1.アドルフ・ヒトラー(1889年~1945年)
アドルフ・ヒトラーと言えば、第二次世界大戦中、ユダヤ人への迫害や「ホロコースト」で「ユダヤ人差別主義者」として有名ですが、「日本人差別主義者」であったことはあまり知られていません。
彼は「アーリア人種」は「文化創造者」、「日本民族などの有色人種」は「文化伝達者」、「ユダヤ人」は「文化破壊者」と決めつけています。また、「ドイツ民族こそ最も純粋なアーリア人である」としています。(ただ、この説は現在では「疑似科学」と見なされています)
彼の有名な著書「我が闘争(Mein Kampf)」(1926年刊行)には、次のような記述があります。
『日本文化というものは、表面的なものであって、文化的な基礎はアーリア人種によって創造されたものにすぎない』としており、『強国としての日本の地位もアーリア人種あってのこと』としています。『もし、ヨーロッパやアメリカが衰亡すれば、いずれ日本は衰退して行くであろう』
しかし、戦前の日本語訳では、上記の「日本人蔑視」の記述部分は「削除」されていたそうです。これは、1940年に成立した「日独伊三国軍事同盟」に配慮したものと思われます。
余談ですが、この「日独伊三国軍事同盟」は、アジアにおける日本の指導的地位およびヨーロッパにおけるドイツとイタリアの指導的地位の相互確認、調印国のいずれか1カ国が第二次世界大戦のヨーロッパ戦線や日中戦争に参加していない国から攻撃を受ける場合に、相互に援助するとの取り決めです。
この軍事同盟の結果、日本は、ドイツと対立するイギリスやオランダとの関係が悪化し、アメリカの対日感情も悪化させました。ヒトラーには、ヨーロッパ戦線にアメリカが参戦するのをけん制する狙いがありました。結果的に見ると、日本にとってこの軍事同盟は失敗でした。
閑話休題、話を本論に戻します。
戦前に、ドイツ語の原著を読んだ海軍軍務局長の井上成美(1889年~1975年)は、アドルフ・ヒトラーの有色人種蔑視などの人種差別主義を嫌悪し、次のように海軍省内に通達したそうです。
「ヒトラーは日本人を創造力の欠如した劣等民族、ただしドイツの手先として使うなら小器用・小利口で役に立つ存在と見ている。彼の偽らざる対日認識はこれであり、ナチスの日本接近の真の理由もそこにあるのだから、ドイツを頼むに足る対等の友邦と信じている向きは三思三省の要あり、自戒を望む」
井上成美は、このような信念のもと、米内光政(1880年~1948年)や山本五十六(1884年~1943年)とともに、日独伊三国軍事同盟に反対しました。
2.アルベルト・シュバイツァー(1875年~1965年)
話は変わりますが、アルベルト・シュバイツァーは、「20世紀のヒューマニスト」「密林の聖者」として知られている人物です。30歳の時、医療と伝道に生きることを志し、アフリカの赤道直下のガボンにおいて、当地の住民への医療などに生涯を捧げたとされています。
しかし、彼は「人類皆兄弟」と唱えながらも本質的に「白人優位主義者」で、「帝国主義」や「植民地支配」を当然のことと受け止めていました。それは彼の次のような著述で明らかです。
「われわれ白人人種にはわれわれの支配を原始的および半原始的民族に押しつける権利があるか? もしわれわれがただかれらを支配し、かれらの国から物質的利益を引き出そうとするならば、否である。もしわれわれがかれらを教育せんことを真剣に望み、福祉の状態に達するようかれらを援助するならば、然りである。」(わが生活と思想よりp251)
「もしこれらの民族がほんとにひとりで生活できる何らかの可能性があるならば、われわれはかれらを放任することができるであろう。しかし事態は動かせない、かれらのもとに達した世界貿易はわれわれもかれらも如何ともしがたい事実である。すでにかれらはそれによって自由を失ってしまった。民衆自身が商品となり、これらの民衆には真の独立など問題ではあり得ないのであって、やさしいかどうか分らぬが、土人の暴君の支配がよいか、ヨーロッパの統治がよいかどうかの問題だけである。」
「それ故われわれの問題は、あれかこれかの問題だけである。われわれは、産業にとって生の原料たるこれらの人民と国土の主人であるか、それとも、これら 民族の間の不幸に抵抗する可能性と、彼ら自身が新しい政治体制を創り発展する可能性を創り出すために、新しい社会的秩序を発展させる責任があるか? もし われわれがこの感化を及ぼすべき道徳的権威を有するならば、われわれに殖民する権利がある、と私は考える。」
「われわれの唯一可能な道はわれわれの実際に持っている権力を土人たちのために振るうことであり、そうして道徳的弁明のために供することである。帝国 主義は奴隷貿易に終止符を打ち、原始民族が互に戦うのがつねであるとめどない戦争を止めさせ、そして永続的な平和を世界の大部分に与えてきた。もし現在白人および黒人の商人と相対して自らの権利を保有している政府当局が万一引揚げたならば、ォゴウェ地方の原始林ではたらいている土人の木樵たちの運命がどうなるか、私には其れを描く勇気がない。(わが生活と思想よりp252-253)
3.われわれ日本人の取るべき態度
前に、日本人のアスリートが大活躍すると、それを封じ込めるための「ルール改定」が必ずと言っていいほど行われて来たことについて、記事を書きました。
建前上、欧米人は「人種差別はしていない」と言うでしょうが、ヨーロッパを旅行した時に私が感じた「日本人の我々を軽視・蔑視したような態度」は、まぎれもない事実です。
GACKTさんも似たような経験をしたそうです。彼がパリのホテルのビュッフェで見晴らしの良い席に座ったところ、店員から見晴らしの悪い席に移動させられたそうです。あとから来た別のアジア系の客も移動させられました。そこで一旦退店した後再度入店し、再び見晴らしの良い席に座ったら、またもや店員から席を移動するよう促されたそうです。そこで、店員にフランス語で「席を移動しなければならない理由をわかりやすく説明してくれ」と迫り、その席を勝ち取ったそうです。
やはり、全部が全部ではないと思いますが、一般的に欧米人の心の底流には、日本人を含む有色人種に対する偏見や差別意識(軽視・蔑視)があると思わざるを得ません。
彼らのこういう差別意識を我々が変えさせることは不可能ですから、彼らとは「戦略的互恵関係」で付き合って行くしかありません。
日本人としては、今後「言うべきことははっきり言う」「名実ともに欧米の諸外国と対等の立場で交渉を行い、変な妥協はしない」「ロシアや中国、北朝鮮、韓国に対しても、プリンシプルを持って、毅然とした対応を行う」ことが必要だと、最近特に痛切に感じます。