今回は「夜の梅」「水温む」「末黒の薄」「日永」「三月尽」などの面白い「春」の季語をいくつかご紹介したいと思います。
1.夜の梅(よるのうめ)
「夜の梅」と言えば、東京の「とらや(虎屋)」の小倉羊羹を思い出す方も多いことでしょう。この羊羹の名前は、切り口に覗く小豆を、夜の闇の中でほの白く咲く梅の花に見立てて命名されたものです。なお、大阪の「鶴屋八幡」や和歌山の「総本家駿河屋」にも同名の羊羹があります。
古今和歌集に「夜の梅」を詠んだ凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の和歌があります。
・月夜には それとも見えず 梅の花 香(か)をたづねてぞ 知るべかりける
・春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香(か)やは隠るる
「月光と梅の花」というのも幻想的で美しい組み合わせですが、闇夜に香る梅の花というのもロマンチックですね。
例句としては、次のようなものがあります。
・夜の梅 飽かず去らずも 星見たり(山口青邨)
・うぐひすの 下腹白し 夜の梅(江左尚白)
・ゆく年の 女歌舞伎や 夜の梅(与謝蕪村)
・夜の梅 もっぱらに香を 放ちゐし(細見綾子)
2.水温む(みずぬるむ)
「水温む」とは、「春になって水の温かさが増してくること」です。それに伴って、芽ぐんだ水草は成長し、水に棲む生き物は活発に動き始めます。
何となくほのぼのとした温かいユーモアを感じさせる季語です。
「子季語」には、「温む水」「温む沼」「温む池」「温む川」などがあります。
例句としては、次のようなものがあります。
・水ぬるむ 頃や女の わたし守(与謝蕪村)
・汲みて知る ぬるみに昔 なつかしや(小林一茶)
・養へる 手負いひの雁や 水温む(長谷川櫂)
・流れ合ふて ひとつぬるみや 淵も瀬も(加賀千代女)
3.末黒の薄(すぐろのすすき)
早春、害虫の除去や草の生長を助けるため、堤や畦の枯れ草や芽ごしらえをしている枯れススキを焼きます。焼いた後の黒々とした野を「末黒野(すぐろの)」と呼びます。
「末黒野から、芽ごしらえをしたススキが青々と萌え出ているのや、少し萌え出していたススキがその表面を焼かれて黒く焦げているもの」を「末黒の薄」と言います。
黒と緑の対照が鮮やかで植物の生命力を感じさせます。「末黒の芒」とも書きます。私のふるさとである高槻市にも、「鵜殿のヨシ原焼き」という早春の風物詩があります。
「子季語」には、「黒生の芒」「焼野の芒」「芒の芽」などがあります。
例句としては、次のようなものがあります。
・暁の 雨やすぐろの 薄はら(与謝蕪村)
・ぬれ鶴や す黒の薄 分けて行く(大江丸)
・並び立つ 末黒芒や むちのごと(佐田光王)
・田の上みの 雨の末黒の 芒かな(染谷杲徑)
4.日永(ひなが)
「日永」とは、「春になり、昼の時間が伸びて来ること」です。春分から少しずつ日が伸び始めます。日中ゆとりもできて、心持ものびやかになります。暦の上で最も日が永いのは6月下旬の夏至の前後ですが、春は陰気な冬の短日をかこった後なので、待ち焦がれた春がやって来たという気持ちから、日が永くなった思いが強くなります。
ちなみに冬の季語に「日脚伸びる」(日脚伸ぶ)というのがあります。冬至が過ぎると畳の目ほどずつ日が伸びて行きます。その目を数えるようにして、日が永くなるのを待ち焦がれるわけです。「長閑(のどか)」という春の季語と気持ちの上で通じるものがあります。
「子季語」には、「永日」「永き日」「日永し」などがあります。
余談ですが、心がほっこりする夏目漱石の短編集に「永日小品」というのがあります。まだお読みでない方は「青空文庫」でも読めますので、ぜひご一読ください。
例句としては、次のようなものがあります。
・永き日を 囀(さえずり)たらぬ 雲雀(ひばり)かな(松尾芭蕉)
・うら門の ひとりでにあく 日永かな(小林一茶)
・永き日や 目のつかれたる 海の上(炭太祇)
・永き日の にはとり柵を 越えにけり(芝不器男)
5.三月尽(さんがつじん)
「三月尽」とは、「陰暦三月(弥生)が尽きる(終わる)こと」です。陰暦では一月~三月が春であるため、三月は春の最後の月です。春が終わるという感慨や行く春を惜しむ気持ちが込められています。
陽暦では三月は春の終わりではないため、惜春の思いはありません。
「子季語」には、「三月終わる」「三月尽く」「弥生尽」などがあります。
例句としては、次のようなものがあります。
・怠りし 返事かく日や 弥生尽(高井几董)
・桜日記 三月尽と 書き納む(正岡子規)
・色も香も うしろ姿や 弥生尽(与謝蕪村)
・何々ぞ 三月尽の かげぼうし(椎本才麿)