江戸時代の笑い話と怖い話(その12)。肝太き女性は怖すぎて可愛くない?

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百鬼夜行

現代ではよほど人里離れた森や山の中でない限り、真夜中でも「漆黒の闇」というのはありません。しかし江戸時代以前は、ごく普通に「漆黒の闇」があり、だからこそ「百鬼夜行」など妖怪や物の怪の話も多く作られたのでしょう。

1.「百鬼夜行」とは

「百鬼夜行(ひゃっきやぎょう/ひゃっきやこう)」とは、日本の説話などに登場する深夜に徘徊をする鬼や妖怪の群れ、および、彼らの行進のことです。

真夜中には、鬼や妖怪などが群れ歩いているとされており、「百鬼夜行に遭った」という表現などがとられることもあります。経文を唱えることにより難を逃れた話や、読経しているうちに朝日が昇ったところで鬼たちが逃げたり、いなくなったりする話が一般的で、仏の功徳を説く説話でもあります。

平安時代から室町時代にかけ、おもに説話に登場しており、多くの人数が音をたてながら火をともしてくる様子、さまざまな姿かたちの鬼が歩いている様子などが描写されており、これに遭遇することが恐れられていました。

『口遊』(10世紀)や鎌倉時代から室町時代にかけて編まれた類書のひとつ『拾芥抄』には、暦のうえで百鬼夜行が出現する「百鬼夜行日」であるとして以下の日が挙げられており、「子子午午巳巳戌戌未未辰辰」と各月における該当日の十二支が示されています。

1月・2月 – 子(ね)日
3月・4月 – 午(うま)日
5月・6月 – 巳(み)日
7月・8月 – 戌(いぬ)日
9月・10月 – 未(ひつじ)日
11月・12月 – 辰(たつ)日

百鬼夜行に出遭うと死んでしまうといわれていたため、これらの日に貴族などは夜の外出を控えたと言われています。また「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ」と呪文を唱えると、百鬼夜行の害を避けられるということです。『口遊』や『袋草紙』(12世紀)などでも既に同様の歌は記されており「かたしはや えかせせくりに くめるさけ てえひあしえひ われえひにけり」などとあります。

これらは「自分は酒に酔った者である」(手酔い足酔いわれ酔いにけり)といった内容を詠み込んでいる歌です。または「難しはや、行か瀬に庫裏に貯める酒、手酔い足酔い、我し来にけり」などと解釈されています。

また山脇道円『増補下学集』など、百鬼夜行日は節分(現在の太陽暦でいえば大晦日)であると記している文献も存在します。

2.『宿直草』より「女は天性、肝太き事」

宿直草・肝太き女性

『宿直草(とのいぐさ)』は、延宝5年(1677年)に刊行された怪談本です。「女は天性、肝太き事」という話の舞台は、私のふるさとである高槻市なので、特に興味があります。

摂津国富田(とんだ)の庄(大阪府高槻市)に住む若い女が、夜な夜な一里(約4km)以上も離れた所に住む恋人のもとに通っていました。

途中、西河原(現在の大阪府茨木市)の宮という暗い森を越えると、さらにその先に農業用水の溝があります。いつもは丸木橋が架かっているのに、大雨で流されたのか、その夜に限って見当たりません。

困って溝を上り下りしていると、行き倒れた男の死体が仰向けになり、ちょうど溝の上に横たわっていました。

女はこれ幸いとばかりに死体を踏んで溝を渡ろうとしましたが、死人が女の裾をくわえて放しません。そこで引きはがして渡ったのですが、一町(約100m)も過ぎてからわざわざ引き返しました。

そして自分の後ろの裾をもう一度死人の口に入れて胸板を踏んで渡る「再現実験」を試みました。その結果、足で踏むと口を塞ぎ、足を上げると口を開けることがわかりました。

結局、「死人が裾を噛むはずはない」と納得し、ここに彼女の科学的探究心は満足させられたのです。(彼女は「リケジョ(理系女子)」だったのですね)

ようやく男のもとに至った女は、枕物語(寝物語)にこの一件を得意そうに話しました。しかし男は大いに仰天して、それ以後彼女と逢わなくなったということです。

<ご参考>原文は次の通りです。

津の國富田(とんだ)の庄の女、郡(こほり)をへだてゝ、男の方(かた)へかよふ。道も一里の余(よ)ありければ、行きて臥すにも暇(ひま)惜しむのみ也。また、さだかなる道にもあらず。田面(たづら)の畦(あぜ)の心細くも、人をとがむる里の犬、露の玉散る玉鉾(たまぼこ)の、道行(みちゆく)人の目繫(しげ)きをも、忍び忍びに通ひしは、げに戀の奴(やつこ)なりけり。賤(しづ)が夜なべの更け過ぎて、曉(あかつき)まだき夜(よ)をこめしも、情(なさけ)にかゆる有さま、いとあやかりたきわざなりけらし。

 この通ひ路(ぢ)に西河原(にしかはら)の宮(みや)とて、森深き所有(あり)。そこを越ゆるに、また、渭(い)のための溝(みぞ)あり、一つ橋ありて渡る。

 ある夜、この女の通ふに、例の橋なし。其溝、上り下りて見るに、非人のまかりたるが、溝に橫たはり、仰(あふ)のけになりて臥(ふ)す。女、

「幸ひ。」

と思ひ、かの死人(しびと)を橋に賴みて渡るに、この死人、女の裾を銜(くは)へて離さず。引きなぐりて通るが、一町ばかり行き過(すぎ)て思ふやう、

「死人(しびと)、心なし。いかで我が裾を食はん。如何樣(いかさま)にも訝(いぶ)かし。」

と、また元の所へ歸りて、わざと、己(をの)が後(うしろ)の裾を、死人の口に入れ、胸板(むないた)を蹈まへ、渡りて見るに、元の如く、銜(くは)ゆ。

 さてはと思ひ、足を上げてみれば、口、開(あ)く。

「案のごとく、死人に心はなし。足にて蹈むと蹈まぬとに、口を塞(ふさ)ぎ、口を開(あ)くなり。」

と合點して、男の方(かた)へ行く。

 さて、敷妙(しきたへ)の枕に寄り居(ゐ)て、右のことを賞(ほ)められ顏(がほ)に話す。男、大きに仰天して、その後(のち)は逢はずなりにけり。

 げに、理(ことわ)りなり。かゝる女に、誰(たれ)とても添ひ果てなんや。天性(てんせい)、女は男(おのこ)より猶、肝(きも)太きものなり。そこら、隱すこそ、女めきて、よけれ。似合はぬ手柄(てがら)話、「臆病になき」などいふ人は、たとひ、其人に戀すてふ身も、興醒(けうさ)めてこそ止(や)みなん。只人(たゞうど)の女とても、肝太き袖は㒵(かほ)眺めらるゝわざよ。まして、上(うえ)つ方(かた)はさらなり。松虫・鈴虫のほかに、異樣(ことやう)なる虫見たるときも、

「あ、怖(こは)。」など、答(いら)へたるは、氣高(けだか)きよりは心憎し。

この話は、化け物が全く登場せず、むしろ怪異現象を否定する珍しいものです。井原西鶴による諸国奇談集「西鶴諸国ばなし」の序文にある「人は化け物、世にない物はなし」(*)の名言に通じる精神です。

(*)「人は化け物、世にない物はなし」とは

世の中にはよくわからないことが多い。これを不思議という。訳が分からないから恐ろしい。訳が分かってしまえば恐ろしくない。幽霊も妖怪も訳が分からないから恐ろしいので、訳が分かってしまえば恐ろしくもなんともない。人間の心は訳の分からぬ不思議なもので、人間ほど訳の分からぬものはない。訳が分からぬから人間は恐ろしい。だから人間は化け物だ。

これが西鶴の結論です。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ですね。

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