黒田清輝とは?裸婦像の「朝妝」が当時物議をかもした「近代洋画の父」

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黒田清輝

私は中学生の時、美術の授業で黒田清輝の「湖畔」や「読書」を見て、「これこそ理想的な油絵」と感心した記憶があります。

読書・黒田清輝

「湖畔」は1967年の「切手趣味週間シリーズ」の記念切手の図案にもなり、私も買いました。ちなみに「湖畔」モデルは照子夫人です。

湖畔・切手趣味週間

ゴッホのごてごてした厚塗りの油絵や、ゴーギャンの人物の縁取りのある描き方は漫画のようであまり好ましく思いませんでした。その点彼の油絵は自然で、水彩画ほど淡白ではありませんが、嫌みがなく私の好きな画家第一号となりました。

1.「黒田清輝」とは

(1)生い立ち

「黒田清輝(くろだせいき)」(1866年~1924年)は、洋画家で東京美術学校教授や帝国美術院院長を務めたほか貴族院議員にもなった政治家でもあります。

彼は薩摩藩士の子として鹿児島に生まれましたが、1872年に上京して、漢学塾二松学舎などに通った後、1878年には高橋由一の門人である細田季治について鉛筆画と水彩画を学んでいます。その後東京外国語学校を卒業します。

(2)フランスに留学し印象主義を学ぶ

1884年に彼は当初法律研究のためパリに留学します。しかしそこで山本芳翠らを知り洋画を志すようになり、1886年からR・コランに師事して「外光派の絵画」を学んで1893年に帰国しています。

「朝妝(ちょうしょう)」はフランス留学中の1893年、フランスの展覧会(ソシエテナショナル・デ・ボザール)に出品し、日本人として初入選を果たした作品です。鏡の前で身支度をする西洋人の裸婦を描いたものですが、惜しいことに太平洋戦争中に焼失しました。

朝妝・黒田清輝

なお、彼がこのような「裸婦作品」を描いた当時の日本社会では、裸婦に対する無理解と「芸術ではなくわいせつ物」との批判があり、1895年の内国勧業展覧会への出展可否をめぐって論争となり社会問題にまで発展したそうです。(結局出展されましたが・・・)

黒田の裸婦像を見る人々(ジョルジュ・ビゴーの戯画)

上の絵は、フランスの風刺画家ジョルジュ・ビゴー(1860年~1927年)が描いた「黒田の裸婦像を見る人々」という戯画です。魚(朝鮮)を釣り上げようとする日本と中国(清)、横どりをたくらむロシアを風刺した「魚釣り遊び」(下の画像)が最も有名ですが、「ノルマントン号事件」の風刺画も欧米人による日本人差別・蔑視の強烈なインパクトがあります。

魚釣り遊び・ビゴーノルマントン号事件風刺画

1900年のパリ万博に「裸婦習作」として出品され銀賞に輝いた「智・感・情」も、日本では同様な批判にさらされたそうです。

黒田清輝の智・感・情

(3)帰国後は日本洋画界の指導者となる

帰国後の1894年には山本芳翠の生巧館を譲り受けて、久米桂一郎とともに洋画研究所「天心道場」を開き、印象派の影響を取り入れた「外光派」と呼ばれる画風を確立させます。

彼は「絵画は単なるスケッチではなく、確固たる構想を備えたコンポジション(構想画)でなければならない」と考えており、こうした構想の重要性こそが、彼が西洋絵画から学び、日本へ移植しようとしたものでした。

黒田清輝・裸婦野辺・黒田清輝

余談ですが、「おかっぱ頭の画家」で後にフランスに帰化した藤田嗣治(下の画像)も彼の東京美術学校での教え子です。

藤田嗣治肖像

2.「黒田清輝」の言葉

彼は、日本の洋画(油絵)の先駆者として、フランスに留学して印象主義の画風を学びますが、それをもとに苦心して日本流の洋画を完成させました。彼の言葉の端々に日本人としての意識と誇りと気概を感じます。

「今日では画のサウ沢山の種類が日本に雑居しております、是を総括した日本画という名称を附けて見ると今では少し無理な様だ、なぜなら在来の所謂日本画なるものと比較的新しい油絵の如きものとは其趣を異にして居ります。併しそれには画方と云ふものは違って居ても日本で出来ると云ふ即ち日本人の頭脳から出ると云ふ事柄に就いて、油絵も遂に日本化させられて一種違った日本風と云ふものになることは極まって居る」 (「絵画の将来」、石川松溪編『名家訪問録』第一集、明治35年)

「一口に云へば西洋人は仕上げと云ふ事に重きを置き、日本人は画題と面白味と云ふ事に重きを置いてゐる。この画題面白味と云ふ事を考へるのはつまり日本の国民性で、日本画などでは何時もこれに苦心してゐるのである。将来、日本の洋画が発達して来て、仕上げも立派に出来るやうになり、それに日本の特色のあるものが出来るであらう。」 (「美術瑣話」、『趣味』大正元年1月)

「何んと云つても日本の洋画界は未だ混沌たる渦中にある。もう二三十年もしたら漸くこれは日本の洋画ですと云つて外国へ誇るとまではいかなくとも見せられる様にはならう。今の処はまだ子供である、其頃になつたら一人前の大人になるであらう。私などにしてもまだやつとスケツチが出来る位に成つた位のもんである。私は当年とつて正に五十歳になるが芸術にかけては一個の学生に過ぎぬ。年の割には画がうまくない。勉強する時間もいろいろのものに裂かれて比較的少なかった。これからまあ大に勉強する所存である。」 (「私は斯う思ふ」、『みづゑ』大正5年11月)

黒田清輝 絵画集

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