の中心的存在として其角と並び称された。『其袋』、『杜撰集』などの編著がある。

・浪化忌(ろうかき):陰暦11月17日。蕉門の俳人であり浄土真宗の僧である浪化(1672年~1703年)の忌日。父は東本願寺14世法主琢如。俳句は初め季吟に師事したが、のち向井去来に学ぶ。後、去来を通じて芭蕉に学ぶ。芭蕉への敬慕が深く、芭蕉死後は、芭蕉の遺髪を得て黒髪庵を建立している。句集に『有磯海』『となみ山』などがある

・炉炭を進る(ろたんをたてまつる):かつて宮廷では、陰暦10月1日に役人が炉を開いて炭火を焚いた。宮廷における炉開きである

(10)わ行