1.写楽とは
写楽(フルネームは東洲斎写楽)の名前は、誰でも知っているでしょう。彼の描いた役者絵(えび蔵)は、切手の図案にもなっていますので、ご覧になった方も多いと思います。
ところで、この写楽には、いろいろと謎が多いということはご存知でしょうか?
写楽は、寛政6年5月から寛政7年3月までのわずか10ケ月間に、なんと145点もの浮世絵作品を版行したあと、忽然と姿を消したのです。
「本名・出生地・生没年不詳」という謎に満ちた人物で、同時代の誰も、彼について語ったり書き残したりしていないのです。これだけ聞くと、なんだか興味がわいてきませんか?
実は、私が最近読んだ本で、島田荘司著の「写楽 閉じた国の幻」というのがあります。
この本で、島田氏は今まで「写楽と目された人物」とは全く別の、「オランダ商館員」説を展開しているのです。
2.写楽と目された人物
今まで、「写楽と目された人物」としては、葛飾北斎、喜多川歌麿、歌川豊国、谷 文晁、司馬江漢、円山応挙、山東京伝、十返舎一九など錚々たるビッグネームが挙がっています。
ただ一人、無名の人としては、能役者の斎藤十郎兵衛があります。
3.写楽は「喜多川歌麿とオランダ商館員とのコンビ」という仮説
しかし、島田氏は、「原画(肉筆画)は、オランダ商館員(書記官で素人絵描き)が描き、それを版元(出版社社長)の蔦屋重三郎が、喜多川歌麿(浮世絵師)に、浮世絵スタイルに敷き写させた。それを彫り師、摺り師によって、浮世絵版画に完成させた」と推理しているのです。それで、「写して楽しむ」写楽というネーミングになったのかもしれませんね。
版元の蔦屋重三郎というのは、喜多川歌麿を世に売り出した、歌麿にとっては「恩人」のような出版社社長なので、「敷き写し」のような自分のオリジナルでない浮世絵を描くのは歌麿には不本意だったとしても、断り切れなかったのだと島田氏は推測しておられます。
確かに写楽の作風は、極端なデフォルメですが、鼻が西洋人のように高いのが特徴です。
島田氏は、写楽出現当時のオランダ商館員一行の江戸在府時期・期間の考証など、検証もなかなか周到で説得力があります。
美術史家を主人公にして、その息子が「オランダと日本の合作」である回転ドアに挟まれて死亡するという事故をきっかけにして、東大工学部教授(若く美しい女性)と出会い、写楽の謎の解明にいたる(写楽もオランダと日本の合作)という推理小説仕立てになっています。
興味をお持ちになられた方は、ぜひ読んでみてください。
写楽閉じた国の幻(上巻) (新潮文庫) [ 島田荘司 ]
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写楽閉じた国の幻(下巻) (新潮文庫) [ 島田荘司 ]
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