『ギリシャ神話』はもともと口承文学でしたが、紀元前8世紀に詩人のヘーシオドスが文字にして記録しました。古代ギリシャの哲学、思想、宗教、世界観など多方面に影響を与え、ギリシャでは小学校で教えられる基礎教養として親しまれています。
絵画ではしばしばモチーフとして扱われ、多くの画家が名作を残しています。文学作品や映画などにも引用され、ゲーム作品でも題材になっていることがあります。たとえば、ディズニー映画の『ヘラクレス』はギリシャ神話をモデルにしたお話です。
『ギリシャ神話』(およびその影響を受けた『ローマ神話』)は、現在まで欧米人にとって「自分たちの文化の土台となったかけがえのない財産」と考えられて、大切にされ愛好され続けてきました。
欧米の文化や欧米人の物の考え方を理解するためには、欧米の文化の血肉となって今も生き続けている『ギリシャ神話』の知識が不可欠です。
「日本神話」は、天皇の権力や天皇制を正当化するための「王権神授説」のような神話なので、比較的単純ですが、『ギリシャ神話』は、多くの神々やそれらの神の子である英雄たちが登場し、しかもそれらの神々の系譜や相互関係も複雑でわかりにくいものです。
前に「ギリシャ神話・ローマ神話が西洋文明に及ぼした大きな影響」という記事や、「オリュンポス12神」およびその他の「ギリシャ神話の女神」「ギリシャ神話の男神」を紹介する記事を書きましたので、今回はシリーズで『ギリシャ神話』の内容について、絵画や彫刻作品とともに具体的にご紹介したいと思います。
第8回は「ディオニューソスと踊り狂う信女たち」です
1.ディオニューソスとは
<ユピテル(ゼウス)とセメレー ギュスターヴ・モロー画>
ディオニューソスは、ギリシア神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神で、ゼウスとテーバイの王女セメレーの子です。この名は「若いゼウス」の意味(ゼウスまたはディオスは本来ギリシア語で「神」という意味)。オリュンポス十二神の一柱に数えられることもあります。
聖獣は豹、虎、牡山羊、牡牛、牡鹿、蛇、イルカ、狐、ロバで、聖樹は葡萄、蔦であり、先端に松笠が付き葡萄の蔓や蔦が巻かれたテュルソスの杖、酒杯、豊穣の角もその象徴となります。
日本語では長母音を省略してディオニュソス、デオニュソスとも呼びます。別名にバッコス(バッカス)があり、ローマ神話ではバックス(Bacchus)と呼ばれ、豊穣神のリーベルと、エジプトではオシーリスと同一視されました。
2.ディオニュソスにまつわる神話
(1)誕生
<子供のバッカス ヤーコブ・ヨルダーンス画>
ヘーラーは、夫ゼウスの浮気相手であるセメレーを大変に憎んでいました。そこで、彼女に「あなたの愛人は、本当にゼウスその人かしら?」という疑惑を吹き込みました。セメレーは内で膨らむ疑惑に耐えきれず、ゼウスに必ず願いを叶えさせると誓わせた上で、「ヘーラー様に会う時と同様のお姿でいらしてください」と願いました。
ゼウスは仕方無く雷霆を持つ本来の姿でセメレーと会い、人間であるセメレーはその光輝に焼かれて死んでしまいました。ゼウスはヘルメースにセメレーの焼死体からディオニューソスを取り上げさせ、それを自身の腿の中に埋め込み、臨月がくるまで匿ったということです。
(2)ヘーラーの狂気
生まれたてのディオニューソスは、セメレーの姉妹であるイーノーに渡されました。ディオニューソスは娘として育てられ、夫アタマースはこれを黙認していました。しかし、ヘーラーは、このことを憎んでアタマースに狂気を吹き込みました。
アタマースが白い鹿を見つけて矢を射たところ、殺したのはイーノーとの息子レアルコスでした。またイーノーも狂気に駆られ、沸騰したお湯の入った鍋にもう一人の息子メリケルテースを入れて殺し、その遺体を抱いて海に飛び込んだということです。
別の伝承では狂気に駆られたアタマースはレアルコスの体を八つ裂きにしました。イーノーはメリケルテースを抱いて逃げましたが、アタマースに追いつめられ、母子ともに海に身を投げました。
またディオニューソス自身も狂い彷徨うことになるのですが、キュベレーによって狂気を解かれたともいわれます。ゼウスはディオニューソスを育てた恩義に報いてイーノーを女神レウコテアーとし、メリケルテースは海神パライモーンとなりました。
(3)布教の遍歴
<ディオニュソスと付添人>
その後、ディオニューソスは、ブドウ栽培などを身につけて、ギリシャやエジプト、シリアなどを放浪しながら、自らの神性を認めさせるために、信者の獲得に勤しむことになります。
彼には踊り狂う信者や、サテュロスたちが付き従い、その宗教的権威と魔術・呪術により、インドに至るまで征服しました。また、自分の神性を認めない人々を狂わせたり、動物に変えるなどの力を示し、神として畏怖される存在ともなりました。
ワインの伝来については、次のような神話があります。各地を遍歴したディオニューソスはアテーナイの近くイーカリアー村で農夫イーカリオスのもてなしを受けました。ディオニューソスは大変に感謝し、返礼としてイーカリオスに葡萄の栽培と、ワインの製法を伝授しました。
イーカリオスは出来上がったワインを山羊皮の袋に入れ、村人たちに振舞いましたが、初めて酒を飲んだ村人は酔いが理解できず、毒を盛られたと誤解してイーカリオスを殺害してしまいました。その死体を見た娘エーリゴネーは悲嘆の余りその場で首を吊りました。
事の次第を知ったディオニューソスは怒り、村の娘全員を狂気に陥らせ、集団縊死に及ばせました。やがて誤解と知った村人たちの手で哀れな父と娘は供養され、ここにディオニューソスの怒りも収まり、同地は葡萄の産地として名を知られるようになりました。
<バッカスの勝利 ニコラ・プッサン画>
<バッカスの勝利 ベラスケス画>
エウリーピデースの悲劇『バッカイ』の中では次のような物語があります。ディオニューソスは故郷であるテーバイで、叔母にあたるアガウエー、アウトノエー、イーオーが母セメレーを中傷していることに怒り、信女たちを引き連れてテーバイを訪れ、現地の女たちを狂わせて山中で生活させていました。
それを知った王ペンテウスはディオニューソスの神性を信じず、また彼の祭儀を淫らでいかがわしい物に違いないと決めつけました。彼はディオニューソスを捕えて問答し、その結果、その「いかがわしい」祭儀を覗きたい欲求に駆られて、唆(そそのか)されるままに山へと赴きます。
<引き裂かれるペンテウス ポンペイ壁画>
そしていざ盗み見ようという時、ディオニューソスの指示で一斉に飛び出した信女達の手によって、八つ裂きにされてしまうのでした。彼を八つ裂きにした女達の指揮を執っていたのは、ペンテウスの母アガウエーでした。
また、彼は海賊に捕らえられたこともあります。ディオニューソスを高貴な生まれの貴公子と勘違いした海賊に捕らえられ、船上に連れて来られました。海賊達は彼を縄で縛ろうとしましたが、自然と緩くなってしまい、何度試みてもうまくいきません。
ここで海賊の一人ヘカトールがディオニューソスの神性に気付き、助け出そうとしましたが、時既に遅し、海賊船に葡萄酒が満ち、葡萄の蔓が絡みついて、房がたわわに実ったのです。その上、ディオニューソスは獅子へと変じ、船の中央に熊を召喚しました。
それに度肝を抜かれた海賊たちは海へと飛び込み、そのままイルカへと変貌させられてしまいました。ただし、いち早くディオニューソスに気付き、助けだそうとしたヘカトールだけは助かり、彼はその後ディオニューソスの熱心な信者になりました。
こうして熱狂的な信者を獲得し、ディオニューソスは世界中に自分の神性を認めさせました。更に、冥界へと通じるとされる底無しの湖に飛び込んで、死んだ母セメレーを冥界から救い出し、晴れて神々の仲間入りをしたということです。
(4)神となった後
神に仲間入りを果たした後、ディオニューソスはヘーラーとも和解しています。ヘーラーは息子ヘーパイストスの罠に掛かり、黄金の椅子に拘束され身動きが取れなくなっていました。
神々はヘーラーを解放させるため、ヘーパイストスをオリュンポスに招待しますが、母に捨てられた憎しみから、彼は応じません。そこで、ディオニューソスはヘーパイストスに酒を飲ませ、彼を酔わせた状態でオリュンポスに連行しようと考えました。この功績により、彼らの和解が叶うところとなりました。
また、彼はオリュンポス十二神の一柱として数えられることもあります。これは、元々十二神だったヘスティアーが、彼が十二神に列せられないことを哀れんで、その席を譲ったためとも言われています。
(5)オルペウス教
<オルフェウス教のモザイク>
ディオニューソスの神話には、オルペウス教の基礎となる次のような異説もあります。ゼウスはヘーラーの実の母レアーと交わりペルセポネーを産ませました。そして、蛇に化けてペルセポネーに近づき、跡継ぎとしてザグレウスを産ませました(ザグレウスは単にデーメーテールとの間に産まれた子という説もあります)。
ところが、ザグレウスは嫉妬に狂ったヘーラーが仕掛けたティーターン族に襲われ、数々の動物に変身して闘いましたが、牛になったとき捕らえられ、八つ裂きにされ食われてしまいました。
アテーナーがその心臓を救い出し、ゼウスがこれを飲み込みました。後に生まれたセメレーとの間の子の心臓は、本来ザグレウスのものでした。この神話はディオニューソスがかつて農耕神であったことを反映していると考えられます(死と再生の神)。
ティーターン族はゼウスの雷霆によって焼き払われ、その灰が今の人類になったということです。この灰にはティーターンの肉とザグレウスの肉(喰らったため)が混ざり合っており、そのため、ディオニューソス的要素から発する霊魂が神性を有するにもかかわらず、 ティーターン的素質から発した肉体が霊魂を拘束することとなりました。
つまり、人間の霊魂は「再生の輪廻(因果応報の車輪)」に縛られた人生へと繰り返し引き戻されるのです。この輪を脱するには、ディオニューソス的な神性を高める必要があったとされます。
(6)信仰
<バッカス祭 ニコラ・プッサン画>
本来は、集団的狂乱と陶酔を伴う東方の宗教の主神で、特に熱狂的な女性信者を獲得していました。この信仰はその熱狂性から、秩序を重んじる体制ににらまれていましたが、民衆から徐々に受け入れられ、最終的にはディオニューソスをギリシアの神々の列に加えることとなりました。
この史実が、東方を彷徨いながら信者を獲得していった神話に反映されています。またザグレウスなど本来異なる神格が添え名とされることにもディオニューソス信仰の形成過程をうかがわせます。
しかし、実際にはミケーネ文明の文書からゼウスやポセイドーンと同様にディウォヌソヨ(Διϝνυσοιο)という名前が見られ、その信仰はかなり古い時代までさかのぼります。ギリシャ人にとっては「古くて新しい」という矛盾した性格を持つ神格だったようです。
アテーナイを初めとするギリシア都市ではディオニューソスの祭り(ディオニューシア祭)のため悲劇の競作が行われました。悲劇の起源はディオニューソスに関する宗教儀式であり、そこに叙情詩の会話形式が加わって、悲劇が大成したと考えられます。
(7)哲学
フリードリヒ・ニーチェは、ディオニューソスを陶酔的・激情的芸術を象徴する神として、アポローンと対照的な存在と考えました(『音楽の精髄からの悲劇の誕生』もしくは『悲劇の誕生』)。
このディオニューソスとアポローンの対比は思想や文学の領域で今日でも比較的広く知られており、「ディオニューソス的」「アポローン的」という形容、対概念は、ニーチェが当時対象としたドイツ文化やギリシア文化を超えた様々な対象について用いられます。
(8)劇場
<アテネにあるディオニューソス劇場>
ギリシャのアテーナイのアクロポリスの南斜面には、ディオニューソス劇場があります。1万5千人以上を収容できる、すり鉢状の野外劇場で、紀元前6世紀頃の建造物とされます。紀元前4世紀(ローマ時代)に改築された当時のものが現在でも残っており、ディオニューソスの生涯をモチーフとしたレリーフなども見ることができます。この劇場は、毎年春の大ディオニューシア祭において、ディオニューソスに捧げる悲劇(ギリシア悲劇)を上演するために用いられたことで特に知られます。