谷村新司の「昴」の歌詞はオリジナルではなく、啄木の悲しき玩具から借用!?

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昴

<2023/10/16追記>谷村新司さんが10月8日に74歳で亡くなられました。ご冥福をお祈りします

私より1歳上の団塊世代(1948年12月11日生まれ)ですが、もう少し長生きしてほしかったというのが私の率直な気持ちです。

谷村新司(1948年~2023年)の「昴」は、1980年4月にリリースされたシングル曲です。荘厳かつ壮大な曲調ながら覚えやすく親しみやすいので、中高年のカラオケで最も人気のある曲の一つです。また日本だけでなく、中国やアジア各国でも根強い人気のある名曲です。私も若い頃にカラオケで歌ったことがあります。

彼が作詞作曲し、山口百恵の最大のヒット曲となった「いい日旅立ち」も良いですが、やはり「昴」が最高だと私は思います。

ちなみに「昴」とは、おうし座の散開星団「プレアデス星団」のことです。青白い星の集団で、肉眼でも7個前後の星を確認できます。別名「六連星(むつらぼし)」とも呼ばれます。

今回は、この「昴」の歌詞の由来や、作詞作曲秘話についてご紹介したいと思います。

1.昴の歌詞の由来

昴の歌詞は、石川啄木の「悲しき玩具」の影響を強く受けています。「盗作」ではありませんが、「本歌取り」というか「換骨奪胎」「オマージュ」したものです。

二つの歌を比較してみるとよくわかります。

(1)石川啄木の「悲しき玩具」

呼吸いきすれば、
胸のうちにて鳴る音あり。
こがらしよりもさびしきそのおと

づれど、
心にうかぶ何もなし
さびしくも、また、眼をあけるかな

途中にてふと気が変り、
つとめ先を休みて、今日も、
河岸かしをさまよへり。

咽喉のどがかわき、
まだ起きてゐる果物屋くだものやを探しに行きぬ。
秋の夜ふけに。

遊びにて子供かへらず、
取り出して
走らせて見る玩具おもちやの機関車。

(2)谷村新司の「昴」

目を閉じて 何も見えず 哀しくて 目を開ければ            荒野に向かう道より ほかに見えるものはなし

ああ砕け散る 宿命(さだめ)の星たちよ                せめて密やかに この身を照せよ

我は行く 蒼白き頬のままで 我は行く さらば昴よ

呼吸(いき)をすれば胸の中 凩(こがらし)は吠(な)き続ける     されど我が胸は熱く 夢を追い続けるなり

ああ さんざめく 名も無き星たちよ                  せめて鮮やかにその身を終われよ ・・・・

2.昴の作詞作曲秘話

昴は、谷村新司が堀内孝雄・矢沢透と組んだフォークグループ「アリス」の人気絶頂期に、並行して始めたソロ活動の一環として発表した曲で、彼の最大のヒット曲となりました。

この曲が誕生したのは、彼が引っ越しをする最中に突然歌詞と曲想が浮かび、梱包用の段ボールに書き留めて、一気呵成に完成した曲だそうです。

しかも、不思議なことに、「チャネラー(霊媒者)」のごとく「プレアデス星団」から交信してくる「声」が彼には聞こえたそうです。しかも、その声は「日本語」だったそうです。これは彼自身が本に書いていることです。

「ストーリーテラー(話のうまい人)」らしい彼の「作り話」かもしれませんが、そういう「神が舞い降りたようなインスピレーション」があったことは間違いなさそうです。

最後のフレーズ「さらば 昴よ」が最初に頭に浮かんだそうですが、その意味は彼自身にもずっと謎だったということです。「プレアデス星団」に聞いても「あなたが書いた曲でしょ」としか答えてくれなかったそうです。

彼は、天体の昴が古代中国の「二十八宿」の一つで「財の星」と呼ばれていることから、「物質文明にサヨナラを告げようという意味にほかならない」という解釈を自著「谷村新司の不思議すぎる話」で述べています。

しかし私は個人的には、「アリスに別れを告げて独り立ちする決意の表れ」と素直に解釈する方が納得が行くように思います。この「決意表明」には悲壮感・不安感はなく、「自信に満ちた自己陶酔」、「昔の仲間たちと決別して、たった一人で道もない荒野に向かって旅立つ勇者のような高揚感」を感じます。自己の信念を貫徹し(心の命ずるままに)、これから「谷村新司ワールド」を創り出そう、多くの人の心に響く歌詞(ワード)を紡ぎ出そうという強い意志(我が胸は熱く 夢を追い続けるなり)も透けて見えます。

高村光太郎の「道程」という詩があります。

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

谷村新司の「昴」に、「ああ いつの日か誰かがこの道を」というフレーズがありますが、これは道なき道を切り開いて行こうとする「彼の開拓者・先駆者としての自負心」の表れのようです。

歌詞については、1.でも述べましたように、啄木の「悲しき玩具」が下敷きにあることは明らかです。彼自身も本に書いていますが、大学時代に啄木を耽読したそうです。

啄木が文芸雑誌「スバル」の創刊号発行人を務めたことも念頭にあったのでしょう。ちなみに「スバル」は「明星」(1900年~1908年刊行)廃刊後に、森鴎外・与謝野鉄幹・与謝野晶子らが協力して1909年に創刊された文芸雑誌です。

なお、作詞作曲秘話の詳細は、2014年に出版された自著「谷村新司の不思議すぎる話」に詳しく書かれていますので、興味のある方はそちらをご覧ください。

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