「行商人」にまつわる思い出話。落語の芝浜や行商人出身の戦国大名などをご紹介

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魚の行商人

1.落語の「芝浜」

落語に「芝浜」という人情噺があります。私は三代目古今亭志ん朝のこの噺をCDでよく聞きました。

天秤棒一本の棒手振りで魚の行商をしている腕はいいが酒好きの男がおりました。魚を仕入れても途中で酒を飲むため、腐りかけた魚を売ったりして得意先の信用も失い、だんだん商売に身が入らなくなって、しまいには二日酔いで魚の仕入れにも行かなくなります。女房がしびれを切らして仕入れに行くよう懇願します。そこで、亭主は嫌々ながら出かけて行き、芝浜(芝の魚市場の近くの浜)で大金入りの財布を拾い、飲み仲間を集めてどんちゃん騒ぎをします・・・

しかし、女房に「お前さんが財布を拾ったというのは夢で、飲み食いした払いはどうするんだい?」と言われて、人が変わったように商売に精を出すようになります。やがて得意先の信用も回復した三年後に、女房が、「実はあの拾った金は大家さんを通じて役所へ届けてあったが、三年経っても持ち主が現れないから下げ渡された。だから今夜は一杯どうだい?」と打ち明けます。久し振りに酒を飲もうとしかけますが、「よそう。また夢になるといけねえ」

2.私が子供時代に見た行商人

私が子供の頃、近くに「市場」は出来ていましたが、よく行商人がやって来ました。リヤカーを引いて魚を売りに来る安さんや、大八車を引いて朝採りたての野菜や果物を売りに来る農家のお婆さん、おまけの紙風船を持って来てくれる富山の薬売り、馬(ポニー)に馬車を引かせた「ロバのパン屋」、「麦茶と糗粉(はったいこ)売り」、「竿竹(さおだけ)屋」などです。「金魚売り」もたまに来ていたように思います。行商人と言えるかどうかわかりませんが、ゴム紐や縫い針などの「押し売り」もよく来ました。

3.もとは行商人で戦国大名に成り上がった斎藤道三や木下藤吉郎

戦国時代の武将で、美濃の下剋上大名として有名な斎藤道三も、最初は「油売り」の行商人でした。

豊臣秀吉も、木下藤吉郎の時代に「針売り」の行商で、各地を放浪していたそうです。抜け目のない彼のことですから、各地の状況を色々と探っていたのでしょう。三河万歳のようなこともしていたのではないでしょうか?どちらも私の想像に過ぎませんが、それが後に織田信長に仕えた時に、大いに役立ったように思います。

何かの本で読んだ秀吉の頓智話ですが、ある酒宴が開かれた時、信長の箸が一本無くなっていて、信長が激昂しました。他の家臣はみんな下を向いて、嵐が去るのを待っている状態でした。配膳係の者は、命がないかと戦々恐々です。そこへ秀吉が進み出て、「お館(やかた)様(信長のこと)、これは目出度きことにござりまする。」「なぜじゃ?」「されば、二本(日本)を一つにする(統一する)瑞兆にござりまする。」と機転を利かせてその場を収めたという話です。信長も振り上げた拳を無事に下ろすことが出来たわけです。

4.行商をしたこともある政治家の渡辺美智雄

大蔵大臣や通産大臣、外務大臣などの重要閣僚を歴任した大物政治家の渡辺美智雄さん(渡辺喜美参議院議員の父)も、行商をしていたことがあると聞いたことがあります。

最近では、「行商人」をほとんど見かけなくなりましたね。「押し売り」もあまり聞きません。しかし、最近は「押し買い」(宝石・貴金属・着物などの価値ある財産を、二束三文の値段で強引に買い取ること)の被害が社会問題になっていますので、皆さんも十分ご用心下さい。



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