「トロイア戦争(トロイ戦争)」と言えば、「トロイアの木馬(トロイの木馬)」を真っ先に思い浮かべる方が多いと思います。
今ではコンピュータウイルス(厳密にはウイルスではなく、「マルウェア(悪意のあるソフトウェア)」の一種)としての「トロイの木馬」の方が有名かもしれませんね。
閑話休題、この「トロイア戦争」にはギリシャ神話に登場する「オリュンポス12神」(オリンポス12神)などのオリュンポス(オリンポス)の神々や「ティーターン神族」も出てくるので、史実と神話の境目もあいまいになっていますが、どのような戦争だったのでしょうか?
その原因と結末も含めてわかりやすくご紹介します。
1.トロイア戦争とは
「トロイア戦争」とは、ミュケーナイを中心とするアカイア人(古代ギリシャの一種族)が、ギリシャの名だたる英雄たちを糾合して、小アジアのトロイアに対して遠征し、10年間にわたる攻防の末にトロイアを攻略した戦争です。
トロイアやミュケーナイの実在を信じたドイツの考古学者シュリーマン(1822年~1890年)の発掘以来、伝説の核となる歴史的事件の存在を認める学者も多くなっています。
時代としては、大変大雑把ですが紀元前13世紀頃の出来事です。
古代ギリシャにおいては、この戦争を歴史的事実として多くの叙事詩が書かれました。ホメーロスの英雄叙事詩「イーリアス」、「オデュッセイア」のほか、「キュプリア」「アイティオピス」「イーリオスの陥落」などから成る「一大叙事詩環」が出来上がりました。
またウェルギリウスは、トロイア滅亡後のアイネイアースの遍歴を「アエネーイス」に描いています。
ちなみにアイネイアースとは、トロイア王プリアモスの娘クレウーサを妻としたトロイア側の武将で、トロイア滅亡後、イタリア半島に逃れて後のローマ建国の祖となったと言われる人物です。
2.トロイア戦争の原因
この戦争の原因については、「キュプリア」に詳しく書かれています。神話が入り混じっていますので、すべてが史実とは言い難いところもあります。
(1)大神ゼウスが人類の大半の滅亡を図った
大神ゼウスは、増えすぎた人口を調節するために、ヘーラーとは別の妻でもあるテミス(秩序の女神)と思案を重ね、ついに大戦を起こして人類の大半を死に至らしめる決意を固めたということです。
(2)トロイアの王子パリスがスパルタ王妃ヘレネーを奪ったのでその奪還のために起こした
オリュンポスで人間の子ペーレウス(テッサリアー地方のプティーア王)とティーターン神族の娘テティスの婚儀が行われていました。
ちなみに、後に「トロイア戦争」の英雄となるアキレウスは、このペーレウスとテティスとの間に生まれた息子です。
しかし、この饗宴に争いの女神エリスだけが招待されず、怒った彼女は「最も美しい女神へ」と書かれた「ヘスペリデスの黄金の林檎(不和の林檎)」を神々の座へ投げ入れました。
この供物をめぐって、ヘーラー・アテーナー・アプロディーテーの三女神による激しい対立が起こり、ゼウスはこの林檎が誰にふさわしいかの判断をトロイアの王子パリスに委ね(パリスの審判)ました。下の画像はルーベンスの「パリスの審判」です。
三女神はそれぞれが最も美しい装いを凝らしてパリスの前に立ち、なおかつヘーラーは世界を支配する力を、アテーナーはいかなる戦争にも勝利を得る力を、アプロディーテーは最も美しい女を、それぞれ与える約束をしました。
若いパリスは富や権力よりも愛(美しい女)を選び、アプロディーテーの誘いによってスパルタ王メネラーオスの妃ヘレネーを奪い去りました。(下の画像)
パリスの妹でトロイアの王女カッサンドラーだけは、「この事件が国を滅ぼすことになる」と予言しましたが、アポローンの呪いによって聞き入れられませんでした。
メネラーオスは、兄でミュケーナイの王であるアガメムノーンにその事件を告げ、さらにオデュッセウスとともにトロイアに赴いてヘレネーの引き渡しを求めました。
しかし、パリスはこれを断固拒否したため、アガメムノーン・メネラーオス・オデュッセウスはヘレネー奪還とトロイア懲罰の遠征軍を組織しました。
アキレウスも、友人パトロクロスとともに、ミュルミドン人たちを率いて遠征軍に参加しました。
この戦争では、神々も両派に分かれ、ヘーラー・アテーナー・ポセイドーンがギリシャ側に、アポローン・アルテミス・アレース・アプロディーテーがトロイア側に味方しました。
3.トロイア戦争の経過
ボイオーティアのアウリスに集結したアガメムノーンを総大将とするアカイア軍は、総勢10万人、1168隻の大艦隊でした。
アカイア人の遠征軍はトロイア近郊の浜に上陸し、アキレウスなどの活躍もあって待ち構えたトロイア軍を撃退すると、浜に陣を敷きました。
トロイア軍は、トロイア王プリアモスの長子ヘクトールの指揮の下に強固な城壁を持つ市街に籠城し、両軍は海と街の中間に流れるスカマンドロス河を挟んで対峙しました。
双方に犠牲を出しながら9年が過ぎ、10年目に差し掛かりました。「イーリアス」の物語はこの時点から始まっています。
トロイア戦争の開始から10年目に、アカイア軍はアポローン(光明神)の神官であるクリューセースの娘クリューセーイスを捕らえます。神官クリューセースは娘を返してもらおうと貢物を携えてアカイア軍の陣地を訪れますが、追い返されます。
しかしクリューセースの祈りによって、アポローンが疫病を敵陣に送り、アカイア軍陣地は修羅場と化します。
そのためアキレウスの発議によってアカイア軍の軍議が開かれます。そこで総大将アガメムノーンは、自分の戦利品となっていた娘クリューセーイスを返すことにやむを得ず同意しますが、その代償として、アキレウスの戦利品で愛妾のブリューセーイスを自分のものにしました。
このアガメムノーンの理不尽な行為に腹を立てたアキレウスは、それ以降軍議にも戦闘にも参加しなくなります。
アガメムノーンは総攻撃を決意し、アカイア勢が美々しく隊伍を整えると、トロイア勢も攻撃準備を完了します。
両軍がまさに激突しようとした時、トロイアの王子パリスが軍勢の先頭に現れます。スパルタ王メネラーオスは仇敵の姿を見ると喜び勇んで飛び出し、両者が一騎打ちを行うことになり、両軍の戦士は武装を解いて見守ります。
しかし女神アプロディーテーの介入によって勝負はうやむやとなり、再び戦闘が始まります。
アカイア勢は、アキレウスを欠いても優勢でしたが、英雄たちが傷ついたことをきっかけに総崩れとなり、陣地に中にまで攻め込まれます。これを見たパトロクロスは、アキレウスに出陣してくれるよう頼みます。しかしアキレウスは承知しません。
そこでパトロクロスは、アキレウスの鎧を借り、ミュルミドン人たちを率いて出陣します。アキレウスの鎧を着たパトロクロスの活躍により、アカイア勢はトロイア勢を押し返します。
しかし、パトロクロスはトロイア王プリアモスの長子ヘクトールに討たれ、アキレウスの鎧も奪われてしまいます。
パトロクロスの死をアキレウスは深く嘆き、ヘクトールへの復讐のために出陣することを決心します。アキレウスの母である女神テティスは、アキレウスのために新しい鎧を用意し、アキレウスに授けます。(下の画像)
出陣したアキレウスは、トロイアの名だたる勇士たちを葬り去ります、形勢不利と見てトロイア勢が城内に逃げ去る中、門前に一人ヘクトールが待ち構えます。
アカイア勢とトロイア勢が見守る中、アキレウスとヘクトールの一騎打ちが始まります。そしてヘクトールはついにアキレウスに討ち取られます。
アキレウスはヘクトールの鎧を剥ぎ、遺体を戦車の後ろにつないで引きずり回します。復讐を遂げたアキレウスは、パトロクロスの霊を慰めるために、さまざまな賞品を賭けて競技会を開きます。
競技会が終わった後も、アキレウスはヘクトールの遺体を引きずり回すことをやめません。ヘクトールの父プリアモスはこれを悲しみ、深夜アキレウスのもとを訪れ、息子の遺体を返してくれるように頼みます。アキレウスはプリアモスをいたわり、ヘクトールの遺体を返します。
ヘクトール亡き後、トロイア勢は意気消沈しますが、アマゾーンの女王ペンテシレイアの加勢により、再び勢いを盛り返します。ペンテシレイアはアカイア勢の英雄たちをなぎ倒して暴れ回りますが、無謀にもアキレウスに挑戦して命を落とします。
アキレウスは、遺体となったペンテシレイアの美貌に目を奪われ、殺してしまったことを後悔します。
トロイアのスカイアイ門の前で戦っていたアキレウスは、急所のアキレス腱をトロイアの王子パリスに射られ、瀕死の重傷を負って倒れます。
再び立ち上がって戦いますが、ついに死の運命が彼を捉えます。パリスをはじめとするトロイア勢はアキレウスの遺体を奪おうとしますが、アカイア勢のアイアースとオデュッセウスに阻まれます。
アキレウスの遺体を確保した後、アキレウスの甲冑をめぐってオデュッセウスとアイアースが争い、オデュッセウスが勝ちを収めます。
トロイアの勇将ヘクトールとアカイアの英雄アキレウスの没後、戦争は膠着状態に陥りました。
4.「トロイの木馬」の計によるトロイアの滅亡
しかし、アカイア方の知将オデュッセウスは、巨大な木馬を造り、その内部に兵を潜ませるという作戦を考案(「小イーリアス」では、女神アテーナーが考案)し、これを実行に移しました。
夜が明けると、アカイア勢は消え失せ、後に木馬が残されていました。欺かれたトロイア勢は、門を壊して木馬を市内に運び込み、アテーナーの神殿に奉納します。トロイア勢は宴会を開き、酔って眠りこけます。守衛さえも手薄になっていました。
トロイアの市民たちが寝静まった夜、木馬からオデュッセウスたちが出てきます。待避していたアカイア勢に計画通り松明で合図を送り、彼らをトロイア市内へ引き入れます。
酔って眠りこけていたトロイア勢は反撃することができず、討たれてしまいます。トロイア王プリアモスも殺され、トロイアは滅亡します。トロイアの男は殺され、女は奴隷にされました。
この「トロイアの木馬」の計は、アポローンの神官ラーオコオーンと王女カッサンドラーに見抜かれましたが、ラーオコオーンは海蛇に絞め殺され、カッサンドラーの予言は誰も信じることができない定めになっていたので、トロイアはこの策略にかかり、一夜で陥落したのです。
5.トロイア戦争後の後日譚
アカイア軍は「トロイの木馬」作戦の大成功によってトロイアを滅亡に追い込みました。しかし戦争中に死亡したパトロクロスやアキレウスは別として、戦争に勝利して生き残ったアカイア軍の英雄・指揮官たちも、戦後さまざまな苦難や不幸に見舞われました。
アイスキュロスの「アガメムノーン」によると、トロイア戦争はアカイア遠征軍の勝利に終わりましたが、アカイア軍の名だたる指揮官たちは悲劇的な末路をたどりました。
小アイアースはアテーナーの神殿でカッサンドラーを凌辱したことでアテーナーの逆鱗に触れ、船を沈没させられて死亡しました。
スパルタ王メネラーオスは取り戻した王妃ヘレネーを殺そうとしますが、殺すことができませんでした。そしてヘレネーを連れてスパルタへ帰国する途中、暴風によってエジプトまで漂流し、8年がかりで帰還しました。
総大将のミュケーナイ王アガメムノーンは、帰郷後に妻とその愛人によって暗殺されました。
またオデュッセウスは「オデュッセイア」にあるように、故郷にたどり着くまで10年もの間、諸国を漂流しなければなりませんでした。