夏目漱石財団は、遺族の夏目一人が設立。しかし夏目房之介らの反対で解散。

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夏目漱石の一族

<夏目家の一覧表>(Wikipediaより)

夏目漱石(1867年~1916年)の没後93年も経った2009年4月1日に、夏目漱石の遺族の夏目一人(かずと)が、「一般財団法人 夏目漱石」(以下、「夏目漱石財団」と記す)を設立するという不可解な騒動がありました。

今回はこれについてご紹介したいと思います。

1.「夏目漱石財団」と「夏目一人」

(1)夏目漱石財団とは

財団設立の趣旨は、「夏目漱石の偉業を称えるとともに文芸の復興を図り、豊かな社会の実現に寄与する」となっていました。

漱石に関する人格権、肖像権、商標権、意匠権その他無体財産権の管理事業を行い、また漱石賞や漱石検定、各種フォーラムを実施するとしていました。

夏目一人が代表理事を務めるほか、夏目沙代子(夏目一人の母親)が役員に加わりました。

この財団の設立に関しては、親族間で反対する動きが起こりました。その主導的役割を演じたのが、漱石の孫である漫画家の夏目房之介でした。

漱石という存在はすでに我が国の共有文化財産であり、その利用に遺族や特定の者が権利を主張し、介入すべきではない」と、反対理由を述べています。

彼の呼びかけに同意した親族は、半藤末利子、吉田一恵、仲地漱祐、岡田千恵子、夏目倫之助、新田太郎、松岡陽子マックレイン、夏目季代子でした。

この動きに対して、財団側では「財団設立に際し親族間の行き違いがあり、現在当事者間の話し合いを進めているところです」とコメントしていましたが結局、同財団は、2009年10月5日までに解散することを決めました。

この財団設立騒動は、著作権に無知な遺族の夏目一人が、漱石の知名度を利用して利益を得ようとする目論見だったというのが真相のようです。「不肖の曽孫」と言うべきでしょうか?

(2)夏目一人とは

夏目一人(1972年~ )は、漱石の次男で随筆家の夏目伸六(1908年~1975年)の孫にあたる人物です。彼は博報堂に勤務後、クリエイターとして活動しており、カルチュラル・クリエイティブス(株)の代表となっています。

2.「夏目房之介」の反対と「各方面への周知」

(1)夏目房之介とは

夏目房之介

夏目房之介(1950年~ )は、漱石の長男でバイオリニストの夏目純一(1907年~1999年)の長男に当たる人物です。彼は1973年に青山学院大学文学部(中国史専攻)を卒業後、「エルム社」という小さな出版社に勤めましたが、片手間に挿絵イラストレーターの副収入を得ていました。入社3年目の1976年にエルム社が倒産したため、フリーのイラストレーター・漫画家となっています。

「漱石の孫が漫画を描いている」という話を聞きつけた「週刊朝日」の取材を受けたのが縁で、同誌が1978年に始めた新コーナー「デキゴトロジー」のイラストを担当することになります。これが1982年に『學問』という彼がメインの漫画コラムに発展し、漫画コラムニストとしての評価を固めました。

私はNHKの番組だったと思いますが、彼が祖父漱石の留学したロンドンを訪ねるドキュメンタリーを見た記憶があります。

(2)各方面への周知

彼は報道機関に文書を送るとともに、それをブログ上で公開しました。彼の判断と行動は正しかったと私は思います。

①「夏目漱石財団」なるものについて

最近、僕のところに「夏目漱石財団」なるものを設立したので協力してくれとの手紙が届いた。一部の親族が関わっているらしいが、僕の連絡した親族たちは困惑し、いささかうんざりしている。放置しておくと混乱も予想されるので、急きょ相談の上以下のような文書を報道機関、出版社、博物館などに送付した。各方面に周知し、良識的な判断を望みたい。

2009.7.12   夏目房之介

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みなさま

いつもお世話になっております。

このたびは、漱石長男純一の息子・夏目房之介として、夏目漱石に関連することでお知らせがございます。

本年6月17日付で私のもとに「夏目漱石財団」設立の知らせ及び協力要請の手紙と、一般財団登記の事項説明書コピーが送られてきました(同様のものが漱石長女筆子の娘・半藤末利子宛にも送付)。それによると設立は本年4月1日。

同財団の「目的」は、以下の通りです。

〈当法人は、夏目漱石の偉業を称えるとともに文芸の興隆を図り、豊かな社会の実現に寄与することを目的とするとともに、その目的に資するため、次の事業を行う。

1.    夏目漱石に関する人格権、肖像権、商標権、意匠権その他無体財産権の管理事業

2.    夏目漱石賞の選考及び授与に関する事業

3.    文化、文明及び文芸に関するフォーラムの開催事業

4.    夏目漱石記念館の設立、維持、運営、管理に関する事業

5.    夏目漱石の愛用品をはじめ、夏目漱石ゆかりの品の管理に関する事業

6.    その他この法人の目的を達成するために必要な事業〉

(一般財団法人夏目漱石 履歴事項全部証明書 会社法人番号0110-05-002766 より)

役員には、評議員として漱石次男伸六長女・夏目沙代子(旧姓・坂田)、理事として夏目一人(沙代子長男?)の名があり、手紙送付者は財団事務局・中村まさ比呂とあります。

財団登記の規制緩和による設立のようですが、こうした動きには、私も半藤末利子も関与しておりませんし、また協力するつもりもありません。夏目沙代子家以外の他の親族からも、この話は聞いておりません。また登記された「目的」にある「人格権」はそもそも相続されないもので、何らかの権利が相続されるとすれば権利の管理に関しては相続者全員の同意が前提のはずですので、「目的」自体、不可解な部分の多いものです。

ご存じのように漱石の著作権は戦後すぐに消滅しております。その後も、著作物の利用、演劇・映画化など翻案、あるいは漱石写真の利用、漱石イメージのCM利用など、様々な場合の問い合わせが父・純一や私のもとに参りました。が、私の代になってからは、消滅した著作権に関する案件はもちろんのこと、他の利用もすべて一切の報酬を要求せず、介入もしないことを方針にしてきました。

「漱石という存在はすでに我が国の共有文化財産であり、その利用に遺族や特定の者が権利を主張し、介入すべきではない」というのが私の理念だからです。また、純一所有であった漱石遺品などは純一死後、母と同意の上そのすべてを神奈川近代文学館に寄贈しております。この考え方にいたった経緯に関しましては、拙著『孫が読む漱石』(新潮文庫)該当部分引用[註1]をご参照ください。

上の理念にしたがい、私はこの「夏目漱石財団」に対して反対の立場を取ります。私以外の遺族に関しましても、ほとんどが財団設立とは無関係であり、私同様反対の立場であることも申し添えたいと思います。

また、この財団が事情を知らない人々への許諾や権利主張によって既成事実化し混乱をもたらすことを恐れます。この件につきまして、できるだけ早く公表周知すべきだと判断し、今回のお知らせとなりました。みなさまには本件につき、良識的な判断をとっていただくようお願い申し上げます。

現在までに同意をいただいた親族は以下の方々です。

半藤末利子 漱石長女筆子四女

半藤一利  半藤末利子夫(09年9月24日

吉田一恵  同四女愛子長女

岡田千恵子 同長男純一長女

仲地漱祐  同四女愛子長男 (09年8月6日)

夏目倫之介 同房之介の長男

新田太郎 夏目直矩(漱石の兄)の孫(09年7月14日)

松岡陽子マックレイン(漱石長女筆子の三女 09年7月15日)

夏目季代子(伸六次女きく子長女 09年7月15日)

なお、本件に関するより詳細な資料を必要とされる方は私までご連絡ください。

以上の文書の一部と経緯に関しましては、随時私の個人的なブログにおいても公表してゆくつもりです。http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/ 夏目房之介の「で?」

とりいそぎのお知らせで、読みづらいところもあるかと存じます。ご容赦ください。

2009年7月12日  夏目房之介

註1 〈漱石のような存在については、社会に広く共有された文化として、享受とのバランスで権利の範囲を考えるべきだというのが、僕の現在の考えである。
映画化や演劇化などとっくに切れた著作権にかかわる翻案やパロディなどはもちろん、著作利用やCMへの肖像利用についても、僕は基本的に何もいわない。報酬も要求しない。

むしろ、そうすることが漱石という文化的存在を将来にわたって維持し、享受や批判をさかんにして再創造につなげてゆく方向だろうと思っている。〉夏目房之介『孫が読む漱石』新潮文庫 40p)

②「夏目漱石財団」閉鎖のお知らせ

2011年10月21日付けブログで「夏目漱石財団閉鎖のお知らせ」を公開しました。

  2009年7月当ブログで、同年4月に設立されていた「夏目漱石財団(一般財団法人夏目漱石)」に対し、私は、同意いただいた親族とともに活動に反対する旨、ご報告いたしました。その後、財団の一部の方と連絡協議し、財団は活動停止状態になっておりました。

今回、2年の活動停止をもって、公式に財団閉鎖の手続きが終了したとのご報告をいただき、閉鎖事項証明書のコピーを入手いたしました。事情を知らずに財団に参加された方々にはご迷惑をおかけしましたが、ようやく正式に財団問題が解決したことになります。

この厄介な問題をともに解決していただいた財団の方、及びご協力いただいた方々に心よりお礼申し上げ、ご報告させていただきます。

3.「漱石全集事件」

上記の夏目漱石財団騒動以外にも、漱石全集事件という漱石の著作権をめぐる遺族の争いがありました。

漱石の門人の一人であった岩波茂雄(1881年~1946年)は、漱石の没後に漱石の一連の作品や「漱石全集」を出版して多大な利益を上げましたが、妻の鏡子(1877年~1963年)は彼への金銭的援助をしていたこともあり、あまり快く思っていなかったようです。

漱石の次男の夏目伸六は、1946年末に漱石の著作権が切れる(当時の著作権の保護期間は30年間)ことへの対処として「桜菊書院」から「漱石全集」を刊行しましたが、それまで漱石の作品を刊行していた岩波書店が反発し、1947年1月から岩波版「漱石全集」を刊行しました。さらにそれに反発した夏目家側では、漱石の長男のヴァイオリニスト夏目純一が「漱石全集」などの商標登録を申請しました。しかしこれは1949年に却下されました。これがいわゆる「漱石全集事件」です。

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