「国史」を「日本史」に変えた理由は?GHQによる教育改革とその影響とは?

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GHQの改革

皆さんは歴史の授業で「日本史」と「世界史」を習ったと思います(ただし、最近は世界史は全ての高校生が学びますが、日本史は地理との選択履修なので、学ばない高校生もいるそうです)が、「日本史(Japanese history)」をなぜ「国史(こくし)」(a national history, the history of a nation)と言わないのか不思議に思ったことはありませんか?

大学の文学部史学科には、「国史学科」「東洋史学科」「西洋史学科」がありますが、高校の授業科目としては、私のような団塊世代の時も「日本史」でした。

小中学校の科目である「国語(national language)」も「日本語(Japanese)」ではありませんよね。実は本来であれば「国史」というべきところを、「日本史」と言い換えたのは、GHQの占領政策の一環である「教育改革」によるものなのです。

余談ですが、作家の百田尚樹氏は「日本国紀」という本を書いていますね。

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1.GHQとは

GHQとは、「連合国軍最高司令官総司令部」のことで、General Headquartersの頭文字を取ってこう呼ばれます。日本が受諾した「ポツダム宣言」を執行するための連合国機関ですが、事実上アメリカ・イギリスの連合国2国の日本国占領機関で、合衆国政府の意志を日本政府を通じて国民に伝える役割を果たし、戦後6年半にわたり日本を支配しました。

しかし、その影響は占領期間の6年半にとどまらず、今日にまで及んでいます。

GHQは連合国軍43万人を統括する巨大組織で、連合国最高司令官(太平洋陸軍司令官兼務)を頂点に参謀長を置き、その下に参謀部と幕僚部を置いていました。

この中で特にGHQで影響力を持ったのは、アメリカ国防省の影響下にある参謀第2部(G2)と、国務省の影響下にありルーズベルト政権時代の社会主義者が多く存在する民政局(GS)でした。

占領の初期は、日本の非武装化と民主化を強力に推し進める国務省支配下のGSの勢力が強かったのですが、1949年に中華人民共和国が成立しドイツを東西に分割するベルリンの壁が建設され冷戦構造が決定的になると、日本を共産勢力の防波堤とし軍備の拡大と右派勢力の温存を図る国防省の影響下にあるG2が勢力を増します。

このG2の支持を取り付けたのが吉田茂であり、彼はGSが推した社会党芦田政権が昭和電工の疑獄事件で倒れた後、長期政権を築くことになりました。このようにGHQは日本の政権運営にも影響を残すことになったのです。

GHQは昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効とともに活動を休止し解体されます。

しかし、それは連合国軍が完全に日本から撤退するという意味ではなく、日本政府はアメリカと2国間協定(日米安全保障条約)を結び、アメリカ軍の継続した国内駐留と治外法権などの特権を与えることになりました。1960年に岸信介首相が安保条約改定をした時の反対闘争(安保闘争)でも有名ですね。

GHQは形を変えて、現在でも日本の政治経済に大きな影響を与えていると言えるでしょう。「不偏不党」を標榜する新聞やマスコミにもその影響が残っているように私は思います。

2.GHQによる「占領政策」とは

前にGHQによる「日本人洗脳プログラム」である「WGIP」を詳しく解説しましたが、今回は「占領政策」全体についてご紹介したいと思います。

GHQはポツダム宣言に従って以下の8つの政策を実行しました。

戦争犯罪人の逮捕 昭和3年よりの日本の戦争指導者の逮捕・東京裁判の開廷
公職追放 侵略戦争及び大政翼賛会に参加した人間を公職から追放
言論統制 軍国主義の肯定及び連合国を批判する言論を検閲し弾圧
非軍事化 日本国内の兵器・武具の破壊・没収。平和憲法の制定
民主化 婦人参政権、労働組合法、教育改革、財閥解体、治安維持法廃止内務省の廃止、国家警察と自治体警察への分離
農地改革 大地主から小作人に強制的に土地を分け与え自作農を増やす
教育改革 六三三制移行、男女共学、国史、修身、地理の停止、漢字の廃止等
医療改革 医薬分業制度の導入

これらの政策の中には、ローマ字を導入して漢字を廃止するなど日本人の激しい抵抗を受けて中止したものや、冷戦構造が決定的になったことにより180度方針転換された非軍事化や公職追放などの措置もありますが、ね強権的に実行され、よくも悪くも戦後日本を決定づけることになります。

3.GHQによる「教育改革」とは

GHQは戦後の日本に適用する教育改革も行います。

この改革によって日本は「六三三制」(小学校6年・中学校3年・高校3年・大学4年)になり、そのうち小学校と中学校を義務教育とする学校制度が新しく設けられ今に続くスタイルが完成しました。

また戦前には必ず覚えなければいけなかった「教育勅語」も廃止され、思想の自由化も行われました。

ちなみにこの時、アメリカは日本の公用語である日本語をローマ字で表すという計画が立てましたが、日本の識字率があまりにも高く、アメリカよりも上だったため、この計画は断念されることになりました。

問題は「国史」「修身」「地理(地政学)」の停止です。これは日本人を弱体化・無能力化させる「日本人洗脳プログラム」の一環とも言えます。

GHQは日本人を洗脳するには、教育機関を(反日)プロパガンダの道具として、学校の教員を活用し、子供を洗脳教育していくことが一番効率的であると考えました。

まず、自虐史観の押し付けなどを行ない、日本人にネガティブなマインドを植え付けるようにしました。

さらに妄想的平和主義や、個人の権利尊重などの指導に力を入れ、理想主義者を増やして、日本人を弱体化するように仕向けました。

その結果、当時の教員は「日教組」を作り、利己的に労働者としての権利を過剰に主張するようになり、反日勢力化して、GHQの思惑通りに、先生は生徒に妄想的平和主義や、公よりも個人の権利尊重を熱心に指導するようになりました。

さらに中国・朝鮮の反日勢力が日教組に入り込み、極左思想にエスカレートして、極左思想を生徒に押し付ける中国共産党や北朝鮮の工作員化する教員もいました。国歌「君が代斉唱」を起立して歌うことを拒否する教員が今でもいるのもその例でしょう。

その結果、自虐的なマイナス思考をする人が増え、日本古来から受け継がれている勤労・礼儀・奉仕・美徳なども失われて、権利ばかりを主張する自己中心的な倫理観のない人間が多くなってしまいました。

またアメリカ型の資本主義国家を確立するべく、巨大資本企業に服従させるのに不可欠な合理性・効率性・秩序性をもつ労働者を育成・量産するために、教育にYESかNOの二元論が導入され、○×形式のテスト・問題が取り入れられました。

○×形式に慣れると、人間は物事を常に2つの側面から捉えることしかできなくなり、日本人の想像力や問題解決力、感性といった人間にとって大事な力が失われてしまいました。複雑な現実問題に対しても、極めて単純な思考しかできなくなってしまいました。

要するに「思考停止」状態です。「憲法改正論議」や「天皇制廃止を含む天皇制の是非の論議」が表立って活発に行われないのも、その表れです。高校での「歴史総合」の授業にぜひ期待したいものです。

かつて欧米の帝国主義列強によって植民地とされた国々が、自国の歴史や言語・文化を否定されたりしました。現在でも帝国主義化した共産党一党独裁国家の中国による少数民族のチベットウイグルへの弾圧で似たようなことが行われていますが、GHQによる「教育改革」も似たような側面があったのです。

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