1.菊はもともと日本には無かった花
「菊」と言えば、秋には「菊花展」や「菊人形」、競馬の「菊花賞」がありますし、何よりも天皇家の紋章である十六弁の「菊の御紋」(十六葉八重表菊紋)や、楠木正成の「菊水紋」、あるいはアメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが著書「菊と刀」で「日本を象徴するもの」として「菊(天皇)」をあげたように、古来日本を代表する花のように思っておられる方も多いと思います。
「十六菊紋」は、パスポートの表紙にも使用されていますね。
しかし、我々日本人が慣れ親しんでいる菊は、実は「中国からの渡来植物」なのです。
日本には、薬草や観賞用植物として中国から伝来しました。平安時代に用いられ始めて、宮中では「菊の節句」とも呼ばれる「重陽の節句」(旧暦9月9日)が明治時代まで行われ、現在でも「皇室園遊会(観菊御宴)」として行われています。
鎌倉時代に後鳥羽上皇(1180年~1239年)が菊の文様を身の回りのものに施したことにより、天皇および皇室の紋となったと言われています。
菊は物品への意匠として用いられることも多く、鎌倉時代には蒔絵や衣装の文様として流行しました。南北朝時代以降には天皇より下賜されることにより公家や武家の間で家紋として使用されるようになりました。
南北朝時代、楠木正成は、後醍醐天皇(1288年~1339年)から建武の武功として「菊紋」を下賜されました。しかし、「これは畏れ多い」と考えて、下半分を水に流した「菊水紋」を家紋として使用したと伝えられています。 昭和初期、天皇と国家への忠誠の証として、刀剣だけではなく、特攻機や特攻艦艇にこの菊水紋がよく描かれるようになりました。
2.「菊」の音読みは?
ところで、漢字の「菊」の音読みは何かご存知でしょうか?
実は「キク」が音読みで、訓読みはないのです。
もともと「菊」という花は日本になく、その花を表す言葉がなかったため、植物とともに伝わってきた中国語をそのまま日本語の中に取り入れたので、訓読みがないのです。
3.9月9日の「重陽の節句」に菊は咲いているか?
「菊の節句」とも呼ばれる「重陽の節句」は、9月9日ですが、今の日本ではこの時期はまだ菊は咲いていませんね。
それもそのはず、これは「旧暦」の9月9日で、「新暦」では10月中旬頃に当たるのです。
新暦の9月9日は「菊もまだ蕾になるかどうかの時期」で、「夏の暑さもまだ色濃く残っている時期」です
他の五節句は、新暦に変わっても催され続けましたが、「季節の花である菊」が主役の重陽の節句だけは、新暦の9月9日では全く季節感が合わないため廃れてしまいました。
4.「国慶節」と「天安門広場」の菊花
菊は牡丹とともに中国人が最も好む花で、秋になると中国では至る所に菊が咲き乱れるそうです。
特に習近平主席が率いる「共産党一党独裁体制」の今の中国では、10月1日の「国慶節」は最も重要な行事です。
「国慶節」とは、1949年10月1日に毛沢東主席が中華人民共和国の建国宣言したことを記念して祝日としたもので、「春節」と並ぶ大型連休の一つです。
「天安門広場」と言えば、1989年6月4日に起きた「天安門事件」を思い出さずにはおられませんが、「国慶節」前後には、広大な「天安門広場」一面が菊花で埋もれて壮観です。
しかしいかにも「中国人好み」の装飾で、日本人の私はあまり好きになれません。
5.薬草としての菊
かつての中国医学では、薬としての効用もあるとされていました。
乾燥させた菊の花びらを詰め物に用いた「菊枕(きくまくら)」は、漢方では体の無駄な熱を冷ますとされ、邪気を払い、不老長寿を得ることが出来るとして珍重されました。「菊枕」は、俳句で晩秋の季語になっています。
・明日よりは 病忘れて 菊枕(高浜虚子)
・愛蔵す 東籬の詩あり 菊枕(杉田久女)
乾燥させた菊の花びらを入れた「菊花茶(きくかちゃ)」は、花の香りが優しく香り、疲れ目やドライアイを癒し、体内の熱を冷ましたり昂った気分を落ち着かせてくれる効果があるとされています。
6.食用としての菊
古くは、菊の花を食べると仙人になれるという考えがありました。
世俗的な交わりを避け、田園地帯で隠遁生活を送った詩人として知られる陶淵明の「飲酒その五」に「菊を采(と)る東籬(とうり)の下 悠然として南山を見る」という一節があります。
ひっそりと暮らす隠者と菊の取り合わせは、まさに東洋的な風雅の趣を感じさせますが、彼は一輪挿しに菊を活けて花を愛(め)でようとしていたのではなく、夕食のおかずとして庭の菊の花を摘んでいたのです。
食用にする菊としては、刺身のつまで見かけることも多いですね。独特の甘みがあり、茹でてお浸しにしたり、酢の物や胡桃合え、天ぷらや吸い物に用いられたりすることもあります