<2022/3/19追記>ウクライナのゼレンスキー大統領が3/16に米連邦議会で「真珠湾攻撃」を例に出して支援を呼び掛けたのは全くの歴史認識の誤りで見当違い
ゼレンスキー大統領は、米国が攻撃を受けた第2次世界大戦の真珠湾攻撃や同時テロを例に出し「空から攻撃され、罪のない市民が殺されたことを思い出してほしい」と訴えました。
「真珠湾攻撃を9・11と並べて語られた事は日本人として不愉快だし、とても残念」「日本の議会で演説させようという意見に耳を疑う」「真珠湾攻撃は民間人を標的にしなかったので、例えとして不適切」と不快に感じたとして抗議する声がネット上で散見されましたが当然です。
実質的な最後通牒「ハル・ノート」が出ていた上、アメリカは暗号解読で「真珠湾攻撃」があることを知っていましたし、軍事基地への攻撃であって民間人を標的にしたものではありませんでした。
アメリカの「騙し討ち」という主張は、反日宣伝の「プロパガンダ」(今よく言われる「フェイク」)でした。
このような誤った歴史認識を持つゼレンスキー大統領に対して、3月23日の日本での国会演説の前に、日本政府は明確に抗議すべきだと私は思います。
最近、中国による太平洋や東シナ海・南シナ海における「軍事行動の布石」のような動きを理解する上で、過去の歴史を振り返ることは重要なことです。
今回は、太平洋戦争の原因と、真珠湾攻撃並びに宣戦布告について考えて見たいと思います。
1.太平洋戦争の原因
太平洋戦争は、一般的には「欧米の帝国主義列強の後発組である日本が、軍国主義化して、満州事変・日華事変を経て、石油禁輸などの経済制裁を受けたため、資源確保を目指して東南アジアを含む太平洋地域に進出した侵略戦争」と理解されています。
しかし、これは、「勝者の論理」でGHQが日本に植え付けた「自虐史観」です。今でもマスコミは歴史の真実を直視しようとせず、「自虐史観」で国民を洗脳し続けています。
明治時代の富国強兵政策によって、日本は急速に欧米列強に伍する国力を付けます。日清戦争・日露戦争を経て、日本は「8大強国」(オーストリアハンガリー帝国・イギリス帝国・ロシア帝国・ドイツ帝国・イタリア王国・フランス共和国・アメリカ合衆国・大日本帝国)の一つとなります。
そして、第一次世界大戦後は戦勝国として、世界5大国(アメリカ・イギリス・フランス・日本・イタリア)の一つの軍事大国になります。
しかし、アメリカは疲弊した欧州諸国に代わって強大な経済力を獲得し、世界最大の債権国となり、イギリスをしのぐようになります。第一次大戦後の「ワシントン会議」(1921年~1922年)において成立した東アジア・太平洋地域の国際秩序体制(ワシントン体制)では、アメリカ並びに欧米列強は、共同戦線を張って、台頭してきた日本の軍事力を徹底的に弱めようとします。
四カ国条約で日英同盟は解消され、九カ国条約によって、日本はドイツから奪った山東省の権益を中国に返還させられます。そしてアメリカは、石油禁輸により徹底的に日本を追い詰め、孤立化させる作戦を取ります。
日本は中国での権益確保のため、「ワシントン体制」に反発し、国際連盟を脱退して米英との全面戦争に突入することになります。日本は「トゥキディデスの罠」にはまったのかも知れません。
「トゥキディデスの罠」というのは、アメリカの政治学者グレアム・アリソン(1940年~ )の作った造語で、古代アテナイの歴史家トゥキディデス(紀元前460年頃~紀元前395年)にちなむ言葉です。
トゥキディデスは、約2,400年前、スパルタとアテナイによる構造的な緊張関係及び長年にわたる戦争(ペロポネソス戦争)に言及しています。この言葉の意味は「戦争が不可避な状態まで従来の覇権国家と新興の国家がぶつかり合う現象」を指します。
現在の米中対立も、従来の覇権国家アメリカと急速に覇権国家を目指す中国との対立で、まさにこの「トゥキディデスの罠」の状態と言えるかも知れませんね。
2.真珠湾攻撃と宣戦布告
ところで、1941年12月8日の日本軍によるハワイの「真珠湾攻撃」は、宣戦布告前のだまし討ちだったとよく言われますが、真相はどうだったのでしょうか?
当初、日本政府はオランダのハーグで開かれた国際会議で締結され、1912年に日本も批准している「ハーグ条約」を守るつもりでした。条約では、「戦争開始には、明らかな事前通告が必要」と定められています。
この通告が遅れたのは、「日本の外務省の不手際」が原因と言われています。1994年、外務省は、対米開戦通告が遅れたことについて、「日本大使館の職員の職務怠慢」とする報告書を公表しています。
具体的には、当時のワシントンの日本大使館は、国際情勢認識が極めて甘かったようです。実務責任者だった井口貞夫参事官は、前日6日夕、全員待機の非常態勢を取るどころか、大使館員に帰宅を促していたそうです。その一方、数人の大使館員を誘って深夜まで中華料理店で酒食に興じていたそうです。その結果、最後通告の通知が遅れた訳です。
結果的に、「宣戦布告なしの開戦」は日本のイメージを悪化させました。「だまし討ちの日本」「ずるい日本」と宣伝する材料を与えてしまったことになります。
実はその前の1941年11月26日にアメリカは日本の野村大使に、無理難題を記した「ハル・ノート」という「最後通牒」を手渡しています。これは「宣戦布告に準じるもの」で、「実質的な宣戦布告」とも言えます。そして、「最初の攻撃」を日本がするように仕向けたのです。
しかし、アメリカは、真珠湾攻撃の秘密電文や対米開戦通告の暗号電文を即座に解読し、真珠湾攻撃は事前に察知していたそうです。真珠湾に停泊する戦艦アリゾナなどの艦船やアメリカ兵が攻撃されるのを見殺しにして、アメリカ参戦の正当性を主張し、アメリカ国民の戦意高揚と反日宣伝を図った訳です。
それは、当時のフランクリン・ルーズベルト大統領の判断だったそうです。大統領は、当時ドイツと交戦中のイギリスを助けたい考えでしたが、国民の大半は、「ヨーロッパの戦争には関わりたくない」(モンロー主義)という意見でした。
しかし、真珠湾攻撃がアメリカ世論を変える契機となり、アメリカが第二次世界大戦に参戦することになった訳です。ルーズベルト大統領の非常に卑怯なやり方です。
アメリカのアカデミー賞受賞監督のフランク・キャプラ氏(1897年~1991年)は、「なぜ我々は戦うのか」シリーズ(1942年~1945年)といった日本敵視の戦意高揚プロパガンダ映画を製作しています。
そういう意味で、北朝鮮がアメリカと激しく対立して、ミサイル発射や核実験を繰り返し、暴発寸前になったのは、日本の太平洋戦争前夜の状況と似ています。
国際政治学者の藤井厳喜氏は、1946年5月のアメリカのフーバー大統領がマッカーサーGHQ最高司令官との会談で、「太平洋戦争は、日本が起こした戦争ではなく、アメリカの『狂人・ルーズベルト大統領』が日米戦争を起こさせたということで意見が一致した」と述べています。
アメリカの軍人で政治家のハミルトン・フィッシュ氏も、『ルーズベルトの開戦責任 大統領が最も恐れた男』という本の中で、同様の見解を述べています。これについては、前に記事を書きました。