荻生徂徠は赤穂浪士の切腹処分を主張した御用学者!

フォローする



荻生徂徠

「赤穂事件」(いわゆる忠臣蔵)の赤穂浪士の処分を巡っては、林鳳岡・室鳩巣・浅見絅斎らの主張する「賛美助命論」と、荻生徂徠らの主張する「義士切腹論」が対立しました。

しかし結局荻生徂徠らの主張する「義士切腹論」に決着しました。

林鳳岡は1703年の「復讐論」で、「義士」たちが主君の仇を討つのは儒教的道義にかなうとして、彼らの行動を賛美しました。同時に、彼らは法を犯した者たちであるから、「法律」の観点からは処罰は正当であるとして、幕府の裁定を是認しています。

室鳩巣は1703年の「赤穂義人録」で、義士を賛美しましたが、大石の忠義を称えつつも、彼の家老として主君を補佐する能力の不足を批判しています。

荻生徂徠は1705年頃の「四十七士の事を論ず」で、内匠頭は幕府に処罰されたのであって吉良に殺されたわけではないから、吉良上野介は赤穂浪士にとって「君の仇」ではなく、内匠頭の行為も先祖の事を忘れた不義の行為と断じました。したがって赤穂浪士の行動は、同情の憐れみを禁じ得ないものの、「君の邪志」を引き継いだものだから「義」とは認められないとしています。

このような幕府の決定に大きな影響を与えた荻生徂徠という学者はどのような人物だったのでしょうか?

今回はこれについて考えてみたいと思います。

1.「荻生徂徠」とは

荻生徂徠(おぎゅうそらい)(1666年~1728年)は、江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者です。

(1)生い立ち

彼の父は当時館林藩主だった徳川綱吉の侍医で、江戸で生まれています。幼少から学問に優れ、林春斎・林鳳岡に学んでいます。

しかし1679年に父が綱吉の怒りに触れて江戸から放逐され蟄居することになったため、上総国に移ります。そこで主要な漢籍・和書・仏典を13年あまり独学し、後の学問の基礎を作っています。

(2)貧乏学者時代

父の赦免に伴って江戸に戻り、芝増上寺の近くに私塾を開きますが、当初は貧しく食事にも不自由していたところ、近所の豆腐屋に助けられたと言われています。

(3)柳沢吉保による抜擢

やがて彼の学識が認められ、1696年から幕府の側用人柳沢吉保に仕えることになり、5代将軍徳川綱吉の学問相手にもなります。そのような経緯から、赤穂浪士の処分を巡っての議論で、彼の「天下の法を曲げることは出来ない」「桜の花のように潔く散らせてやるのが武士の情け」という意見が容れられることになったのかもしれません。

もちろん「法に則り、厳罰に処すべし」という意見は彼なりの政治上の信念があったのでしょうが、かつての学問の師である林鳳岡らの「賛美助命論」を遠慮なく退けています。

1706年には柳沢吉保の命によって甲斐国を見聞し、紀行文「風流使者記」「峡中紀行」を著しています。

(4)経世済民の儒学

その後、徳川綱吉が亡くなり柳沢吉保が権勢を失うと、彼は藩士の身分のまま藩邸を出て、江戸市中で自由な学者として活動することになります。

8代将軍徳川吉宗から間接的に政治上の諮問を受けるようにもなります。この諮問に応え、幕府政治の改革案を述べた著書「政談」を提出するなど、現実の政治にも深くかかわりました。

吉宗は紀州藩から「御庭番」と呼ばれる「隠密」を連れてきましたが、荻生徂徠も、もとは「隠密」だったと言われています。

彼の学問は、「政治社会に対する有用性」を眼目としており、「経世済民の儒学」と言えます。彼は政治社会の統一と安定を目指しました。

彼は「朱子学」を「憶測に基づく虚妄の説に過ぎない」と厳しく批判しています。それで朱子学派の林鳳岡(大学頭)や室鳩巣、浅見絅斎らと対立したのでしょう。

2.「徂徠豆腐」とは

「徂徠豆腐」は、落語や講談・浪曲の演目となっています。

これは将軍の御用学者となった徂徠と、貧窮時代の徂徠の恩人の豆腐屋が、赤穂浪士の討ち入りを契機に再会する話です。

江戸落語では、徂徠は貧しい学者時代に空腹のために金を持たずに豆腐を注文して食べてしまいます。「無銭飲食」ですが、豆腐屋はそれを許してくれたばかりか、自分も貧しいのに徂徠を支援してくれます。その豆腐屋が、浪士討ち入りの翌日の大火で焼け出されたことを知り、徂徠は金銭と新しい店を豆腐屋に贈ります。ところが、「義士を切腹に導いた徂徠からの施しは江戸っ子として受けられない」と豆腐屋は突っぱねます。

それに対して徂徠は、「豆腐屋殿は貧しくて豆腐をただ食いした自分の行為を「出世払い」にして、盗人になることから自分を救ってくれた。法を曲げずに情けをかけてくれたから、今の自分がある。自分も学者として法を曲げずに浪士に最大の情けをかけた、それは豆腐屋殿と同じ」と法の道理を説きました。

さらに、「武士たる者が美しく咲いた以上は、見事に散らせるのも情けのうち。武士の大刀は敵のために、小刀は自らのためにある」と武士の道徳について語りました。

この理路整然とした話に豆腐屋も納得して贈り物を受け取るという筋です。

「浪士の切腹」と「徂徠からの贈り物」をかけて「先生はあっしのために自腹を切って下さった」と言う豆腐屋の言葉が「オチ」になります。



シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする