あいちトリエンナーレ、これは政治活動で芸術でない。表現の自由は的外れの議論

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あいちトリエンナーレ

1.「あいちトリエンナーレ2019問題」について

「あいちトリエンナーレ」が8月1日から10月14日までの期間で4会場で開催されています。この「あいちトリエンナーレ」は、最先端の現代アートを紹介する祭典で、2010年から3年ごとに開催されています。今年のテーマは「の時代」(「報が溢れ、感に左右され、けがそれらを制する時代」という意味だそうです)で、ジャーナリストの津田大介氏が「芸術監督」を務めています。予算は愛知県が8億円、名古屋市が2億円を負担し、国の助成金交付対象事業(*)にもなっているそうです。

(*)2019/10/4追記

文化庁は、「あいちトリエンナーレ2019」への補助金7820万円全額を交付しないことを決定しました、

その中の企画展「表現の不自由展・その後」で、「慰安婦像によく似た少女像」や「焼かれるべき絵」と題した「昭和天皇の写真を焼くシーンを含む映像作品」、特攻隊隊員が寄せ書きした日の丸を使った「間抜けな日本人の墓」という作品など不適切な展示があり、河村たかし名古屋市長が中止を強く求めました。その後、大村秀章愛知県知事が「脅迫事件」があったことを理由に中止を決定しました。

これについては次のような問題があると思います。

(1)表現の自由は公共の福祉によって制限を受けること

今回の企画展は、「最先端の現代アート」でも何でもなく、「芸術に名を借りた政治的な反日プロパガンダ」の疑いが強いと思います。

表現の自由は保障されていますから、このような展示も私的な展覧会であれば問題なく勝手に自由に出来ると思います。

しかし公的な資金が使われている展覧会で、大多数の日本人が不快感を覚える展示を認めることは、公共の福祉の観点から問題があると思います。

日本国憲法第12条には次のように書かれています。

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

(2)企画展中止の理由は、「脅迫事件があったから」ではなく、「展示内容に問題があったから」

大村秀章愛知県知事は、「脅迫事件があったから」中止したと説明しましたが、「展示内容に問題があったから」と正しく説明すべきだったと思います。

(3)展示内容の精査は検閲ではなく、主催者の当然の責任

一般の展覧会でも、主催者が展覧会の趣旨に照らして展示内容がふさわしいものかどうかをチェックするのが普通だと思います。公的な展覧会でも、展示内容の精査は当然必要です。これを検閲とか表現の自由の侵害と呼ぶのは全く的外れだと私は思います。

蛇足ながら、今回の「表現の不自由・その後」企画展に展示された「慰安婦像によく似た少女像」は、2012年8月に東京都美術館で開催された「第18回JAALA国際交流展ー2012」に出品されたものの、美術館が「東京都美術館公募団体展募集要項」の「特定の政党・宗教を支持し、又はこれに反対する等、政治・宗教活動をするものに抵触する可能性があることから、展覧会主催者側が自主規制をしたという経緯があったそうです。

この東京都美術館の対応は、大変真っ当なものだと私は思います。

2.「発禁処分」とは

「発禁処分」と言えば、刑法の教科書に必ず出て来る「わいせつと表現の自由の関係」が問われた「チャタレイ事件」を思い出します。

1950年に出版されたD・H・ローレンス作、伊藤整訳の「チャタレイ夫人の恋人」が刑法175条のわいせつ文書であるとして、出版社社長と翻訳者が起訴された事件です。この裁判は、1957年に最高裁が上告を棄却したことで、両名の有罪が確定しました。

「発禁処分」とは、公権力によって出版物・音楽・映画などの表現物の発行・発売・頒布の禁止を行う処分のことです。発禁処分を受けた本は「発禁本」と呼ばれます。

江戸時代にも出版物の発売・頒布の禁止が行われたことがありますが、明治時代の1893年に出版物の取り締まりを目的として制定された「出版法」以降厳しくなりました。事前検閲が行われ、発禁本には思想的に危険視された政治的なものだけでなく、風俗壊乱を理由として文芸作品にも及びました。

敗戦後の1949年、GHQのプレスコードによって出版法は失効し、日本国憲法第21条によって「出版の自由」は保障されましたが、刑法175条などの規制は残っています。

アドルフ・ヒトラーの「我が闘争」は第二次大戦終結直後に「ホロコーストへの道を開いた本」としてドイツ国内で発禁処分を受けました。しかし、ヒトラー没後70年でドイツのバイエルン州が持っていた著作権が切れた2016年に「批判的注釈付き」で「再出版」されています。

3.「言論統制」と「検閲」

「言論統制」とは、「国家が検閲などの手段により、マスメディアの報道や一般国民の表現活動を制限すること」です。現在の政治権力にとって、それを阻害、又は阻害する恐れのある好ましくない表現を抑圧することです。

通常の場合、言論統制には治安警察機構による「検閲」が行われるとともに、権力側のプロパガンダ(政治宣伝)が伴います。

4.中国や北朝鮮などの「言論統制」「情報遮断」の問題

中国では、BC213年に秦の始皇帝が行った「焚書坑儒」という思想言論弾圧が有名です。

1989年に中国で起きた「天安門事件」は、「腐敗した共産党一党独裁体制に反対し、民主化と言論の自由を求める学生や一般市民」の集会・デモを「人民解放軍」が武力で鎮圧し、多数の死傷者を出した事件です。

この事件以降、中国の検閲・言論統制は一段と厳しくなったようです。テレビでも中国政府に都合の悪い報道になると放映がストップされたり、インターネットの大規模な検閲も行われています。

北朝鮮についても、インターネットを通じての外国からの情報は遮断されています。

このような「言論統制」や「情報遮断」が行われているのは、裏を返せば中国の共産党一党独裁体制や北朝鮮の金王朝が潜在的に一般国民による厳しい批判にさらされる恐れがある証拠かも知れません。