「お水取り」という東大寺二月堂の行事の由来と「火祭り」の魅力

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東大寺二月堂お水取り

近畿地方では昔から「お水取りが終わると春が来る」と言います。

コンチキチン♪、コンチキチン♪という「祇園祭」の「祇園囃子の音が聞こえてきたら京都に夏が来た」と言われるのとよく似ていますね。

ところで、夜空を焦がすように火の粉をまき散らす大きな籠松明(かごたいまつ)を持って修行僧が東大寺二月堂の廊下を駆け抜ける行事がなぜ「お水取り」と呼ばれるのでしょうか?

この行事の由来とあわせて、わかりやすくご紹介したいと思います。

1.お水取りの由来

東大寺二月堂「お水取り」 1200年以上続く不退の行法

(1)お水取りとは

「お水取り」とは、奈良東大寺の二月堂で行われる「修二会(しゅにえ)」という法会(ほうえ)の行事の中の一つです。

「修二会」とは、「東大寺とその末寺から選ばれた『練行衆(れんぎょうしゅう)』(籠りの僧)11人が3月1日~3月14日、童子や仲間(付き人)らと二月堂に参籠し、本尊である十一面観音に世上の罪穢れを懺悔(悔過)し、平和や豊穣を祈願するもの」です。

「旧暦二月に執行される悔過(けか)の行事」であるため、「修会」と呼ばれますが、「十一面悔過(じゅういちめんけか)」というのが正式名称です。

752年に良弁(ろうべん)(689年~774年)の高弟実忠(じっちゅう)(726年~?)(*)が始めたと伝えられており、一度も途切れることなく今日まで1270年間も連綿と続いています

(*)実忠とは

実忠は東大時を開山した良弁に師事して「華厳宗」を学びました。そして「二月堂」を創建して「お水取り」の行事を創始しました。

彼は大仏殿の修理や百万塔を収める小塔殿や頭塔の造営を行うなど、東大寺の実務面で活躍し、財政の整備に貢献しています。

晩年の790年から815年の間に2回「華厳経の大学頭」に就任し、華厳教学の充実に尽くしました。

「二月堂縁起絵巻」によると、彼が751年に笠置山で修行中に竜穴を見つけて入ると、天人の住む「天界」の一つである「兜率天(とそつてん)」に至り、常念観音院で天人たちが「十一面観音の悔過」を行ずるのを見て、これを「下界」でも行いたいと願い、「十一面悔過」を開始したとのことです。

「兜率天」の1日は「人間界」の400年にあたり、到底追いつかないと天人の1人に言われ、少しでも「兜率天」のペースに合わせようと走って行を行うようにしたということです。

「お水取り」の行事は、宗教的な側面ももちろんありますが、「一般の民衆を楽しませるための『火祭りショー』の企画」とも言えるのではないかと私は思います。

この行のハイライトは、「達陀(だったん)の行法」(*)であり、練行僧が松明を持って走る姿古都奈良の風物詩となっています。

(*)達陀の行法とは

大松明を持つ「火天(かてん)」(火の神で仏法擁護の神)と、「灑水器(しゃすいき)」(灑水に用いる香水を入れた器)を持つ「水天(すいてん)」(水を司る竜神)が堂内を巡り歩く行です。

日本では仏教の宗派としての「華厳宗」は廃れてしまいましたが、「お水取り」の行事だけは一度も途切れることなく連綿と今日まで続き、「古都奈良の風物詩」となっていることは奇跡的でもあります。

これは東大寺には「大仏殿」があり、「正倉院」には聖武天皇遺愛の品物(御物)が保存されているお陰かもしれませんが・・・

(2)お水取りの名前の由来

「お水取り」という通称は、3月13日未明に、堂下の閼伽井屋(あかいや)にある井戸から聖なる水・香水(こうずい)を汲むことから付いたと言われています。

修二会の創始者とされる実忠和尚が神名帳を読んで諸神を勧請した際に、遅刻した若狭国の遠敷明神(おにゅうみょうじん)が、それを悔いて「修二会」に供する香水(こうずい)を二月堂のほとりに湧出させて十一面観音に奉ったという伝承があります。

また、東大寺領であった若狭の「荘園」から水を運搬して来たことに由来するとも言われています。

なお俳句では「お水取り」は「仲春」の季語となっています。

2.火祭りの魅力

「お水取り」以外にも奈良と京都には次のような「火祭り」があります。

「火祭り」の魅力は、人々の心に「高揚感」を呼び起こすとともに、瞑想を誘うような「鎮静作用」にあるように私は思います。

火を見ると私は「太古の昔に帰る」ような錯覚を覚えます。それが火祭りの魅力につながっているのではないでしょうか?

(1)奈良・若草山の山焼き

若草山の山焼き

「奈良・若草山の山焼き」は、奈良市内を見下ろす奈良のシンボル若草山で毎年1月の第4土曜日に行われる「古都奈良の冬の代表的行事」です。

春日大社・興福寺・東大寺の神仏が習合し、先人の鎮魂と慰霊、さらには奈良全体の防火と、世界の人々の平安を祈るものです。

冬の古都の夜空を赤々と染め上げ、山が浮かび上がるさまは壮観です。

奈良で若草山の山焼き

なお俳句では「奈良の山焼」「三笠の山焼」「お山焼」として「新年」の季語となっています。

余談ですが、毎年2月中旬に行われ高槻市の早春の風物詩にもなっている「鵜殿のヨシ原焼き」は、夜ではなく昼間(午前中)に行われます。

鵜殿のヨシ焼き

(2)京都・五山の送り火

京都五山の送り火

「京都・五山の送り火」は、「毎年8月16日夜に、京都市左京区にある如意ヶ嶽(大文字山)などで行われる篝火(かがりび)のこと」です。

宗教的・歴史的な背景から「大文字の送り火」と呼ばれることがありますが、「大文字焼き」という呼び方は間違いです。

如意ヶ嶽の「大文字」のほかは、松ヶ崎の「妙・法」、「船形万灯籠」、「左大文字」、「鳥居形松明」です。

夏の夜空にくっきりと浮かび上がる「五山の送り火」は「京都の夏の終わり」を告げる風物詩として全国的にも有名です。

起源は諸説あり、平安時代とも室町時代とも言われますが、長い間京の町の人々に親しまれています。

五山の送り火は、お盆の先祖供養の一般信仰「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と結びついたもので、お盆に帰って来た先祖の魂(「精霊(しょうりょう)」、「おしょらいさん」)を各家で供養した後、再びあの世に送り出すという意味があります。

(3)京都・鞍馬の火祭

鞍馬の火祭

「鞍馬の火祭」は京都市左京区鞍馬にある由岐神社例祭の一つで、「京都三大奇祭」(*)の一つに数えられています。毎年10月22日(「時代祭」と同日)夜に行われます。

平安時代末期に、祭神を京都御所から鞍馬の里に迎えた時の模様を現在に伝えていると言われています。

10月22日夕方、各家の門口に篝火(かがりび)が焚かれ、午後6時から子供の手松明が町を練り、やがて武者わらじを履いた里人たちが大松明を担いで「サイレイ、サイリョウ」の掛け声とともに町内を練り、由岐神社頭に集まります。

その火の粉の中を2基の神輿(みこし)が渡御し、壮観を極めます。

(*)京都三大奇祭とは

①鞍馬の火祭

②今宮やすらい祭

③太秦の牛祭

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