「思考」「思慮」「熟考」にまつわる面白いことわざ。「思案の案の字が百貫する」など

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二番目の考えが最善である

1.二番目の考えが最善である(にばんめのかんがえがさいぜんである)

最初に頭にひらめいた考えで事を決行しようとする時には、もう一度その考えの是非を検討し、そうして得た結論が最善であるということです。

英語で”Second thoughts are best”と言います。

四字熟語に「三思後行(さんしこうこう)」という言葉がありますが、由来となった孔子の次のような言葉は、「二番目の考えが最善である」に通じるものがあります。

中国春秋時代、魯国の家老の季文子(きぶんし)は極めて慎重な人で、三度考えてから初めて実行しましたが、孔子はこれを聞いて、「二度考えればそれでよろしい」と言った故事です。

2.思う事言わねば腹ふくる(おもうこといわねばはらふくる)

思う事を言わないでいると、その思いが腹の中にたまっているようで、いつまでも気持ちがさっぱりしないということです。

「おぼしき事言わねば腹ふくる」とも言います。

徒然草」十九段にも次のような一節があります。

言ひつづくれば、みな源氏物語・枕草子などにことふりにたれど、同じ事、又今さらに言わじとにもあらず。

おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ、あぢきなきすさびにて、かつ破(や)り捨つべき物なれば、人の見るべきにもあらず。

3.戯言なれども思うより出で、戯言動なれども謀に作る(けげんなれどもおもうよりいで、けどうなれどもはかりごとになる)

それがたとえ、たわむれの話であろうと、それを心に思っているから口から出るのであり、たわむれの動作であろうとも、それが心のどこかにあるから動作となって現れるのだということです。

政治家の「失言」などもまさにこれですね。

4.思案の案の字が百貫する(しあんのあんのじがひゃっかんする)

物事はよくよく思案した上で実行することが大切であるということです。

「百貫」は、昔の金銭の単位で、多くの金銭の意。

「思案四百両」とも言います。

5.短慮功を成さず(たんりょこうをなさず)

短慮の人は事を成就させることができないという意味です。事を成そうと思ったら、じっくりよく考えよということです。

「短慮功無し」「短慮功を得ず」とも言います。

6.知慮は禍福の門戸なり(ちりょはかふくのもんこなり)

人はなまじ思慮分別を働かせるのでかえって禍福に一喜一憂しなければならないということです。何もしなければ、禍福も利害も生じないということです。出典は「淮南子(えなんじ)」です。

7.遠き慮りなき者は必ず近き憂えあり(とおきおもんぱかりなきものはかならずちかきうれえあり)

遠い将来まで見通した配慮や考えがないと、必ず近いうちに心配事が起きてくるということです。出典は「論語」です。

「遠慮なければ近憂あり」とも言います。

8.思い内にあれば色外に現る(おもいうちにあればいろそとにあらわる)

心の中で思っていることがあると、それが自然に顔の表情や動作に現れるということです。出典は「礼記(らいき)」です。

「心内に動けば詞外に現る(こころうちにうごけばことばそとにあらわる)」「心内に動きては言葉外に現す」も同様の意味です。

9.念の過ぐるは無念(ねんのすぐるはむねん)

あまり考えすぎるのは、かえって全く考えなかったのと同じように不完全な結果になるということ、思慮があまりに過ぎるのは逆に思慮が足りないのと同様であるということです。

「分別過ぐれば愚に返る(ふんべつすぐればぐにかえる)」「過ぎたるは猶及ばざるが如し」も同様の意味です。反対語は「念には念を入れよ」です。

10.下手の考え休むに似たり(へたのかんがえやすむににたり)

碁や将棋で、下手な者の長考は時間の浪費で何の効果もないということです。

11.下手の思案は後に付く(へたのしあんはあとにつく)

下手な者は、事が終わってしまってからはじめていい知恵が浮かぶことです。

時期遅れの役に立たない考えを嘲(あざけ)っていう言葉です。

「下衆の後思案(げすのあとじあん)」「下衆の後知恵(げすのあとぢえ)」とも言います。

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