日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.アチャラ漬け(あちゃらづけ)
「アチャラ漬け」とは、大根や蓮根、ゴボウ、カブなど季節の野菜(根菜類)を刻み、唐辛子を加えて甘酢に漬けたものです。「アジャラ漬け」とも言います。
もともとはピクルスをまねてつくったもののようで、さっぱりした味です。調味液は、酢、みりん、砂糖、食塩、唐辛子などを用います。
アチャラ漬けの「アチャラ」は、ポルトガル語で野菜や果物の漬け物を意味する「achar(アチャール)」に由来し、近世初頭に南蛮貿易を通して日本に入ったといわれます。
「アチャラ」に似た音で「漬け物」を表している言葉が、インドの「アチャール」、フィリピン・インドネシアの「アチャラ」、ネパールの「チャーレ」、アフガニスタンの「オチョール」など各地に見え、これらは同源と考えられます。
アチャラ漬けの「アチャラ」は「あちゃら(あちら)」のことで、「中国風」の意味とする説もありますが、「アチャラ(さん)」と言えば、普通は「外国人」特に「西洋人」や「西洋風」を意味するので、言葉をよく知らない人が作った俗説です。
2.荒ら屋(あばらや)
「あばらや」とは、荒れ果てた家のことで、「破屋(はおく)」「やぶれや」とも言います。粗末な家の意で自分の家を謙遜しても言います。
また四方を開け放した休憩用の小さな建物である「東屋/四阿(あずまや)」の意味で用いられる場合もあります。
あばらやは、平安時代から用いられる語です。
あばらは、隙間が多く荒れたさまを意味する形容動詞「荒ら」で、「あばら骨」や「まばら」にも通じる言葉です。
3.曖昧(あいまい)
「曖昧」とは、態度や物事がはっきりしないこと、あやふや、怪しくて疑わしいこと、いかがわしいさまのことです。
かつて、料理屋・茶屋・旅館などに見せかけて売春をする家のことを「曖昧宿」「曖昧茶屋」と呼びました。
曖昧は、漢語に由来する言葉です。「曖」の字も「昧」の字も、「暗い」を意味します。
暗くて確かでないというところから、「はっきりしない」や「いかがわしい」の意味が生じました。
「曖昧模糊(あいまいもこ)」は、「はっきりせず、ぼんやりしているさま。あやふやなさま」のことです。「曖昧」も「模糊」も、ともにぼんやりして不明瞭なさまの意味です。「模」は「糢」とも書きます。
なお、「あいまい」とよく似た言葉に「あやふや」があります。
「あいまい」は、「責任をあいまいにする」「あいまいな説明でごまかす」のように、意識的に物事をはっきりさせないでおく場合にも用います。これを「あやふや」で置き換えると不自然です。
一方「あやふや」は、「あやふやな気持ち」「あやふやな答弁」のように、本人自身が言葉や態度をはっきりさせられずにいる場合に用いることが多い言葉です。
4.薊(あざみ)
「アザミ」とは、キク科アザミ属の多年草の総称です。葉は大形で深い切れ込みやトゲがあるものが多く、花は頭花で、淡紅色や紅紫色です。「刺草(しそう)」とも言います。
アザミの語源には、沖縄の八重山方言で「トゲ」を意味する「アザ」に、植物名に多い接尾語「ミ」が付いたとする説や、アザミの花の色は、紫と白とで交たる(あざみたる)ところからとする説があります。
このほか、「アラサシモチ(粗刺持)」の意味とする説や、「あざむ(惘)」の意味とする説もあります。
「あざむ」は「驚きあきれる」を表す語で、トゲの多さに驚きあきれるところからです。
古く「あざむ」は「あさむ(浅む)」といい、清音であった点は疑問ですが、「む」が「み」となり名詞化する動詞は多くあります。
アザミの漢字「薊」は、「草冠」+「魚」+「刀」からなる字で、「魚」はトゲトゲした骨があることを表しています。
つまり、「薊」はトゲがあって、刀のように刺す草を表した漢字です。
余談ですが、「山には山の愁いあり 海には海のかなしみや」が歌いだしの『あざみの歌』という哀愁を帯びた歌謡曲がありましたね。この歌は、1949年(昭和24年)にNHKラジオ歌謡で発表されたものです。
また井上陽水の『少年時代』にも「風あざみ」というのが出てきますね。これについては、「井上陽水の少年時代の歌詞の意味は謎めいている?私なりの解釈をご紹介します!」という記事を書いていますので、ぜひご覧ください。
俳句では、「薊」だけだと春の季語ですが、夏の季語となる「夏薊」、秋の季語である「富士薊」などもあります。
5.痣(あざ)
「あざ」とは、色素細胞の異常増殖や皮下出血によって、皮膚が赤や紫などに変色した部分のことです。
あざは「あざやか(鮮やか)」と同源の言葉です。
古くは「際立っていることもの」や「どぎついもの」を「あざ」、「はっきりしていること」「鮮やかであること」を「アザアザ(鮮鮮)」と言いました。
ソ連のゴルバチョフ元大統領(1931年~2022年)は、頭に地図のような大きなあざがありましたね。
現代では皮膚が変色した部分を「あざ」と言いますが、昔は「ほくろ」「こぶ」「いぼ」など、皮膚にできるものの総称として「あざ」が用いられました。
「あざ」の漢字「痣」は、病垂れに「志(誌)」と書きます。「志」は「しるし」の意味で、「痣」は皮膚にしるしを残すほくろを表し、「ほくろ」の漢字に「痣」が用いられることもあります。
6.皹/皸(あかぎれ)
「あかぎれ」とは、冬、寒さなどのために手足の皮膚が乾燥し、皮が裂ける症状のことです。
古く、あかぎれは「あかかり」もしくは「あかがり」と言いました。
平安中期の辞書『和名抄』には「阿加々利」とあり、これが「あかかり」か「あかがり」かは不明ですが、平安末期の漢和辞書『類聚名義抄』は「アカガリ」で、1600年初頭の『日葡辞書』も「Acagari」と濁音です。
「あかがり」の「あ」は「足」の意味、「かがり(かかり)」は「ひびが切れる」という意味の動詞「かかる(皸る)」の連用形です。
「あかがり」が「あかぎれ」と変化したのは、区切りが「あ+かがり」から「あか+がり」と解され、「あか」が赤く腫れることから「赤」、「ぎれ」はひびが裂けることから「切れ」と連想されたものです。
江戸時代から「あかぎれ」の例が見られるようにり、次第に「あかぎれ」が優勢となって現在に至っています。
あかぎれの漢字「皸」や「皹」は、「皮」+音符「軍」からなる会意兼形声文字で、「軍」には「まるくまとまる」という意味があります。
「あかぎれ」は冬の季語で、次のような俳句があります。
・皸を かくして母の 夜伽かな(小林一茶)
・皸や 貧に育ちし 姉娘(正岡子規)
7.汗疹/汗疣(あせも)
「あせも」とは、「汗疹性湿疹(かんしんせいしっしん)」の俗称です。多量の汗をかいた後、汗腺がふさがってできる小さく赤い丘疹です。
あせもは、「あせぼ」とも呼ばれます。「あせぼ」は「あせいぼ(汗疣)」が変化した語ですが、「あせも」の方が古いことから、「あせぼ」は「あせも」につられて変化したものと考えられます。
あせもの語源には、「あせもの(汗物)」や「あせぶ・あせふ(汗生)」など諸説あります。
「も」の語源は未詳ですが、「天然痘」を古くは「いもがさ」や「もがさ」と言い、「あばた」は「いもがさ」を略して「いも」と呼ばれていたことから、「も」はこれらの語と関連性があり、「あせもがさ」や「あせいも」が転じたものと思われます。
漢字の「汗疹」の本来の読みは「かんしん」で、「疹」は小さな吹き出物を表します。
「汗疹」を「あせも」と読むのは流用で、漢字に「も」の意味を求めることはできません。
「あせも」は夏の季語で、次のような俳句があります。
・南京の 月夜の汗疣 ありにけり(加藤楸邨)
・汗疣の背 罪を犯せし ごと思ふ(山口誓子)
・蚊の口も まじりて赤き 汗疣哉(正岡子規)
余談ですが、私も子供のころ、夏になるとよく「あせも」ができて困りました。しかし風呂上がりに「天花粉(てんかふん)」(和光堂の「シッカロール」という商品名のベビーパウダー)で患部を母にはたいてもらったのは、懐かしい思い出です。
「天花粉」は夏の季語で、次のような俳句があります。
・天花粉 ところきらはず 打たれけり(日野草城)
・子の中の 愛憎淋し 天瓜粉(高野素十)