江戸時代の笑い話と怖い話(その1)。手洗いより大切なものは「足洗い」?

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江戸の笑い

江戸時代というと、「封建制度」や「厳格な身分制度」があって、人々は貧しく不自由な生活を強いられていたという先入観を持っている方が多いと思います。

武士は生産活動に従事せず、農民や町人に威張り散らす公務員で、商人は財力はあっても大名に金を用立てさせられるだけで頭が上がらず、一般庶民は「おかげ参り」など以外は自由に旅行もできないなど気の毒な時代という印象があります。

しかし一方で、江戸時代は「理想的な循環型社会」で、「公衆便所(公衆トイレ)」も整備され、人々は貧しい暮しの中でも「落語・講談」「俳諧川柳」や、「浮世絵」「浮世草子」「地口」「判じ絵・字謎」「寄せ絵」などで結構楽しんでいたというのも事実です。

そこで今回は、江戸時代の笑い話・小噺(こばなし)二つと怖い話二つをご紹介したいと思います。

現代の日本では、外から帰ったらまず「うがいと手洗い」です。特に新型コロナが流行してからは多くの人がこまめに実行しているのではないでしょうか?

江戸時代でも、「手洗い」が大事だったことは今と同じですが、江戸時代は「手洗い」と並んで、あるいはそれ以上に「足をあらうこと」(「足濯ぎ(あしすすぎ)」)が大切でした。

寺子屋で学ぶ教科書の「童子教(どうじきょう)」にも、「手を洗ひ」と「足を洒(あら)ひ」がセットになって出てきます。

江戸時代の人々は、草鞋(わらじ)や草履(ぞうり)、下駄(げた)といった素足で履(は)くことのできる履物(はきもの)で外出していました。

現代のようなアスファルト舗装された道路と違って、馬も行きかう土埃(つちぼこり)の舞う道であり、雨降りで道がぬかるんでいる時は下駄に履き替えるなど、履物を使い分けました。しかし、下駄を履いても足が汚れることに変わりはありませんでした。

時代劇を見ていると、旅人や外から帰った人が盥の水で足を洗うシーンがよく見られます。「洗足(せんそく)」という言葉もあるくらいです。

人のプライバシーに立ち入るほどの厚かましさを表す言葉に、「人の家に土足(どそく)であがる」というのがあります。ここで「土足」とは今なら「靴のまま」で家に上がり込むことで、江戸時代なら「草鞋・草履や下駄のまま」ということになりそうです。

しかし当時の「土足」の意味は、「泥で汚れた足」のことで、その足であがるのが「マナー違反」だったのです。

旅籠屋の洗足

1.笑い話・小噺(こばなし)

(1)『当世噺揃(とうせいはなしぞろえ)にがわらひ』より「土足の事」

雨の降る中、ある(良識のある)人が無学な友だちの家に立ち寄って「ご無沙汰しておりますが、お変わりありませんか?」と声を掛けました。中から出てきた主人が「ようこそいらっしゃった。おあがりください」と勧めると、立ち寄った人は「いや、今日は土足で来ましたので、また今度ゆっくりお邪魔します」と答えて帰りました。

この「土足」という言葉を知らなかった主人は、ムッと腹を立てました。怒っている父親のことを耳にして、息子が「土足とおっしゃったのは、土の付いた足ということですよ。雨降りに裸足でいらっしゃったので、土足というわけです」と教えました。

ところが父親は、足に土が付きさえすれば土足というのだと早合点し、いいことを教わったと勘違いして、この言葉を語りたいばかりに裸足になって知り合いの医者のもとに出かけました。

家の中から出てきた医者が「さあ、おあがりください」と勧めると、例の父親は「土足でございますから」と答えました。「でしたら、まず裏にある竹縁(ちくえん)(=竹で造った縁側)のところにお回りください」と医者が言うと、今度は「竹縁」を人の名前と勘違いして「もう今日は帰ります。そのうち参りますから、裏のチクエンさんにもよろしくお伝えください」

(2)『軽口(かるくち)もらいゑくぼ』より「親の麁相(そそう)を子が笑ふ」

ある村で親子三人が暮らしていました。そそっかしい父親が、ある時「足を洗おう」と言って盥に熱いお湯をそそぎ、足から先に洗って、その後に顔を洗っていました。

その様子を息子が見て「クックッ」と笑ったので、父親が「どうして笑うんだ?」と尋ねると、息子が答えました。

「お父さんも少しぐらいは知っておいてくださいよ。こういう時には普通、最初に顔を洗うものでしょう?」すると父親は減らず口を叩きました。「馬鹿なことを言うなよ。お前だって風呂に入る時は首から先に入るわけにはいかないだろう?」

3.怖い話

(1)「足洗邸(あしあらいやしき)」(足洗屋敷)

足洗屋敷

上の絵は歌川国輝によるものです。

江戸時代の本所三笠町(現・墨田区亀沢)に所在した味野岌之助という旗本の上屋敷でのこと。

屋敷では毎晩、天井裏からもの凄い音がした挙げ句、「足を洗え」という声が響き、同時に天井をバリバリと突き破って剛毛に覆われた巨大な足が降りてくる。

家人が言われたとおりに洗ってやると天井裏に消えていくが、それは毎晩繰り返され、洗わないでいると足の主は怒って家中の天井を踏み抜いて暴れる。

あまりの怪奇現象にたまりかねた味野が同僚の旗本にことを話すと、同僚は大変興味を持ち、上意の許しを得て上屋敷を交換した。ところが同僚が移り住んだところ、足は二度と現れなかったという。

なお怪談中にある大足の怪物の台詞が「あらえ」、怪談の名称が「あらい」であるのは、江戸言葉特有の「え」「い」の混同によるものと指摘されています。

(2)「置行堀」の正体の狸が足洗邸に類似した怪異を起こした話

なお類話として、「本所七不思議」の一つ「置行堀(おいてけぼり/おいてきぼり)」の正体が狸であり、その狸が足洗邸に類似した怪異を起こしたという話があります。

1765(明和2)年、置行堀の狸が人に捕えられて懲らしめられ、瀕死の重傷を負っていた。

偶然通りかかった小宮山左善という者が哀れに思い、彼らに金を与えて狸を逃がした。その夜、狸が女の姿に化けて左善の枕元に現れ、左善の下女が悪事を企んでいると忠告して姿を消した。

しばらく後、左善は下女の恋人の浪人者に殺害されてしまった。数日後、左善の一人息子の膳一のもとに狸が現れ、真相を教えた。膳一は仇討ちを挑むが、敵は強く、逆に追いつめられてしまった。そこへ、狸が左善の姿に化けて助太刀し、膳一は仇を討つことができた。

以来、家に凶事が起る際には前触れとして、天井から足が突き出すようになったという

ちなみに、「本所七不思議」とは、本所(東京都墨田区)に江戸時代ころから伝承される奇談・怪談のことです。江戸時代の典型的な「都市伝説」の一つであり、古くから落語など噺のネタとして庶民の好奇心をくすぐり親しまれてきた次のようなものです。

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