不平等条約改正の契機となったノルマントン号事件。今、日本は毅然たる外交を!

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ノルマントン号事件風刺画

<フランスの画家ビゴーによる「ノルマントン号事件」の風刺画>

1.「ノルマントン号事件」

1886年(明治19年)10月24日午後8時ごろ、横浜港から日本人乗客25人と雑貨を乗せて神戸港に向かったイギリス船籍の貨物船ノルマントン号が、暴風雨のため紀州沖で沈没座礁しました。

船長以下イギリス人やドイツ人などヨーロッパ人乗組員26人は、全員救命ボートで脱出し、漂流していたところを沿岸の漁村の人々に救助され手厚く保護されました。ところが、インド人水夫および日本人乗客25人は一人も避難できず、船中に取り残されたりして全員が溺死しました。

25人の日本人乗客については、一人の水死体も上がらなかったことから「船倉に閉じ込められた」とも推測されました。

日本人乗客を見殺しにした疑いで船長の責任が問われたものの不問となり、船長らの「人種差別的行為」と、「不平等条約」による「領事裁判権」に対する国民的反発が沸き起こりました。

これが「ノルマントン号事件」と言われるものです。

2014年4月16日に韓国の大型旅客船「セウォル号」が沈没し、修学旅行中の高校生や教員らを中心として死者299人と行方不明者5人を出したにもかかわらず、船長が真っ先に逃げ出し船員も乗客を捨てて逃げ出したという「セウォル号事件」がありました。これは韓国人同士の事件で、「人種差別事件」ではありませんが、「船長の最後退船義務」という最大の義務を放棄したという点で「ノルマントン号事件」と同じです。

2.「領事裁判権」の問題

10月28日、和歌山県知事からの報告を受けた時の外務大臣井上馨は、「日本人乗客全員が死亡したこと」に不審を持ち、実況調査を命じました。

船長や船員の日本人乗客に対する「非人道的行為」と、その背景にある「人種差別」に対して国内世論は沸騰しました。当時は現代のようにネット社会ではありませんが、国民の意識が今と比べて格段に高かったようです。その結果、多くの国民が「欧米人の日本人に対する不当な取り扱い」に義憤の声を上げたのでしょう。マスコミも援護射撃をしています。

現代は、戦後教育によって愛国心が骨抜きにされ、日本国憲法によって「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という現実を直視しない平和ボケの風潮が蔓延しているのでしょう。マスコミの論調もそれに輪をかけているのかもしれません。

東京日日新聞も、「船長以下20人以上の水夫も助かったのだから、1人や2人の日本人乗客とても助からないはずがない」「西洋人乗客なら助けたのに日本人なるがゆえに助けなかったのではないか」と批判しています。

11月1日、英国領事が「領事裁判権」に基づき、「海難審判」を行い、「船員は日本人に早くボートに乗り移るよう勧めたが、日本人は英語がわからず、その勧めに応じずに船内に籠って出ようとしなかったので、しかたなく日本人を置いてボートに乗り移った」との陳述を認めて、11月5日に船長以下全員に無罪判決を下しました。ちなみに「領事裁判権」は「治外法権」の一部です。

しかし、これは誰が考えても「嘘の供述」だと思います。船が難破して沈没しそうだという危険が迫った時に、日本人の誰一人として助かろうとしてボートに乗り移らないということは考えられません。

この判決に、当然ながら日本国民は悲憤慷慨したそうです。東京日日新聞も、「いかに日本人は無知だといえ、危にのぞんで、危うきを知らず、助けをえて、助けをかりることを知らないほどの白痴瘋癲であるはずはない」と抗議しています。

当時、「鹿鳴館」での舞踏会をはじめとする「欧化政策」によって条約改正を目指していた井上馨外務大臣も、沸騰する国内世論を押さえきれず、11月13日に兵庫県知事に命じて船長らが神戸を出港するのを押さえて、「殺人罪」で告訴させました。

12月8日、横浜領事裁判所で行われた「刑事裁判」では、船長は禁固3カ月の有罪判決でしたが、船員は無罪となり、死者への賠償金も支払われませんでした。

ただ、裁判権が日本側にあったとしても、「死人に口なし」で被害者の訴えを聞くことができませんので、船長や船員が口裏を合わせて自分たちに不利な供述をしなければ、厳罰に処すことは難しかったかもしれません。

3.「不平等条約」とは

欧米列強は武力を背景にして幕府に強制的に「開国」させ、欧米の「条約システム」に日本を組み込みました。ただ、その内容たるや「不平等・片務的・欧米最優遇」なもので日本にとって屈辱的なものでした。

幕府が1858年(安政5年)に、アメリカ・ロシア・オランダ・イギリス・フランスと結んだ通商条約(安政五か国条約)の要点は次の3つです。

①外国に「領事裁判権」を認め、外国人犯罪に日本の法律や裁判が適用されない(治外法権)

②日本に「関税自主権」(輸入品にかかる関税を自由に決める権限)がなく、外国との協定税率に縛られる

③無条件かつ片務的な「最恵国待遇」条款を承認する

4.不平等条約改正への道

(1)岩倉使節団の交渉:失敗

(2)欧化政策と鹿鳴館外交:失敗

(3)ノルマントン号事件:改正への国民的機運が高まり、交渉活発化

(4)青木周蔵の外交と大津事件:イギリスが日本と連携し始め、一歩前進

(5)陸奥宗光の外交:「領事裁判権の撤廃」(第一次条約改正)に成功

陸奥宗光は、日清戦争直前に「日英通商航海条約」(1894年)を締結することにより、「領事裁判権の撤廃」と「関税自主権の一部回復」に成功しました。成功の要因は、彼が世界情勢を冷静に見極めたからです。

当時イギリスは、清に利権を持っていましたが、ロシアの清進出に危機感を抱いていました。そこでイギリスは日本に協力を依頼してきたので、彼はイギリスに協力する条件として「条約改正」を持ち掛け、成功したのです。大国イギリスとの条約改正に成功したおかげで、他の諸国との条約改正交渉もスムーズに行ったのです。

(6)小村寿太郎の外交:日清・日露戦争後「関税自主権の回復」(第二次条約改正)に成功

小村寿太郎は「関税自主権の完全回復」を目指して、最初はイギリスと条約改正交渉を始めました。当時日本はロシアの動きに対抗するための「日英同盟」(1902年)を結んでいたので、交渉しやすいと考えたのですが、難航してしまいます。

そこで彼は「優先交渉国」をイギリスからアメリカに変更したのです。アメリカとの交渉がスムーズに行った理由は、アメリカが日本との協調路線に転換していたことです。もう一つは、当時アメリカで「日本人移民排斥運動」が起きていましたので、移民を制限する「日米紳士協約」を結んでいましたが、この協約を維持することを条件に「関税自主権の完全回復」を働きかけて成功したのです。その後イギリスなど他の国との条約改正にも成功します。

「ウィンウィンの関係」ということでしょう。

5.現在の日本外交はお人好し過ぎる

近年の安倍首相の外交を見ると、韓国に対してはようやく「きちんと筋を通す方針」に変更しましたので、これは評価すべきだと思います。

しかし、ロシアや中国に対しては、毅然とした態度がありません。両国による日本人に対する不当な拘束(ロシアによる日本漁船拿捕や、中国による日本人のスパイ容疑逮捕など)に対して、断固たる抗議と今後このような不当な拘束をしないようにくぎを刺してほしいものです。

フランスも、カルロス・ゴーン被告に関して何度も日本政府に圧力を掛けていたようです。筋違いの圧力に対しては、公正な日本の司法制度を守るためにも毅然とした態度を貫いてほしいものです。

ロシアとの北方領土返還交渉についても、プーチン大統領は2島はおろか1島も返還する気はなさそうです。「盗人に追い銭」のような結果にならないよう、前のめりになりすぎないようにしてほしいものです。

北朝鮮も、核開発をやめる気はなさそうですし、拉致被害者を返還する気もなさそうです。こちらも、前のめりになりすぎないようにしてほしいものです。

諸外国は、「自国ファースト」で牙をむいて来るのが、昔からパワーポリティクスの現実です。日本政府は「お人好し過ぎる」ことのないよう、毅然とした態度で「日本の国益最優先」の外交を貫いてほしいものです。



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