「皇室典範に関する有識者会議」(小泉純一郎首相の私的諮問機関)は、日本の皇室において、1965年(昭和40年)の秋篠宮文仁親王誕生以後に男性皇族が40年誕生していないため、若年の男性皇族が不足し、将来の皇位継承に支障をきたす恐れがあることから2004年(平成16年)12月27日に設置され、皇位継承やそれに関連する制度について2005年(平成17年)1月より17回の会合を開き、同年11月24日には皇位継承について「女性天皇・長子優先」を柱とし、「皇族女子が民間男性と結婚し、その子供は皇位継承権を有する(いわゆる女系天皇容認)」とする報告書を提出しました。
同年5月31日に行われた第6回会合では、大原康男(國學院大學教授)、高橋紘(静岡福祉大学教授)、八木秀次(高崎経済大学教授)、横田耕一(流通経済大学教授)の4人から、また同年6月8日に開かれた第7回会合では、鈴木正幸(神戸大学副学長)、高森明勅(拓殖大学客員教授)、所功(京都産業大学教授)、山折哲雄(国際日本文化研究センター名誉教授)の4人からそれぞれヒアリングを行いました。
なお、本会議の内容は2021年(令和3年)に菅義偉内閣によって開催された『「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議』によって更新されています。
2006年に秋篠宮家の長男悠仁(ひさひと)親王が生まれる前は、上記のように愛子内親王を将来「女性天皇」として認めるべきかどうか、また「女系天皇の是非」についてもいろいろと議論がありました。
そこで今回は「女性天皇と女系天皇の違いと問題点」についてご紹介したいと思います。あわせて日本最初の女性天皇の推古天皇についても解説します。
1.女性天皇と女系天皇の違いと問題点
(1)女性天皇と女系天皇の違い
「女性天皇」「男性天皇」という言い方は、性別による分け方です。
これに対して「女系天皇」「男系天皇」という言い方は、皇統(天皇の血統)による分け方です。
「男系天皇」は、「父親が皇統に属する天皇」のことで、「女系天皇」は、「母親しか皇統に属さない天皇」のことです。
したがって、「男系天皇」にも「男性天皇」と「女性天皇」がおり、「女系天皇」にも「男性天皇」と「女性天皇」がいることになります。
歴代の「女性天皇」は推古天皇を含めて8人いますが、いずれも「男系天皇」です。
(2)女性天皇と女系天皇の問題点
皇室典範では第1条で、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とし、第12条で「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」と規定しているため、現時点での皇位継承資格者は秋篠宮・悠仁親王・常陸宮の3人です。皇位継承資格者がどんどん減少して行くことを懸念している人もいるようです。
しかし共同通信社が2020年3月~4月に実施した「皇室に関する世論調査」によると「女性天皇を容認する意見」が約85%で、「女系天皇を容認する意見」も約79%でした。
ですから、皇室典範を改正して、この規定を廃止し、女性天皇を容認するとともに愛子親王を皇位継承第1順位にするのが、大半の国民の意向に沿うものだと思います。
(3)私の考え方
結婚前に社会的批判を浴びるようなスキャンダルを持った人物は、将来の天皇の結婚相手として論外です。
しかし、愛子内親王の結婚相手が人格的にも問題なく能力も優秀な配偶者なら「女系天皇」を認めても何ら問題はないと私は思います。「男系天皇でなければならない」という議論は説得力がありません。
逆に「皇籍を離脱して一般人になった人を再び皇族に戻して宮家を創設する」というのは、令和の即位関係の儀式などを見てもわかるように皇室関係に多額の税金が投入されていることや、いまだに天皇家と皇族にだけ「時代錯誤の身分制度」を残していることを考えると、税金の無駄遣いであり論外です。
かつて、上皇が皇太子時代に正田美智子さんとの結婚について、良子皇后や皇族が「皇族や華族出身でない」と言う理由で大反対したところ、昭和天皇が「皇室に新しい血を入れるべきだ」と述べて賛成したそうですが、昭和天皇の考え方は真っ当だったと私は思います。
正田美智子さんは「軽井沢のテニスコートでの出会い」をきっかけに誕生した皇族や旧華族でない初の「平民」出身の皇太子妃でした。良子皇后や皇族の考え方は「戦前の身分制度に基づく時代錯誤も甚だしい意見」だったと私は思います。
将来的に皇位継承者がいなくなった場合は、その時点で国民投票により憲法を改正して「天皇制廃止」をすればよいと思います。
天皇の歴史を振り返ると、天皇は「日本人にとってなくてはならない存在」と言うよりも、「権力者が自己の権威付け・錦の御旗として、統治に利用してきた存在」であり、「後継者をめぐって、権力者・外戚や天皇・上皇らが権力争い・主導権争いを繰り返してきた存在」であることがわかります。
私は、絶滅危惧種の生物種を人為的に保護することは、やるべきではないと思っています。天皇制も、後継者がなければ、国民主権の時代に本来そぐわない存在なので廃止しても問題はないと思います。
そして、皇居を「国民公園」として国民に開放すれば、都心に奇跡的に残る武蔵野の自然を残す森として、自然観察の森や市民の憩いの場になることは間違いありません。
2.日本最初の女性天皇である推古天皇と蘇我馬子、聖徳太子との関係
推古天皇(554年~628年、在位:592年~628年)は欽明天皇(第29代)の第三皇女で第33代天皇となった人物で、「日本最初の女性天皇」です。母親は「蘇我堅塩媛(そがのきたしひめ、大臣・蘇我稲目の娘)」で、蘇我馬子(?~626年)は叔父にあたります。
576年に異母兄の敏達天皇(第30代)の皇后となりましたが、585年に敏達天皇が亡くなり、同じく異母兄の崇峻天皇(第32代)が蘇我馬子に暗殺されたため、蘇我氏の出として蘇我馬子に擁立されて592年天皇に即位しました。
余談ですが、崇峻天皇は歴史上「暗殺されたことが明らかな唯一の天皇」です。天皇が蘇我馬子を嫌っていることを明言したことがわかったため、蘇我馬子が部下に命じて暗殺しました。暗殺した部下は、口封じの意味もあったのか、後に蘇我馬子によって殺害されました。なお、明治天皇の父の孝明天皇については「 倒幕派による毒殺説」があります。
甥の聖徳太子(574年~622年)を皇太子・摂政とし、治世中は太子を中心として「冠位十二階」の設定、「十七条憲法」の制定、暦の使用、「天皇記」「国記」などの編纂、遣隋使派遣などを行いました。