面白い「変わり種神社」をご紹介します

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人形神社

神社と言えば、天皇家ゆかりの伊勢神宮、橿原神宮、出雲大社などが有名ですが、日本各地に「変わり種神社」があります。今回はそのいくつかをご紹介します。

1.気象神社

日本で唯一「気象神社」と呼ばれているのは、東京の「高円寺氷川神社」です。

この神社の「ご祭神」は「八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)」で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に隠れて世の中が暗闇になった時、知恵を振り絞って岩戸を開ける方法を考えて、世の中を救うことに成功したと言われている神様です。

この神様は、「晴」「曇」「雨」「雪」「雷」「風」「霜」「霧」の八つの気象現象を制御するとも言われています。

1944年4月に旧日本陸軍の「陸軍気象部」(杉並区馬橋地区)の構内に造営され、気象観測員が気象予報の的中を祈願したそうです。

戦後、GHQの「神道指令」で撤去されるはずでしたが、調査漏れで残存したため、高円寺氷川神社に「遷座」されました。

6月1日の「気象記念日」(1875年6月1日に日本初の気象台が、東京に設置された)には「例大祭」があり、氏子関係者以外にも「気象関係者」などが多く参列するそうです。今のように気象衛星の情報や科学技術を駆使して天気予報をする人でも、極力的中するようにと「(苦しい時の)神頼み」をするのでしょうか?

なお、この神様は、「古事記」では「思金神(おもいかねのかみ)」、「日本書紀」では「思兼神」と呼ばれています。

2.飛行神社

「飛行神社」とは、京都府八幡市にある飛行機の神「饒速日命(にぎはやひのみこと)」をご祭神とし、航空機事故の犠牲者や航空業に功績のあった人を祀っています。

この神社は、日本で最初に動力付き模型飛行実験に成功した二宮忠八が1915年に創建したもので、ジュラルミン製の鳥居とギリシャ神殿風の拝殿を持つユニークな神社です。

祭礼は、1月1日の「歳旦祭」のほか、4月29日の「例祭」と9月20日の「空の日」にあります。

3.人形神社

「人形神社」として有名なのは、和歌山県和歌山市加太にある「淡嶋神社」です。全国にある「淡島神社」「粟島神社」「淡路神社」の総本社です。

この神社のご祭神は、「少彦名命(すくなひこなのみこと)」「大己貴命(おほなむじのみこと)」「息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)」(神功皇后)です。

人形供養の神社として有名で、境内には供養のために奉納された無数の雛人形や市松人形、フランス人形が境内に隙間なく陳列されています。

4.サムハラ神社

「サムハラ(〓)神社」とは、大阪市西区立売堀にある神社で、万年筆業界の先駆者で「田中大元堂」を経営した実業家の田中富三郎氏が1950年に創建した戦後生まれの神社です。

「サムハラ」は、無傷無病、延命長寿の神として知られています。「サムハラ」とは不思議な四文字で、身を守ると言われています。

「サムハラ」には、次のような故事が「孝経」にあるそうです。曾子が臨終に際して、弟子に体を全部調べさせ一つの傷跡もないのに安心し、「身体髪膚これを父母に受く あえて毀傷せざるは孝の始めなり」と述べ、生命の守護神(サムハラ神)に深く感謝したとのことです。

曾子は孔子の弟子で、孔子と曾子との問答を曾子の弟子が記録したのが「孝経」です。上の言葉はもともと孔子が述べたもので、あとに「身を立て道を行ひ 名を後世に揚げ 以て父母を顕(あらは)すは 孝の終りなり。それ孝は親に事(つか)ふるに始まり 君に事(つか)うるに中(あた)り 身を立つるに終ふ」と続きます。曾子は師匠の孔子の教えた親への孝養を実践できたと言いたかったのでしょう。

この他にも、加藤清正が文禄・慶長の役に出陣した時、「サムハラ」を刀に彫り付けていたので九死に一生を得たとの逸話もあります。

ほかにも、女優の浜木綿子さんが公演中事故に遭ったが怪我を免れた話や、小倉屋山本の社長の山本利助氏が交通事故に遭ったが怪我を免れた話、元首相の宇野宗佑の伯父で実教出版の経営者だった宇野豊蔵氏が交通事故に遭ったが怪我を免れた話が、神社の外に掲示されています。

「サムハラ神」は、自分が身代わりになって人間を守ってくれるという霊験あらたかな神様のようです。

この神社の近辺の多くの企業も、「サムハラ神社」のお札を初詣の時にお祓いを受けた後に受領し、営業所内に祀っています。私が以前勤めていた会社でもそのようにしていました。

5.コッホ北里神社

最後に外国人を神様として祀ったとてもユニークな神社をご紹介します。

「コッホ北里神社」は、埼玉県北本市の北里大学キャンパス内にある神社です。「北里柴三郎」と言えば2024年に発行される新千円札に肖像画が登場する「日本細菌学の父」と呼ばれる医学者・細菌学者で、コッホは彼の恩師です。

1910年にコッホの訃報に接した北里柴三郎が「コッホ祠」を建てました。その後、彼の門下生が「北里祠」を「コッホ祠」の近くに建てましたが戦災で焼失したため、「コッホ祠」に合祀されました。

当初は港区白金台(現在の北里大学白金キャンパス敷地内)にありましたが、北里研究所の創設を機に現在地に遷座したそうです。