童謡誕生秘話。「椰子の実」は柳田国男の話を島崎藤村が詩に書き大中寅二が作曲!

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椰子の実

「童謡」は、私たち大人から子供たちに残したい美しい歌が多く、「共有したい日本人の心」を後の世代に橋渡しする役割を持っているように思います。

そこには、日本人の心に共通する日本独特の風情があります。日本人の心象風景を歌った「こころのうた」とも言えます。ところで、この童謡については、意外なあるいは悲しい、興味深い誕生秘話があります。

前に「北原白秋と山田耕筰の童謡誕生秘話」や、「赤とんぼ」「シャボン玉」の歌詞にまつわる悲話などを紹介する記事を書きました。

今回は島崎藤村の詩で有名な「椰子の実」の誕生秘話をご紹介したいと思います。

1.「椰子の実」の詩の誕生秘話

名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月

旧(もと)の木は生(お)いや茂れる 枝はなお影をやなせる
我もまた渚を枕 孤身(ひとりみ)の 浮寝の旅ぞ

実をとりて胸にあつれば 新たなり流離の憂
海の日の沈むを見れば 激(たぎ)り落つ異郷の涙

思いやる八重の汐々 いずれの日にか故国(くに)に帰らん

1936年に発表された童謡「椰子の実」は、もともと1901年に刊行された島崎藤村(1872年~1943年)の詩集「落梅集」に収録されている詩です。

この詩は、1898年の夏に1ケ月半ほど伊良湖岬に滞在した友人の柳田国男(1875年~1962年)が、浜辺に流れ着いた椰子の実の話を彼に語り、そこから着想を得て彼が詩にしたものです。

当時東京帝大2年生だった柳田は、伊良湖岬で海岸に流れ着いた椰子の実を見つけました。「風の強かった翌朝は黒潮に乗って幾年月の旅の果て、椰子の実が一つ、岬の流れから日本民族の故郷は南洋諸島だと確信した」と柳田は彼に語りました

彼は、椰子の実の漂泊の旅に自分が故郷を離れてさまよう憂いを重ね、この詩を詠んだそうです。

伊良湖岬と恋路ケ浜

2.「椰子の実」の曲の誕生秘話

1936年7月、NHK大阪中央放送局で放送中だった「国民歌謡」の担当者が、作曲家の大中寅二(1896年~1982年)を訪問し、この詩に曲を付けるように依頼し、7月9日に曲が完成しました。

大中寅二は、作曲家・オルガニストです。彼は1920年に同志社大学経済学部を卒業後、日本基督教団霊南坂教会(東京都港区赤坂)のオルガニストとなり、1979年まで勤めています。

作曲については東京で山田耕筰に師事し、1925年にドイツに留学してカール・レオポルト・ヴォルフの教えを受けています。

教会オルガニストを半世紀以上にわたって勤めたため、礼拝用のリードオルガン曲や賛美歌などの教会音楽を多数作曲しています。

3.「椰子の実」の曲はヴィヴァルディの「ニシ・ドミヌス」に似ている?

椰子の実」の冒頭のメロディーは、「四季」で有名なイタリア・バロック後期の作曲家ヴィヴァルディ(1678年~1741年)の宗教音楽「ニシ・ドミヌス」第6曲の前奏部分とよく似ていると言われています。

大中寅二は、長年教会オルガニストを務め、教会音楽を多数作曲しましたので、ヴィヴァルディの宗教音楽にも触れていた可能性は十分にあります。



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