<2023/4/24追記>スーダンからの在留邦人退避も、相変わらず日本政府の初動が遅い!
スーダン国軍と「即応支援部隊」(RSF)との内戦が続くスーダンからの外国人避難は、アメリカとイギリスは現地に駐留する大使館員ら自国民退避は4月23日にすでに完了し、ドイツも退避計画が進行中とのことです。
現地では政府系の準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」と正規軍が21日から3日間の停戦で合意しましたが、交戦が続いています。
サウジアラビア外務省も22日、「友好国」12カ国とともに船で退避したと発表しました。これまでに脱出したのは、15カ国の260人以上にのぼります。
しかし日本については、自衛隊の輸送機3機が隣国ジブチに到着したようですが、まだ退避計画を検討中とのことです。
どうも相変わらず日本政府が初動対応が遅いようです。
<2021/8/31追記>アフガニスタンの邦人らの救出・移送の失敗。過去の教訓が生かされず
混乱のアフガニスタンからの移送対象は国際機関で働く日本人、大使館や国際協力機構(JICA)の現地スタッフとその家族などで約500人とみられていました。
しかし、8月26日に自衛隊機が移送した邦人は女性1人だけでした。つまり「対象者のほとんどを移送できなかった」というのが実態です。
「自衛隊」は移送を命じられればその行動に移りますが、移送するか否かなどのアクションをとるのは、あくまでも「外務省」と「国家安全保障局」の情報に基づく「政府(国家安全保障会議)」の決定に基づきます。
8月末で米軍が撤収することはバイデン大統領の声明で分かっていました。
米国はすでに数万人のアフガニスタン人協力者などを米国などに移送したと発表していますし、英独仏も自国民はもちろん、アフガニスタンでの現地協力者ら数千人から1万人超をそれぞれ移送しています。明らかに日本の移送作戦は外国に後れを取りました。
日本は韓国にすら後れを取っています。韓国の金萬基(キム・マンギ)国防部国防政策室長は「内部で(現地人の移送作戦が)8月初めから論議されてきた」と明かし、首都カブールがタリバンに占領(8月15日)される前から輸送作戦に入っていたとのことです。
平和ボケで、軍事面や安全保障面でアメリカに頼り過ぎ、日本独自の判断で救出作戦に着手できなかったようです。「菅政権の危機管理能力の欠如」が、図らずも露呈された形です。
今回の中国・武漢を発生源とする「新型コロナウイルス肺炎」の感染急拡大を受けて、武漢など湖北省在住の邦人650人を救出するために、1月28日に政府専用機やANAの「チャーター機」を少なくとも3機飛ばすことになっていました。しかし、中国側との「調整がつかず」「キャンセル」されました。
<2020/2/17追記>
その後、中国側との調整がついて、合計5回のチャーター機派遣で828人の帰国希望者全員が日本に戻ってきました。
1.過去における「在留邦人救出事例」の苦い教訓
(1)イラン・イラク戦争
「イラン・イラク戦争」とは1980年から1988年にかけてイランとイラクとの間で行われた戦争です。この戦争はなかなか終わらないため「イライラ戦争」とも呼ばれました。
(2)イラクによる「無差別攻撃宣言」
両国による都市爆撃の応酬が続く中、1985年3月17日にイラクのフセイン大統領が、「48時間の猶予期限以降にイラン上空を飛ぶ航空機は。無差別に攻撃する」と突然一方的に宣言しました。
(3)外国人は「自国の救援機」により次々と脱出
この宣言後、イランに住む日本人以外の外国人は自国の航空会社や軍の輸送機によって次々と脱出していきました。
(4)日本は「日航労組の抵抗」で救援機を飛ばせない事態に
政府(当時の首相は中曽根康弘氏)は日本航空に対して「チャーター便」の派遣を要請しました。しかし同社のパイロットと客室乗務員で組織する労働組合が、「組合員の安全が保障されない」ことを理由に要請を拒否しました。こんな体たらくだから日航は潰れたのかもしれませんが「ナショナルフラッグ」として恥ずかしいと思います。
在イラン日本大使館の野村豊大使は、フセイン大統領の「イラン戦争空域宣言」を受けて直ちに本省に「救援機派遣要請」を出しましたが、本省からは「イランとイラク両国から安全保障の確約を現地で取得せよ」との指示でした。こんな確約が取れないことは誰にでもわかります。
「自国民の生命財産の保護」は、大使館の最も重要な仕事です。日本以外の国は、自国民が外国でクーデターや災害等に巻き込まれると、救援機や輸送機で自国民を救出する慣例があります。しかし日本では「55年体制論争」が続いており、社会党の「自衛隊を海外に出すことは、侵略戦争につながる」という主張によって、「海外在留邦人を救出するための手段が必要だ」という声も押しつぶされていました。
当時の自衛隊法は、自衛隊の外国における活動を人道目的も含めて想定しておらず、またイランまでノンストップで飛行できる航空機が配備されていませんでしたので、自衛隊を派遣することは事実上不可能でした。
なお、当時は「政府専用機」はありませんでした。「政府専用機」とは、「日本政府が所有・運航を行い、政府要人の輸送や、在外の自国民保護などに使用される航空機」で、1992年から運用が開始されました。実際の管理・運用は、防衛省航空自衛隊が行っています。
(5)在イラン日本大使館による「他国への救援要請」は失敗
在イラン日本大使館は、救援機を派遣した各国に在留邦人救出を依頼しましたが、ことごとく失敗しました。どの国も自国民救出に手一杯で、日本人を乗せてもらうことはできませんでした。当然のことながら、どこの航空会社も「自国民優先」でした。
200人を超える日本人は、全く脱出方法が見つからず、生命の危機に瀕していました。
(6)「伊藤忠商事」から「トルコ首相」への救援要請
そんな中、伊藤忠商事の本社から、同社のトルコ・イスタンブール事務所長の森永堯氏あてに電話があり、同氏の旧知である「トルコ首相のオザル氏に、トルコ人救出のための救援機に日本人を乗せてくれるよう依頼してくれ」との懇請がありました。
森永氏の頭には、「イランにいる日本人の問題で、当事国はイランと日本で、トルコは全く関係のない第三国なのに、なぜトルコが巻き込まれなければならないのか?」という疑問がすぐ浮かびました。
テヘランには大勢のトルコ人もいるので、トルコ政府としては自国民救出対策で頭が一杯のはずで、交渉は困難が予想されました。彼は「当たって砕けろ」の思いでオザル首相に電話し、必死に在留日本人の窮状を説明しました。しばらく沈黙の後、「YES」という返事がありました。
(7)トルコによるイラン在住邦人救出実行
そして、日本人救援のためにトルコ航空の特別機を1機出してくれることになり、イラン在住邦人は間一髪で無事に救出されました。トルコは自国民に陸路を取らせてまで、日本人救出を優先させてくれました。
このトルコによる救援は、森永氏とオザル首相との個人的な信頼関係や駐イラン大使野村豊氏とトルコの駐イラン大使ビルセル氏との家族ぐるみの付き合いのほかに、「エルトゥールル号遭難事件」への「95年後恩返し」という意味も大きかったようです。
「エルトゥールル号遭難事件」とは、「1890年9月16日夜半にオスマン帝国(その一部が現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号が、現在の和歌山県東牟婁郡串本町沖の海上で遭難し、500人以上の犠牲者を出した事件」です。その時、串本町大島の住民が必死の救助に当たり、69人を救出しました。その後、日本海軍の巡洋艦でトルコまで丁重に送ったという話です。この話はトルコの学校の教科書にも載っており、トルコの子供たちに教えられているそうです。
この事件を契機として、トルコは親日国となりました。
2.今後予想される「邦人救出」作戦の体制
今後、「朝鮮半島有事」や「イラン・イラク・シリアなどの中東有事」が予想されますが、そのような時、「政府専用機」あるいは「自衛隊機」がどのように邦人救出に向かえる体制にあるのか確認したいと思います。
(1)現在の邦人救出体制
現在は、有事の場合、「外務省」が「在外公館を通じて」、「相手国の許可」を得た上で、「航空自衛隊」の「日本国政府専用機」や「海上自衛隊」の「護衛艦」により、邦人救出を行うことになっています。
ただ、「朝鮮半島有事」の場合、「韓国」が「自衛隊機の着陸」や「自衛隊の艦船の入港」を許可するのか疑問です。この場合は「在韓米軍」に頼るしかないのでしょうか?「在韓米軍」としても「自国民優先」のはずですので、1985年の「イラン・イラク戦争」の時と同じように在留邦人が取り残される懸念なしとしません。
防衛省はPFI法に基づき設立された特別目的会社「高速マリン・トランスポート(株)」と、同社が運航管理するカーフェリー2隻を有事の際に使用できる契約を結んでいるそうです。しかし、昨年、北朝鮮による長距離弾道ミサイル発射に際して自衛隊が同船による部隊移動を検討したにもかかわらず、船員が加盟する「全日本海員組合」が難色を示したため断念した経緯があることも不安要素です。
「イラン・イラク・シリアなどの中東有事」の場合は、どうなるのかはっきりわかりませんが、こちらも「中東に派遣されている米軍依存」となるのでしょうか?
(2)補助体制
また「陸上自衛隊」も「在外邦人輸送訓練」を毎年行っているほか、「海上保安庁」も「必要に応じて巡視船艇や保安官を派遣する」ことになっています。