与謝蕪村はどんな人物でどんな生涯を送ったのか?わかりやすくご紹介します

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与謝蕪村肖像

最近私は昔の有名な芸術家や文化人がどのようにして生計を立て、どんな人生を送ったのかに興味を持つようになりました。特に経済的側面が気になります。

そこで今回は画家で俳人の与謝蕪村について、わかりやすくご紹介したいと思います。

与謝蕪村毛馬の句碑

なお、私はサイクリングが趣味で、高槻市と枚方市を結ぶ枚方大橋から淀川左岸の堤を自転車を漕いで大阪市内まで行くことがあるのですが、毛馬(大阪市都島区毛馬町)には「蕪村生誕地碑」と「蕪村の句碑」が建っています。句碑には「春風や堤長うして家遠し」の句が刻まれています。

1.与謝蕪村は何で生計を立てていたのか?

与謝蕪村は俳句で有名ですが、本業は画家でした。彼は写実的な「紫陽花と郭公」「鳶と烏」、俳画文「奥の細道絵巻」、おどろおどろしい「妖怪絵巻」「素朴絵」などいろいろなジャンルの絵画を描いていますが、メインは「十便十宜図」「夜色楼台図」などの「文人画」です。

「文人画」はもともと中国で生まれた絵画のジャンルですが、「画力的には本職の画家より劣る部分はあっても、知識のある文人が描いた絵には内容に深みがある」と言われ始めたことから生まれました。

日本では墨で描く山水画と融合して、日本独自の絵画となりました。日本の文人画(南画)を完成させたのは池大雅(1723年~1776年)と与謝蕪村(1716年~1784年)です。この二人は「十便十宜図」という文人画を合作(「十便」を池大雅が描き、「十宜」を与謝蕪村が担当)しています。

文人画家の田能村竹田(1777年~1835年)は「山中人饒舌」の中で、池大雅と与謝蕪村を「一代、覇を作(な)すの好敵手」と述べている通り、早くから文人画の大家として池大雅と並び称されていました。

彼はまた俳諧と画を融合させた「俳画」の創始者でもあります。

彼は俳諧の師早野巴人の没後は江戸を去り、巴人門人の縁故を頼って10年あまり関東・奥州を遊歴しています。その時は絵を宿代の代わりに置いて、旅をつづけたそうです。この旅の中で画業の基礎を固めたようです。

2.与謝蕪村はなぜ松尾芭蕉のような「一門」を形成しなかったのか

彼は画家が本業で俳諧はいわば「余技」であり、俳壇において一門の拡大を図ろうとする野心はなく、趣味や教養を同じくする者同士の高雅な遊びに終始したということです。

彼の俳句は、明治時代に俳句革新運動を起こした正岡子規に大きな影響を与えています。

3.与謝蕪村の俳句

・菜の花や 月は東に 日は西に

・春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな

・春雨や ものがたりゆく 蓑と傘

・夏河を 越すうれしさよ 手に草履

・夕立や 草葉をつかむ むら雀

・愁ひつつ 岡にのぼれば 花いばら

・五月雨や 大河を前に 家二軒

・不二ひとつ うずみ残して 若葉かな

・牡丹散りて うち重なりぬ ニ三片

・鳥羽殿へ 五六騎いそぐ 野分かな

・朝顔や 一輪深き 淵の色

・山は暮れて 野は黄昏の すすきかな

・斧入れて 香におどろくや 冬木立

・寒月や 門なき寺の 天高し

・宿かせと 刀投げ出す 吹雪かな

4.与謝蕪村の絵画

与謝蕪村・紫陽花郭公図与謝蕪村・十宜図与謝蕪村・夜色楼台図

与謝蕪村・奥の細道絵巻与謝蕪村・素朴絵与謝蕪村・鳶鴉図蕪村妖怪絵巻与謝蕪村・妖怪絵

5.与謝蕪村の生涯

与謝蕪村(1716年~1784年)は、摂津国毛馬村(現在の大阪市都島区毛馬町)出身の俳人・画家です。本姓は谷口ですが、丹後の与謝地方を旅した後、与謝の姓を名乗るようになります。

「蕪村」という号は、中国の詩人陶淵明の「帰去来辞」の「帰りなんいざ、田園将(まさ)に(あ)れなんとす」に由来すると言われています。

俳号は「蕪村」以外に「宰鳥」「夜半亭(二世)」があり、画号は「春星」「謝寅(しゃいん)」など複数あります。

豊かな農家に生まれましたが両親と家産を失い、17~18歳頃に江戸に出て、画や俳諧を学び、俳諧の師早野巴人(1676年~1742年)が没してからは江戸を去り、巴人門人の縁故を頼って10年あまり関東・奥州を遊歴した後、1751年に京に定住することになりました。そのころから次第に絵画・俳句ともに声価を高め、1770年には「夜半亭」を継いで宗匠の列に連なっています。

彼の俳諧の師早野巴人は芭蕉の高弟である宝井其角の弟子ということもあり、蕉風俳諧を信奉していますが、彼独自の絵画的(写実的)・抒情的・浪漫的な句で俳諧を中興(中興俳諧)しました。

45歳頃に結婚して一人娘「くの」を儲けますが、51歳の時には妻子を京に残して讃岐に赴き多くの作品を残しています。

再び京へ戻った後は、島原花街の角屋(すみや)で俳諧を教えるなどして、以後は京で生涯を過ごしています。



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