「国際水路機関」と「日本海呼称問題」の理不尽さをわかりやすくご紹介します

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日本海呼称

韓国は、不法占拠している「竹島」を、勝手に「独島(トクト)」と称していますが、またまた理不尽な要求を出してきているとのニュースがありました。

今回は、「日本海」を韓国の主張する「東海(トンヘ)」と併記するよう「国際水路機関(IHO)」に訴え、IHOは日本に対して韓国との協議を要求しているとのことです。

何だか、「火器レーダー照射事件」をめぐる韓国の「嘘で塗り固めた反論・応酬」と似ているような気がします。

1.「国際水路機関(IHO)」とは

「国際水路機関(International Hydrographic Organization)」とは、1967年に採択された国際水路機関条約に基づき、海図などの改善により航海を容易かつ安全にすることを目的に設立された国際機関で、本部はモナコにあります。

この「目的」を見て分かるように、恣意的な「政治的主張」を入れる余地はありません

韓国も、1986年時点では公式に従来からの呼称である「日本海」の名称に同意していました。

2.「日本海呼称問題」とは

ところが、1997年の第15回IHO総会で、韓国は日本海の名称は日本帝国主義の残滓であるとして、韓国が使用する「東海(トンヘ)に変更」するよう要求し始めました。

これに対して、日本政府代表団は直ちに日本海の正当性を伝えるとともに、韓国側の主張する東海は、理論的にも歴史的にも根拠の無い名称であることなどを理由に挙げて反対しました。

しかし、韓国は「聞く耳を持たず」で、2002年4月の第16回IHO総会で、今度は「東海の併記」を求めました。同年8月のIHO理事会は、日本海の名称について「高度な政治性を有し、日韓両国の調整がつかない」としました。

2017年4月の第19回IHO総会で、「60年以上不変だった指針『大洋と海の境界』改訂の是非について、関係国が非公式に協議し、2020年の次回総会で報告されること」が決まりました。

韓国の執拗な要求にIHOが屈した形ですが、IHOの本来の目的を逸脱して一方的に政治問題化させた韓国の非は明らかです。

しかし日本政府は、IHOの求めに応じ、日本海呼称問題で対立する韓国を含む関係国との非公式協議に臨む方向で検討に入ったとのことです。日本政府は、協議では「日本海の呼称を変更する必要性も根拠もない」として反論する方針とのことですが、これは当然だと思います。

3.問題点

最近の「火器レーダー照射事件」や「いわゆる元徴用工判決」、「慰安婦支援財団の解散決定」など韓国の反日的行動はエスカレートしてとどまるところを知りません。また、韓国公正取引委員会による日産に対する「燃費の不当表示」の疑いでの検察への告発も、政治的な意図が感じられます。

韓国の文在寅大統領は、ロシア・中国・北朝鮮に対抗する「日米韓協力体制」を破棄して、北朝鮮の軍門に降るつもりでしょうか?少なくとも文在寅大統領は、その考えのように見えます。大統領の両親は北朝鮮からの避難民(移民)ですが、北朝鮮に親近感があるのでしょうか?

それでは「南北統一後の未来予想図」はどうなっているのでしょうか?我々が関知することではありませんが、金王朝の共産主義国家にしようとするなら、韓国の大多数の国民は反対だと思います。しかし、「民主主義国家」として南北統一するなら独裁者の金正恩の処遇をどうするのでしょうか?日本にまたもや莫大な「賠償請求」や巨額の「非核化協力資金」を要求するつもりでしょうか?

ここは、日本としては、毅然とした態度を貫くべきで、絶対に譲歩してはならないと思います。1965年に結ばれた「日韓請求権協定」や、2015年の「慰安婦問題日韓合意」があるのに、平気で踏みにじる現在の韓国政府の姿勢は、到底容認できるものではありません。

蛇足ですが、朝鮮は室町時代から「朝鮮通信使」という外交使節団を日本に送って来ました。

豊臣秀吉に派遣された1590年と1596年の「朝鮮通信使」は、文禄の役(1592年~1593年)と慶長の役(1597年~1598年)の発端と密接に関係しています。

江戸時代に入って再開されますが、新井白石は朝鮮通信使接待が幕府財政を圧迫するとして簡略化させました。ただ、このことは朝鮮に最も近い対馬藩の藩儒である雨森芳洲との対立を招きました。対馬藩としては、対朝鮮の「最前線」なので、朝鮮との関係険悪化を避けたかったということでしょう。

新井白石が六代将軍徳川家宣の侍講として、間部詮房と共に政権中枢にいたころ、朝鮮通信使と国書交換についての応酬を行ったという逸話を藤沢周平の小説「市塵」で読んだ記憶があります

「日本側の返書に七代前の朝鮮国王の諱名(いみな)の文字が入っているのは無礼であるから削除せよと猛抗議を受けました。これに対して白石はそれはおかしいと異議を申し立てます。そもそも7代前というのは、中國の資料によっても影響がないはずだ、仮にあるとしても朝鮮王の国書にも家光の光の字を用いているではないか?自らの振る舞いを顧みず礼と言えるか?と迫りました。」

白石の自伝的随筆「折りたく柴の記」に上記のような記述があるのです。

朝鮮は、昔からいろいろと理不尽な難癖をつける国だったということでしょうか?

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