私は外国語学習としては英語とドイツ語を習いましたが、必ずしも上達したとは言えません。
欧米欧米人には今でもアジア系民族への人種差別意識が根強くありますが、彼らから英語で揶揄されても岡倉天心のように、当意即妙に英語で応酬することは私にはできません。
語学の天才か帰国子女でもない限り、英語の微妙なニュアンスまで体得することは至難の業です。
我々日本人としてはそんな無理なことに挑戦するよりも、俳句の季語のような豊かで細やかな日本語、美しい日本語をもっと深く知るほうがよほど易しいし、気持ちを豊かにしてくれると思います。
これまでにも、「四季の季節感を表す美しい言葉(その1「春」)」「四季の季節感を表す美しい言葉(その2「夏」)」「四季の季節感を表す美しい言葉(その3「秋」)」「四季の季節感を表す美しい言葉(その4「冬」)」などで多くの季語をご紹介して来ましたが、まだまだ美しい季語があります。
四回目は「秋」の季語をご紹介します。
・燈籠流し(とうろうながし)
灯をともした燈籠を川や海に流し、燈籠にのった祖先の霊をあの世へ送る行事です。盂蘭盆会(うらぼんえ)の終わる十五日、または十六日の夜に行われます。盆の供物や茄子の馬、魂棚の筵なども一緒に流します。板切れに蝋燭を立てた簡単なものから、箱に仕立てた大型の燈籠までさまざまあります。
<子季語>流燈(りゅうとう)、流燈会(りゅうとうえ)、精霊流し(しょうろうながし)
<例句>燈籠のわかれては寄る消えつつも(臼田亜浪)
今では「精霊流し」を実際に見ることはあまりありませんが、さだまさしが「グレープ」というフォークデュオで歌った詩情豊かなヒット曲「精霊流し」でその様子が想像できますね。
・新涼(しんりょう)
秋に入ってから感じる涼しさのことです。「涼し」だけでは、夏の季語となります。夏の暑さの中で感じられる涼しさではなく、「涼しく過ごしやすい季節」になってきたことを言います。
<子季語>新たに涼し、初めて涼し、秋涼し、秋涼、涼新た、初涼、早涼
<例句>新涼やさらりと乾く足の裏(日野草城)
・木槿(むくげ)
中国、インド、小アジア原産のアオイ科の落葉低木です。3mほどになります。庭木や生け垣として植えられ、紅紫色を中心に、白やしぼりの五弁の花を咲かせます。朝咲いて夕暮れには凋むので、「槿花一朝(きんかいっちょう)の夢」のようにはかないものの例えにもなります。
<子季語>底紅(そこべに)、白木槿、花木槿、むくげ
<例句>道のべの木槿は馬に食はれけり(松尾芭蕉)
・鰯雲(いわしぐも)
鰯の群れのように空に広がる雲のことです。魚の鱗にも似ていることから、「鱗雲(うろこぐも)」とも言います。この雲が見られると鰯の群れがやってくるとも言われてます。
<子季語>鱗雲
<例句>鰯雲人に告ぐべきことならず(加藤楸邨)
・菊供養(きくくよう)
十月十八日、浅草の浅草寺で行われる菊の花の供養です。参詣者は境内で求めた菊の花を仏前に供え、かわりに、すでに読経供 養された菊花を持ち帰ります。持ち帰った菊には災難よけのご利益があるとされます。
<例句>とりとめし命なりかし菊供養(久保田万太郎)
・敗荷(やれはす)
秋口には風に葉を翻していた蓮も、日に日に色褪せ、風雨に打たれて破れてゆきます。寂しくわびしい秋の風情そのもです。
<子季語>破蓮、敗れ荷、敗荷、秋の蓮
<例句>さればこそ賢者は富まず敗荷(与謝蕪村)
・草紅葉(くさもみじ)
晩秋に山野の草々が色づいて紅葉のように見えることです。古くは「草の錦」と呼びました。「草木の紅葉を錦にたとへていふなり」と「栞草」に載っています。
<子季語>草の錦、草の色、色づく草、草の紅葉
<例句>一雨に濡れたる草の紅葉かな(日野草城)