1.加賀千代女の俳句
「蜻蛉釣り 今日はどこまで行ったやら」
これは江戸時代の女性俳人の加賀千代女(かがのちよじょ)(1703~1775)の俳句です。彼女の息子は幼い頃に死んでしまいます。いなくなってしまった息子は、きっと遠くまで蜻蛉を捕りに出掛けたのだろう。早く帰ってこないかなあ。あるいは天国で蜻蛉釣りをしながら楽しく暮らしているのかしら・・・と子供を偲ぶ句です。彼女には「朝顔につるべ取られてもらひ水」という有名な俳句もありますね。
この句の「上五」は千代女が35歳の頃に「朝顔や」に詠み直して「切れ字」としています。その理由は、「朝顔に」だと、平板な説明文のような散文調になっているのに対し、「朝顔や」にすると、朝顔が釣瓶に巻き付いて伸びて可憐な花を毎朝咲かせるのを愛おしむ彼女の気持ちを強く表現できると考えたからだと私は思います。
2.オニヤンマ
私が子供の頃は、今の家のように閉め切らず、夏は座敷も裏庭への出口も開け放していました。玄関も格子戸だったので、「通り庭」(玄関から裏庭までの土間)を、風が玄関から裏庭の方へ吹き抜けて行って涼しかったことを覚えています。建具も「障子」から「簀戸(すど)」に変えていました。この「簀戸」は、葦(よし)の茎で編んだ簾(すだれ)を障子の枠に嵌め込んだもので、「葭戸(よしど)」とも言うそうです。これに変えると何だか涼しくなったように感じたものです。
お盆が近づいた頃、「オニヤンマ(鬼蜻蜓)」が座敷に迷い込んでくることがありました。そんな時、母は「盆に帰って来い」と言って前栽の方へ逃がしてやっていました。黒に黄色い縞模様の巨大なトンボで、何かご先祖の使いのように感じたものでした。
3.シオカラトンボとムギワラトンボ
空色の「シオカラトンボ(塩辛蜻蛉)」もよく見かけました。家の前に水路が走っているのですが、その水面近くを行ったり来たりして「ユスリカ(揺蚊)」などを捕っていたようです。
麦藁のような黄色の「ムギワラトンボ(麦藁蜻蛉)」もよくいましたが、これは「シオカラトンボ」の雌です。
4.アキアカネ
「アキアカネ(秋茜)」も、ごく普通に見られました。俗にいう赤とんぼですね。最近では、ゴルフ場のグリーンの上に沢山集まってホバリングしているのを見ることがあります。付近に蚊がいるからでしょうか?アキアカネは、「精霊(しょうりょう)蜻蛉」と呼ばれることもあります。盆の時期に出てくることが多いからだそうです。
5.ハグロトンボとイトトンボ
ごく稀にですが、裏庭に「ハグロトンボ(羽黒蜻蛉)」や「イトトンボ(糸蜻蛉)」がやって来ることがありました。この2種類のトンボは、翅を立てて止まっているので、つまんで捕まえやすかった記憶があります。他のトンボは、翅を水平か又は山なりに下げて休んでいることが多いですね。ハグロトンボは、ある地域では田の神として尊ばれ、また翅を閉じた様子が手を合わせているように見えるので「神様蜻蛉」と呼ばれているそうです。確かに他の蜻蛉とは違う「何か」がありそうな雰囲気を持っています。
6.「勝ち虫」として兜の「前立て」にも用いられた
前田利家などの戦国武将が兜の「前立て」(飾りのこと)に、好んでトンボを用いた理由は、「勝ち虫」と呼ばれる縁起の良い虫であることと、前に進むのみで後退しないことから勇猛果敢であることをを象徴すると考えられたからです。
7.極楽とんぼ
「極楽とんぼ」という言葉がありますが、実際の蜻蛉にはこの名前の蜻蛉はいません。「浮ついた暢気者」を罵って言う言葉ですが、「ウスバカゲロウ(薄翅蜉蝣)」のことを指す場合もあるそうです。その幼虫が「アリジゴク(蟻地獄)」ですから、アリを「地獄」に陥れて自分は「極楽」へ行ける幸せ者なのかも知れませんね。
里見弴の小説に、生涯をのほほんと生きた人物の物語「極楽とんぼ」があります。
8.尻切れとんぼ
なんだか話が脱線してしまい、「尻切れとんぼ」で申し訳ありません。
なお蛇足ながら、この「尻切れとんぼ」の「とんぼ」は、昆虫のトンボのことではなく、草履のことだそうです。鼻緒の先をトンボの翅のような形に結んだ足の半ばくらいの短い草履を「足半(あしなか)」「尻切れ草履」「とんぼ草履」と呼んでいたそうで、そこから「尻切れとんぼ」という言葉が生まれたようです。
コメント
空を舞う宝石とでも言えば良いのでしょうか…むかし捕ったヤブヤンマの限りなく澄んだ空色の複眼が忘れられません。
千代所の朝顔の句碑を、先日訪ねました。由縁の井戸というのが寺の墓地で、少々驚きました。