皆さんは登山をしている時に、山伏たちが「六根清浄 懺悔懺悔」(ろっこんしょうじょう ざんげざんげ)と声を揃えて唱えながら登って行くのに出会ったことはありませんか?
私はいつ聞いたのか思い出せませんが、山に響き渡るようなこの「六根清浄 懺悔懺悔」の掛け声が今でも耳に残っています。
また、「寒参り」の人々も、歩きながらこの「六根清浄」を唱えていた記憶があります。
今回は「六根清浄」「六根清浄 懺悔懺悔」についてわかりやすくご紹介したいと思います。
1.「六根清浄」とは
「六根清浄」とは、仏教用語で、「人間に備わった六根を清らかにすること」です。
「六根」とは「五感」と「第六感(意識)」を加えた人間の認識の根幹のことです。
(1)眼根:視覚
(2)耳根:聴覚
(3)鼻根:嗅覚
(4)舌根:味覚
(5)身根:触覚
(6)意根:意識
「六根」は、人間の認識の根幹ですが、それが我欲などの執着にまみれていては、正しい道「八正道(はっしょうどう)」を行くことはかなわないとされています。そのため執着を断ち、心を清らかな状態にすることを言います。
そして、不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために俗世との接触を断つ「山籠り」などが行われました。
最澄(伝教大師)は当時の世俗利益にまみれた仏教界を嫌い、理想の仏教を求めて比叡山での厳しい修行生活に入る決意をしました。比叡山での修行は12年も続きました。
彼は19歳の時、比叡山に登り、後に延暦寺根本中堂となる草庵「一乗止観院」を構えて思索の生活に入り、そこで自省の書「願文(がんもん)」を著しています。そこには、「六根清浄」に至らなければ山を下りないという決意が書かれていました。
なお、パワースポットとして有名な東京都八王子市にある高尾山(標高599m)には、「六根清浄石ぐるま」があります。高尾山は東京都心から近く、年間を通じて多くの観光客や登山者が訪れ、今上天皇も皇太子時代からよく登っていますが、古くからの修験道の霊山です。
2.「六根清浄 懺悔懺悔」の掛け声について
古くから修験道の山として知られる徳島県の剣山などでは、白装束に身を包んだ信者が登山の際の掛け声として連呼しています。「富士山峰入り修行」でも、同様の掛け声をかけています。
また、落語の「大山詣り(おおやままいり)」などでも、その様子が描写されています。
なお、俗説ですが、「六根清浄」が登山の際に用いられた結果、音便化して「どっこいしょ」になったという説があります。