最近の急激な物価上昇は、主婦でもない私のような団塊世代の男にも肌で感られるほどです。これからまだまだ多くの商品の値上げが目白押しで、「値上げの秋」とも言われています。
かつて「値上げの春」という言葉がありましたが、「高度成長期」の頃は毎年春闘で「ベースアップ(労働者全員の一律の賃上げ)」と「定期昇給(個人の成績・業績に応じた賃上げ)」があり、物価上昇に追いつく形での賃上げがありましたので、国民全体がそこそこ豊かな「一億総中流」の理想的な日本社会が実現されていました。
これは本来の資本主義の姿である「良性インフレ」(経済の好循環)と言えるでしょう。これの反対が「デフレスパイラル」です。
ところで今の急激なインフレは、賃金上昇や年金上昇を伴わない「悪性インフレ」です。
高齢者の命綱とも言える「年金」はどうなるのでしょうか?
1.「物価スライド」とは
年金額の実質価値を維持するため、物価の変動に応じて年金額を改定することをいいます。現行の物価スライド制では、前年(1月から12月まで)の消費者物価指数の変動に応じ、翌年4月から自動的に年金額が改定されます。私的年金にはない公的年金の大きな特徴です。(出典:「日本年金機構」のホームページ)
この「物価スライド」は、労働者のような「賃上げ交渉(闘争)」ができない年金生活者にとっては、年金価値の目減りを防ぐ有難い仕組みと言えます。
2.「マクロ経済スライド」とは
平成17年4月から、財政均衡期間にわたり年金財政の均衡を保つことができないと見込まれる場合に、給付水準を自動的に調整する仕組みであるマクロ経済スライドが導入されました。これにより、年金額の調整を行っている期間は、年金額の伸びを物価の伸びよりも抑えることとします。(出典:「日本年金機構」のホームページ)
しかし2005年から、年金生活者にとって不利な「マクロ経済スライド」(公的年金の上昇抑制が狙い)という巧妙な仕組みが導入されました。
「物価スライド」によって年金受給者が受け取る年金額は、物価や賃金の変動率に応じて、毎年改定されていますが、年金額の増加を抑えるために、改定率を調整する仕組みのことを「マクロ経済スライド」といいます。
3.「マクロ経済スライド」導入の背景
物価や賃金が上昇するとともに、年金額も上昇しなければ、実質年金の価値は目減りすることになります。年金を年間200万円受け取れるとした場合に、世の中の物価が今よりも10%上昇したらどうなるでしょうか?物価上昇した場合、受け取れる年金額も10%増加しなければ、お金の価値が下がってしまいます。
そのため公的年金にも、物価や賃金が上昇するインフレ局面では、物価上昇率に応じて公的年金額も上昇していく仕組み(「物価スライド」)があります。しかし、「マクロ経済スライド」が発動されると、インフレ局面でも物価上昇率ほど公的年金額は上昇しません。
「マクロ経済スライド」で公的年金の上昇を抑制するのは、日本の年金制度が、今、年金を受け取っている高齢者の年金の原資は、今、働いている現役世代の年金保険料とする「世代間扶養」という仕組みを採用しているためです。
インフレ局面で、日本の公的年金額を物価上昇率と同じくらいに増加させてしまうと、過度に現役世代から多くの年金保険料をもらわなければならず、家計を圧迫してしまう可能性があります。そのため、物価上昇率が高くても、公的年金額の上昇を抑える「マクロ経済スライド」という仕組みが存在しているのです。
4.「マクロ経済スライド」の仕組み
「マクロ経済スライド」の肝は「スライド調整率」です。
以下の事例は物価上昇率が1.5%であった時の例です。物価上昇率が1.5%であっても、スライド調整率※1)0.9%が反映し、公的年金額の改定率は+0.6%に抑えられてしまいます。
※1)…スライド調整率=公的年金全体の被保険者の減少率+平均余命の伸びを勘案した一定率(0.9%)
また、以下の事例は、物価上昇率がさほど大きくなく、スライド調整率を適用してしまうと、従来の年金額を下回ってしまうケースです。この場合は、公的年金額は調整されず、据え置きとなります。
また、以下は物価が下落したケースです。年金の改定率は物価下落率が下限となり、それ以上の公的年金額の引き下げはありません。
5.「マクロ経済スライド」が発動された事例
「マクロ経済スライド」が導入されたのは2004年です。以来、日本では長年にわたる経済の停滞から、賃金や物価が下落傾向で、年金額の改定率もマイナス傾向が続きました。そのため、過去に「マクロ経済スライド」が発動されたのは、2015年、2019年、2020年の3回だけです。
6.2018年4月から「キャリーオーバー」という制度が導入された
「キャリーオーバー」と聞くと、宝くじやホールインワンの賞金などの「キャリーオーバー」を連想して良いイメージを持たれるかもしれませんが、年金生活者にとっては厳しい制度です。
「キャリーオーバー」とは、スライド調整率によって年金額が前年度を下回ってしまう場合、翌年度以降に未調整の分を繰り越し、賃金と物価が上昇した年度に調整するというものです。
2021年と2022年度はすでにキャリーオーバーが決まっています。つまり、将来的に物価や賃金が上昇しても、公的年金の改定率と、過去2回分の「キャリーオーバー」が残っているため、ほとんど年金額は増加しないことが予想されます。
「マクロ経済スライド」、「キャリーオーバー」という言葉は大変かっこいい言葉に聞こえるかもしれません。そして、実態が大変わかりにくい制度ですが、要するに物価や賃金の上昇があっても、公的年金はそれほど増やしませんよ、という制度なのです。
戦後、官僚が発明した最高の言葉が「マクロ経済スライド」だという意見もあります。言葉のニュアンスとは裏腹に、国民の年金はインフレが来ると減りますよという意味の言葉であることを十分理解する必要があります。
このように、一般の人が気づかないうちに、公的年金を取り巻く状況は悪化の一途をたどっています。
なお、前に「年金だけでは老後資金が2000万円不足するとの金融庁の試算は妥当な正論」という記事も書いていますので、ぜひご覧ください。