「秘すれば花」で有名な「風姿花伝」の作者である能楽師「世阿弥」の生涯を探る

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世阿弥

「秘すれば花」という言葉で有名な「風姿花伝」を著した能楽師「世阿弥」は、「猿楽」を日本を代表する古典芸能の「能楽」として大成した功労者です。

確か高校の教科書に「風姿花伝」の一部が掲載されていたように思うのですが、その中で「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」という言葉が私には特に印象に残っています。

「秘密にするからこそ花であり、秘密にしなければ花ではあり得ない」ということですが、「花」とは、面白さや珍しさ、見る者を感動させる能の神髄の力をたとえたものです。「意外性や驚きが感動につながる。それを事前に知られては台無しになる。観客をあっと言わせる秘策を用意しておくべきだ」という意味です。今風に言えば「サプライズ」ですね。

能楽はユネスコの無形文化遺産に登録されており、室町時代から650年もの歴史を持つ伝統文化です。

今回は彼の生涯についてご紹介したいと思います。

1.世阿弥(1363年~1443年)

世阿弥は大和猿楽の役者観阿弥(1333年~1384年)の子として生まれました。彼は幼少のころから奈良や京都で父の一座に出演していました。

彼が生まれたころ、「猿楽」は「田楽」より低く見られていました。

1374年ころ、観阿弥が京都の今熊野観音寺で行った能楽興行に世阿弥も出演しましたが、これが室町幕府の三代将軍足利義満の目に留まり、以後観阿弥父子は、義満の庇護を受けることになります。

1378年の祇園会(祇園祭)で世阿弥が義満の桟敷席に近侍したことに公家から多くの批判が集まりました。

1384年に観阿弥が亡くなり、世阿弥が観世太夫となって跡を継ぎます。

1394年に義満が亡くなりますが、四代将軍義持の時代に、世阿弥は能の理論書「風姿花伝」を執筆します。当時の貴族・武家社会は「幽玄」を尊ぶ気風があったので、彼は観客である彼らの好みに合わせ、言葉、所作、歌舞、物語に幽玄美を漂わせる「夢幻能」を大成させました。

四代将軍義持は能よりも田楽を好んだため、次第に遠ざけられます。六代将軍義教は世阿弥の甥の音阿弥を庇護し、世阿弥と息子の元雅を能の世界から放逐しようと圧力を掛けます。

最後には地位や名誉だけでなく興行権も奪われ収入も失います。都落ちした世阿弥父子は、伊勢の国で息子の元雅が亡くなり、世阿弥も1434年に佐渡島に流罪となります。

その後世阿弥は京都に戻り、ひっそりと世を去りました。

2.風姿花伝

「風姿花伝」は、世阿弥が父の観阿弥から口述で伝えられた秘伝を基本として、自らの探求の結果を付加したものです。これは能楽の理論書といっても「学術書」ではなく、「興行を成功させるための秘伝書」というべきものです。

観客に感動を与える力を「花」と表現しています。少年は美しい声と姿を持ちますが、それは「時分の花」に過ぎず、能の奥義である「まことの花」は心の工夫考案から生まれると説いています。概要は次のようなものです。

(1)年来稽古条々(年齢に適応した稽古の注意)

(2)物学条々(稽古すべき各種の芸に対する注意)

(3)問答条々(芸の実力を発揮する工夫)

(4)神儀(申楽の歴史を述べる)

(5)奥義(最も究極の大切な教えを説く)

(6)花修(能作の工夫を説く)

(7)別紙口伝(「花」の解明、主として珍しさの要素を説く)

風姿花伝の中で有名な言葉をいくつかご紹介します。

・初心忘るべからず(常に自分の未熟さを忘れず、稽古を怠ってはならない)

世阿弥の解釈では「ぜひ初心忘るべからず」「時々の初心忘るべからず」「老後の初心忘るべからず」となっており、人は歳を重ねるたびに今まで経験したことのない事に挑戦しなければならないと教えているようです。

・住する所なきをまず花と知るべし(美しい花を咲かせ続けるには、停滞することなく変化し続けなければならない)

・離見の見にて見るところはすなわち、見所同心の見なり(観客の視点で自分を見て初めて自分の姿を見ることができる。独りよがりな演技をしてはならない、客をどう惹きつけるかが肝心だ)

・家、家にあらず継ぐをもて家とす(家というものは続けばいいというものではない。代々の芸、思想を継承して初めて家を継いだことになる)

・時分の花をまことの花と知る心が真実の花になお遠ざかる心なり(若い時の美しさはほんの一瞬だけのもの。それを自分の魅力だと思っていると、本当の自分の魅力にたどり着けない)

・稽古は強かれ、情識はなかれ(天狗にならずにしっかり稽古をせよ。「情識」は傲慢、慢心のこと)

3.風姿花伝にある「50歳代の稽古」

「年来稽古条々」の中にある「五十有余」には「無用なことはしないようにして、老木の花を見せる」とあります。

この記述の後に、父の観阿弥が死の15日前に駿河の浅間神社に奉納した能について語っています。

「その日の申楽、ことに花やかにて、見物の上下、一同に褒美せしなり」「能は、枝葉も少なく、老木(おいき)になるまで、花は散らで残りしなり」

老いてもその老木に花が咲く、それが世阿弥の考えた「理想の能」であり、「芸術の完成」だったのでしょう。



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