日本には、47都道府県(一道一都二府四十三県)がありますが、その語源・由来をご存知でしょうか?
普段、何気なく当たり前のように見聞きしている日本の都道府県ですが、いざその名前の由来を聞かれると、はたと答えに窮する方が多いのではないかと思います。
そこで今回は、日本の都道府県名の語源・由来をわかりやすくご紹介したいと思います。
1.北海道・東北地方
①北海道
北海道は、明治2年8月15日の太政官布告により、「蝦夷地(えぞち)」や「松前(まつまえ)」と呼んでいたものを改称した地名です。
改称には江戸末期の蝦夷地探検家 松浦武四郎が、「日高見道」「北加伊道」「海北道」「海島道」「東北道」「千島道」の6つの案を提言しました。
先住民族のアイヌが自分たちの地を「カイ」と呼んでいたことから、6案のうち「北加伊道」を基本とし、五畿七道(東海道、東北道、北陸道、山陰道、山陽道、西海道、南海道)になぞらえ、「北加伊道」に「北海道」の字を当てて採用されました。
北海道が正式に自治体となったのは昭和22年(1947年)で、47都道府県のうち唯一「道」の行政区画名を用います。
地名(「都府県」をつけない「奈良」など)と、行政区分(「都府県」をつける「岐阜県」など)の区別はなく、「北海道」か「北海」かはっきりされていませんが、一般的には「道」をつけて用いられます。
②青森県
青森の名は、近世初頭に米町(現在の本町5丁目)にあった「青森山」という小丘陵の名から、「青森町」と命名されました。
山の名前の由来には、磯馴松(そなれまつ)が青々と生い茂った小高い森であったからとする説と、「ア・オ・モリ」と分け、アイヌ語で「ア(接頭語)」「ヲ(高くなった所)」「モリ(盛)」から「突き出た丘」を意味する説があります。
その他、アイヌ語説には意味が異なるいくつかの説がありますが、「ア・オ・モリ」と細かく分割し、音を当てはめただけの説が多いため信憑性は薄いようです。
③秋田県
久保田藩が郡名の「秋田」を使い「秋田藩」と改称したことに由来します。
古くは『日本書紀』に「齶田(あぎた)」「飽田」の名で見られ、天平五年(733年)の『続日本紀』で「秋田村」の名が見られます。
語源には、「あいた(「あい」が湧き水を意味し、「た」が場所を示す接尾語)」が変化し「あきた」になったとする説や、低湿地帯を意味する「飽田(あくた)」の転訛説、アイヌ語で葦の穂が生い茂るところを意味する「あき・たい」の転訛説、土壌が稲作に向かなかったことから「悪田(あくた)」の転訛説などがあります。
秋田に「飽田」の文字が使われた時代もありますが、最も古い文献で「あぎた」が使われていることから、これらの説は考え難く、「あぎた」が転じて「あきた」になったと考えるべきでしょう。
「齶田」の「齶」は「がく」と読み、歯がぶつかり合うさまを意味するが、「顎(あご)」と同系の文字として扱われます。
そのことから、秋田の地形をアゴに見立て、場所を示す接尾語「た」が付いて「あぎた」になったとする説や、高くなった所を意味する「あぎ」に場所を示す接尾語「た」が付き、「あぎた」となって「齶」の字を当てたとする説があります。
④岩手県
岩手の地名は、「岩手山」にちなんだ名です。「岩手山」は、石川啄木の「ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな」という短歌で有名ですね。
山名の「岩手山」は溶岩流によって岩の押し出した所の意味で、「岩(いわ)」「出(いで)」が転じたと考えられます。
岩手には羅刹鬼(らせつき)という悪事をはたらく鬼がおり、里人が「三ツ石様」と呼ばれる神様にお願いしたところ、三ツ石様は鬼を捕らえ、二度と悪事をしない印として岩に手形を押させたことから、「岩手」と呼ぶようになったという伝説があります。
これは地名の由来ではなく伝説ですが、岩手山の噴火を恐れて神に祈ったことから生まれたものと思われます。
⑤山形県
山形は近世の城下町名で、文献上は中世から見られます。
地名の由来は「山の方(山のある方角)」の意味で、「形」と書くのは当て字と考えられます。
『和名抄』に見える「最上郡山方郷」に由来する説もありますが、疑問点が多く信憑性に欠けます。
⑥宮城県
宮城の県名は、廃藩置県で「仙台藩」から「仙台県」となった翌年、県成立時の県庁所在地であった郡名の「宮城」に改められたものです。
宮城の地名の由来には、奈良時代に陸奥国府の多賀城が置かれ、朝廷の出先機関にあたることから「宮宅・屯宅(みやけ)」と呼ばれていたものが、「みやぎ」に変化して「宮城」の字が当てられたとする説。
多賀城が「朝廷の城」の意味で「宮城」と呼ばれていたとする説。
宮城の「宮」は古くからある塩釜神社を指しており、接尾語の「ぎ」に「城」が当てられたとする説。
みやぎの語構成は「み」+「やぎ」で、「み」が美称としての接頭語の「み(御)」、「やぎ」は湿地を表す語などの説があります。
⑦福島県
福島の県名は県庁所在地にあった「城」の名からで、近世の村名・城下町名でもあります。
文禄元年もしくは2年(1592・1593年)に、木村吉清によって「杉目城」から「福島城」に改称され、その地域も「福島」と呼ばれるようになりました。
城や城下町が「福島」となった由来は、この地域一帯が湖沼で、その真ん中にある信夫山に吾妻おろしが吹きつけていたため、信夫山が「吹島(ふきしま・ふくしま)」と呼ばれるようになり、城の名として縁起の良いものにするため「吹」を「福」にしたとする説があります。
2.関東地方
①東京都
慶応4年・明治元年(1868年)7月17日に「江戸ハ東国一ノ大鎮四方輻湊ノ地、宜シク親臨以テ其政ヲ視ルヘシ。因テ自江戸ヲ称シテ東京トセン。」という詔勅により、「江戸」が改称され「東京府」となりました。
これには、京都に対する「東の京」の意味という解釈と、「京」を「都」の意味に解した「東の京」という解釈があります。
「江戸ハ東国一ノ…」とあるため「東国一の都(京)」の意味とも考えられますが、遷都の絡みを考えると京都に対して呼ばれたとするのが一般的です。
古く「東京」は「とうけい」とも読まれたり、「京」の俗字を使った「東亰」の表記もされました。
昭和18年(1943年)7月1日、都制によって「東京府」や「東京市」が廃止され「東京都」となりました。
②群馬県
群馬の県名は、県の中心にあたる高崎の郡名「群馬」によります。
一般的に県庁所在地が県名になるため、前橋の郡名であった「勢多郡」が採用されてもおかしくありませんが、群馬県は前橋と高崎で県庁所在地をめぐって争いとなり、県庁を前橋に譲る代わりに高崎の郡名が県名として採用されました。
群馬の地は、古く「くるま」と呼ばれており、「くるま」が転じて「ぐんま」となりました。
「くるま」の名は、朝鮮からの渡来人が多く住んでいたため「呉人(くれびと)の住む土地」から「くるま」になったとする説、古代の豪族「車持君(くるまもちのきみ)」が住んでいたとする説、川が曲流することを表す地名「くるま」からといった説があります。
「群馬」に転じた由来には、古代、この地は朝廷に供給する馬の牧場が多くあったためと言われますが定かではありません。
③栃木県
栃木の県名は、県成立時の県庁所在地の町名「橡木町」に由来します。
県成立時に「橡」から「栃」に文字が変更されていますが、いずれも植物の「トチノキ」を表す漢字です。
栃木(橡木)の由来は、トチノキが多く生えていたからといった説もありますが、神明宿(現在の栃木市神田町)に天照皇大神を祀る社があり、その棟に10個の千木(装飾材)がついていたため、「十の千木」で「とちぎ」と呼ばれるようになり、のちに「栃木(橡木)」の字が当てられたという説もあります。
ただし、地名用語の点から見ると「とち(土地ではない)」は解釈不可能な用語として扱われており、栃木の由来についても未詳で、上記の説は有力とされていません。
④茨城県
茨城の由来には、『常陸国風土記』に黒坂命が賊を討つため茨で城を築いたという話や、茨で退治したという話があります。
古く「いばら(茨)」は「うばら」「うまら」「むばら」と言い、茨城も古くは「うばらき」であったことから、文字通り「いばら」はトゲのある低木のことで間違いないでしょう。
茨城の「城」については、古く「木」と書き「茨木」であったとする説や、「城」を意味する「柵」であったとも言われます。
⑤千葉県
千葉の由来には、「茅(ちがや)」が生い茂る土地で「茅生(ちぶ)」と呼ばれ、転じて「ちば」になったとする説や、葉が多く重なる意味で「千葉」になったとする説。
侵食しやすい地や侵食の激しい地に見られる地名「ちば」で、潰れる意味の「つばゆ」に由来するなど諸説ありますが未詳です。
この地の当主であった千葉氏の名前に由来する説もありますが、既に『和名抄』には「下総国千葉郡千葉郷」とあり、この地に移り住み、地名を家名として名乗るようになったのが千葉氏で、人名が地名になったのではありません。
⑥埼玉県
埼玉は、奈良時代の『万葉集』に「前玉・佐吉多万(さきたま)」の名で見られ、平安時代の『和名類聚抄』で「埼玉・佐伊太末(さいたま)」の郡名が見られることから、「さきたま」が転じて「さいたま」になったようです。
しかし、埼玉の由来となる「さきたま」にの語源ついては、「さきたま(前多摩・先多摩)」で武蔵国多摩郡の奥にある土地の意味。
埼玉郷は現在の行田市付近にあたり、「さき(前)」「たま(湿地の意味)」の意味。
幸福をもたらす神の働きを意味する「さきみたま(幸魂)」など諸説ありますが、由来は未詳です。
⑦神奈川県
神奈川の県名は、県域の主要地区として古くから栄えた宿場町「神奈川宿(現在の横浜市神奈川区)」に由来し、1859年(安政6年)、武蔵国久良岐郡に「神奈川奉行所」を置いたことによります。
神奈川の地名「武藏國神奈河郷」で見られるのが最も古いですが、その由来は以下の通り諸説あります。
この地に水源地が分からない川があり、その川の呼称「上無川(かみなしがわ)」に由来する説。
「金川」もしくは「狩野川」と呼ばれていた川の名からとする説。
朝鮮系住民が多かったことから「韓川(からかわ)」と呼ばれる川があり、それが転じたとする説。
その他、地形から見た説では、「かな」は「かま」が転じたもので、「岸の崩れやすい川」「急流の川」を表しているといった説もあります。
3.北陸・中部地方
①新潟県
新潟は、近世の町名に基づいた区名による地名です。
地名の由来は、信濃川と亜賀野川の河口の中州に新しく形成された潟湖から、「新しい潟」の意味で「新潟」となったものです。
②富山県
富山の地名の由来には、「呉羽丘陵(くれはきゅうりょう)」が現在の高岡市から見て外側にあったことから「外山(とやま)」と呼ばれ、縁起の良い「富山」にしたとする説。
多くの山が連なり「富める山の国」の意味からとする説。
この地方は元々「藤居山(ふじいやま)」と呼ばれていたが、「富山寺(ふせんでら)」があったことから「富山」と呼ばれるようになったなど諸説あります。
地形用語の「と」は高くなった所を表すため、「と山」は高くなったところを反復して表した地名で、縁起良くするため「と」に「富」が当てられたとも考えられます。
③石川県
石川の地名の由来は、「石の多い川」のことです。
県最大の河川である「手取川」は、上流から石を多く流すことから通称「石川」と言いました。
そこから、手取川の周辺もこの名で呼ばれるようになり、郡名を経て県名となりました。
④福井県
福井の地は旧称を「北ノ庄」といいましたが、寛永元年(1624年)、福井藩第三代藩主の松平忠昌氏が「北」は「敗北」に通じるとして嫌い、縁起の良い名前にと「福の居る場所」という意味で「北ノ庄城」を「福居城」と改め、元禄年間後期、現在の「福井」と改められました。
ただし、慶長12年(1607年)には「ふく井」の名が見られ、「福」の文字が使われた地名も見られるため、別称として「福井」があり、改称のもとになったのではないかと考えられます。
地名の語源は、よく水が湧き出るところの意味で「脹井(ふくヰ)」とする説。
その他、城のそばに「福の井」と呼ばれる井戸があるからや、城下を流れる「足羽川(あすわがわ)」を「福の多い川」と見立て、「川」の意味で「井」の字を使ったとする説もありますが、これらも「脹井」に由来するものと考えられます。
⑤長野県
長野の地名は、文字通り「長い野」の意味で、善光寺平(長野盆地)が長い傾斜地であることから、善光寺平の原野は「長野」と呼ばれました。
善光寺平の呼称が地名となったのは、長野が善光寺の門前町として発達し栄えてきたためです。
⑥山梨県
山梨の地名の由来は、バラ科ナシ属の「ヤマナシ」の木が多いことからという説が通説となっており、奈良時代には既に「山梨郡」として見られることから妥当な説です。
その他、「なし」は「成す」の連用形「成し(~のある所の意味)」で「山成し」とする説や、反対に土地が平らで山が無かったことから「山無し」の意味とする説があります。
この地は八ヶ岳や南アルプスの裾にあたり、「なし」は「山裾」を意味する「那智(なち)」のことで、「山那智(やまなち)」と呼ばれていたものが転じたとする説もありますが、「那智」自体にそのような意味はないため考え難い説です。
⑦静岡県
静岡の地名は、藩名の「静岡藩」に由来します。
静岡藩は「駿河府中藩(駿府藩)」と呼ばれていましたが、「府中」は「不忠」に通じることから、静岡浅間神社の裏手にある「賤機山(しずはたやま)」に因んで改称されました。
当初は「賤機山の丘陵」の意味から「賤ヶ丘(しずがおか)」が予定されていましたが、「賤」は「賤しい(いやしい)」に通ずることから嫌い、「静」の漢字を使って「静岡」になりました。
⑧岐阜県
岐阜の地は古く「井口(いのくち)」と呼ばれていましたが、永禄10年(1567年)、当時「井口城」や「稲葉山城」と呼ばれていた城を織田信長が陥落させ、「岐阜」に改称しました。
正式な改称時期は、「井口を改めて岐阜とする」とした天正3年(1575年)です。
命名者については、織田信長が命名したとする説と、織田信長の命により尾張の政秀寺の僧侶であった沢彦宗恩が命名したとする説があります。
「岐阜」という地名になった由来についても諸説あり、以下の二説が通説となっています。
1.中国で縁起の良い地名と言われる、「岐山」「岐陽」「岐阜」の中から選定した説。
2.「岐」は「周の文王が岐山より起こり、天下を定む」という中国の故事にちなみ、「阜」は孔子の生誕地「曲阜」から、太平と学問の地となるようにという願いに由来する説。
上記二説が通説となっていますが、『梅花無尽蔵』には「岐阜陽」、『仁岫録』には「岐陽」とあり、織田信長が改称する以前から、僧侶の間では「岐阜陽」、また略された「岐阜」や「岐陽」と呼ばれていたというのが事実のようです。
「岐阜陽」の語源は、中国では「岐」が「枝状にわかれた細い道」を表す語で、「陽」は「川の北側」を意味し、「阜」は「丘陵」を意味します。
南方に輪中地域があることから、「枝状にわかれた細い道」は「木曽三川」のことで、「川の北側にある丘陵」が「岐阜陽」であると考えられます。
⑨愛知県
愛知の地名は、古代から郡名として「吾湯市(あゆち)」「年魚市(あゆち)」「愛智(あいち)」「愛知(あいち)」の表記で見られ、現在の名古屋市南区辺りにあった入り海は「年魚市潟(あゆちがた)」と呼ばれていたことから、古くは「あゆち」であったことが分かります。
「あゆち」の「あゆ」は「湧き出る」の意味で、湧き水の豊富な土地が「愛知」に由来する説と、東国へ向かう旅支度をする場所の意味で「足結(あゆ)道(ち)」とする説があります。
「年魚市潟(あゆちがた)」があったことから、「湧き水」の説が「愛知」の地名の由来として有力とされていますが、この地が「足結(あゆ)道(ち)」の意味で「あゆち」と呼ばれ、後にそこにあった海が「年魚市潟」と呼ばれるようになったとも考えられ、断定は困難です。
なお、「吾湯」は「あゆ」という音からの当て字で、「年魚」も魚の「アユ」の当て字が用いられているだけで、地名の由来とは関係ありません。
4.近畿地方
①大阪府
古く、「大阪」は「大坂」と表記され、室町時代、蓮如上人の『御文章』に書かれた「攝州東成郡生玉之庄内大坂」が最古の文献となります。
「大坂」は「オオザカ」と呼ぶことが多かったのですが、明治元年に現在の「大阪」に変更し、読みも「オオサカ」で定着しています。
「坂」が「阪」になった由来は、「土に反る」という字面が死を連想させることや、「士が反する(士族の反乱)」と読めることからや、役人の書き間違いによるなどとも言われますが定かではありません。
「大阪」の地名の由来は、「大坂」と表記されていたとおり、坂のある地形からと考えられます。
ただし、戦国期以前には「小坂」や「尾坂」といった表記が見られるため、「大きな坂」という意味ではなく、「オ(オホ)」は接頭語で「サカ」が傾斜地の意味と思われます。
②京都府
京都の地名は、「首都」を意味する漢語に因む名です。
延暦13年(794年)に平安京へ遷都されて以来の名称ですが、固有名詞として「京都」と呼ぶようになったのは院政期といわれます。
江戸時代に入ると「京」と呼ばれることが多くなりました。
再び「京都」と呼ばれるようになったのは、明治元年以降のことです。
③滋賀県
滋賀の県名は、県庁所在地の大津が属していた郡名「滋賀郡」に由来し、古くは「志賀」と表記された例も見られます。
滋賀の地名の由来には、「石の多い所」の意味で「シカ(石処)」や、「スカ(砂処・州処)」の転とする説があります。
旧郡内(現在の滋賀県大津市)にある「石山寺」は、巨大な岩盤の上に建つため「石山」と名付けられています。
また、他地域の「シガ」という地名も石の多い所に由来するため、「石の多い所」とする説が有力と考えられます。
一方、「スカ(砂処・州処)」の説は、琵琶湖沿岸の低湿地を指しており、横須賀の「スカ」の由来にも通じる説です。
しかし、滋賀県以外にも全国各地にある「シガ」の地名で、「スカ」から転じたと考えられるものはなく、特殊な例となるため考え難い説です。
④奈良県
奈良の地名は『崇神紀』に「那羅山」の名で見られ、『万葉集』で「奈良」と記されています。
地名の由来は、平らにすることをいう「ならす(均す・平す)」と同源の「ナラ(平・均)」で、緩やかな傾斜の平らな土地を表した地名と考えられます。
朝鮮語で「国の都」の意味の「クニナラ」に由来するといった説もあるが考え難い説です。
⑤和歌山県
和歌山の地は、古く「岡山」と呼ばれていました。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉がこの地に城を築城した際、古来からの名勝地で南に位置する「和歌浦」に対する名として命名したといわれます。
近世には、「和歌山」を「若山」と表記した例も見られます。
⑥三重県
三重の「み」は「水(み)」、「え」が「辺(へ)」で、鈴鹿川の水辺に由来する地名と考えられます。
『古事記』に日本武尊がこの地に着いた際、足が三重に曲がるほど疲れたことから名付けたという話があり、この話を三重の由来とされることも多いですが、古い地名は地形に由来することが多く、伝説としては面白いものの疑問が残ります。
その他、「み」は朝鮮語で「神(み)」を意味し、「え」は「辺(へ)」で、「神宮の鎮座している土地」の意味とする説もあります。
しかし、県名は成立当時に県庁所在地のあった「三重郡(現在の四日市市辺り)」に由来するため、伊勢市の神宮が鎮座する土地とは言えません。
また、日本語でも「み」は「神」を意味する言葉にもかかわらず、あえて「朝鮮語で…」としている点も不自然です。
⑦兵庫県
兵庫の地名の由来は、大化の改新の後、須磨関を守るために関門に朝廷の武器庫「兵庫(ツハモノグラ)」が設置されたことに因みます。
それ以前に「兵庫」の名が見られないため有力な説と考えられますが、自然地名として「ヒヨ(鞍部)」「コ(接尾語)」が転じたとする説もあります。
5.中国地方
①岡山県
岡山は、鎌倉時代より見られる名です。
地名の由来は、城周辺の小高い丘を「岡山」と呼んだことに因みます。
②鳥取県
鳥取の地名は、『和名抄』に「因幡国邑美郡鳥取郷」の名で見られるのが古いものです。
鳥取の由来は、水鳥を捕らえる職業部の「鳥取部(ととりべ)」が住んでいたことに因みます。
③広島県
広島の地名は、戦国時代末期より見られます。
地名の由来は、太田川の広々とした三角州によるものと考えられます。
毛利輝元が城を築城した際、毛利氏の始祖とされる大江広元の「広」と、在地の豪族であった福島元長の「島」を合成し、城の名前を「広島城」としたという説もありますが、それ以前から「広島」と呼ばれていた可能性が高く考え難い説です。
④島根県
島根県は、県成立時の県庁所在地であった郡名「島根郡(現在の松江市)」に由来する地名です。
『藤原宮木簡』に「嶋根郡」とあり、『和名抄』に「島根郡」の名が見られます。
島根半島の地形に由来し、「しまね(島嶺)」で島状の嶺となっていることからか、「しま」も「ね」も「高くなった所」の意味と考えられます。
⑤山口県
山口の地名は、鎌倉中期より見られます。
由来は「山の入り口」の意味で、東鳳翩山(ひがしほうべざん)の入り口周辺地域が「山口」と呼ばれていたといわれます。
また、山の縁の地の意味で「ヤマフチ(山縁)」が転じたとする説もあります。
6.四国地方
①香川県
香川の地名は、「香河郡」として奈良時代から見られます。
地名の由来には、以下の通り多くの説あります。
「かが川」の転で「かが」は平坦な草地を意味するという説。
古来より雨量が少なく、夏期に水枯れする河川が多かったことから、「かれかわ(枯川)」が転じて「かがわ」になったとする説。
郡には樺の古木が河川に落ち、郡中がその香りに満ちていたことから、「香川」になったとする説。
「香」は温泉の臭気のことで、「川」はその温泉を指している説。
「香河郡」の例から、音変化後に「香川」という字が当てられたのではなく、「香る川」の意味のままでと考えられることから、樺の木の説か温泉の臭気の説が妥当です。
②徳島県
この地は「渭津(いつ)」と呼ばれていましたが、天正13年(1585年)に蜂須賀家政が渭津に築城した際、「徳島」と命名しました。
地名の由来は、吉野川河口で川に囲まれた三角州だったことから「島」、それに縁起の良い「徳」が冠されたと思われます。
③愛媛県
愛媛は、県成立時に新たに命名された地名です。
愛媛の地は伊予国全域にあたり、『古事記』の国生みの条にある「伊予国は愛比売と謂ひ」に因み「えひめ」と名付けられました。
由来となる「愛比売」は、織物の盛んな地域だったことから織物に優れた女性の意味とする説と、「伊予之二名島(四国の古称)」の代表的な国であったことから長女の意味で「えひめ(兄媛)」とする説があります。
④高知県
高知の地名は、土佐藩山内氏の城下町名に由来しますが、下記の通り、「河中山」から「高智山」「高智」「高知」へと変化した名です。
慶長8年(1603年)、山内一豊が入城した際、大高坂山城(現:高知城)が鏡川と江の口川に囲まれた地にあったことから、真如寺の僧 在川によって「大高坂山城」から「河中山城(こうちやまじょう)」と改名されました。
しかし、この地は洪水が多く、第二代藩主の山内忠義が「河中」の字を嫌ったため、慶長15年(1610年)、竹林寺の僧 空鏡によって「高智山城」と改名されました。
のちに「山」が省略されて「高智城(高知城)」となり、城下町名も「高知」となりました
7.九州・沖縄地方
①福岡県
福岡の地名の由来は、黒田長政が那珂郡警固村福崎(現在の中央区)に築城した際、城名を出身地の備前国福岡庄(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)に因んだことによります。
なお、備前国の福岡は「丘のある土地」を佳字で表現した地名である
②佐賀県
佐賀の県名は、廃藩置県で県庁所在地となった「佐賀郡」に由来します。
この地名は古代から郡名として用いられ、『風土記』には「佐嘉」の表記で見られます。
佐賀の地名の由来は、下記のとおり諸説あります。
(1)郡の中心部に大きなクスノキが茂っているのを見た日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、「この国は栄の国(さかのくに)と呼ぶがよい」と言ったという『肥前国風土記』の記述に由来し、「サカ(栄)」が転じて「サガ」になったとする説。
(2)「砂洲」「低湿地」を意味する「スカ」が変化し、「サガ」になったとする説。
(3)「サカ(坂)」が濁音化して、「サガ」になったとする説。
(4)「サカ(逆)」が濁音化し、「サガ」になったとする説。
(1)は最も多く語られる説ですが、地名学では最も有力とされない説です。
(2)は佐賀のほか、滋賀でも用いられる説ですが、特殊な音変化のため考え難い説です。
(3)は説得力に欠けますが、地形に由来する地名は多く、音変化としては考えられます。
(4)は最も有力な説で、「佐嘉川(現在の「嘉瀬川」)」の河口付近は、満潮時に潮流が逆流する逆流水域であり、「逆流する川」の意味で「さか川」となり、「佐嘉川」に転じたのち、この地域を「佐嘉(佐賀)」と呼ぶようになったと考えられます。
③長崎県
長崎の地名は、鎌倉時代に「永崎浦」「長崎浦」の形で見えます。
地名の由来には、この地を統治した長崎氏の姓にちなみ名付けられたとする説があります。
しかし、姓にちなんでつけられたことが断定できる資料はなく、「長崎」の姓は「長い岬」の意味で地形(地名)に由来することから、地名の由来も「長い岬(長い崎)のある地」と考えるのが妥当です。
④大分県
大分の地名は、古く「碩田(おほきだ)国」の名で見え、その後『豊後国風土記』に「大分郡」と見られることから、「おほきだ」が転じて「おおおた」になったと考えられます。
『豊後国風土記』では、景行天皇が訪れた際「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国と名づくべし。」と言ったとして土地の広大さに由来する説や、大分平野は広大で開かれた土地とは言い難いため「多き田」から転じたとする説があります。
しかし、「碩田」も「おほきだ」に対する当て字と考えられているため、「おほ」は「大きい」もしくは接頭語、「きだ」は「刻む」という意味で「刻まれた地形」を表し、大分川によって刻まれた河岸段丘のことと思われます。
⑤熊本県
熊本の地名は、南北朝時代に「隈本」として見られ、慶長12年(1607年)、加藤清正が築城した際に「熊本」と改められました。
改められた理由は、「隈」に含まれる「畏」の字に「おそれる」「かしこまる」といった意味があるため、城名として強そうな「熊」の字が当てられたといわれます。
「隈本」の地名は地形に由来すると思われますが、下記のとおり地形由来にも諸説あります。
(1)「くま」は低地と高地の入り組んだ地形、「もと」は中心地のこと。
(2)「曲本(くまもと)」の意味で、曲がりくねった川(白川)のほとりのこと。
(3)「くま」は「崖下」を意味し、「もと」は「湿地」を意味する「むた」が転じた語で、「崖下の湿地」のこと。
「隈」には「折れ曲がったところ」「入り組んだところ」の意味があるため、(1)か(2)の説が有力ですが、「くまもと」の音に「隈本」の字が当てられたとすれば(3)の説も考えられます。
その他、「くま」が「高句麗(朝鮮半島)」を意味する「こま」の訛り、「もと」は「本拠地」のことで、高句麗から渡来した人々の本拠地を意味するといった説もありますが考え難い説です。
⑥宮崎県
奈良時代に「宮埼郡」で見られ、平安時代の『和名抄』で「宮崎郡」と見られるようになります。
「宮」は文字通り「神宮(神社)」のこと。
「崎(埼)」の付く地名は、突き出た地や先端を意味することが多いですが、宮崎の場合は「前(さき)」のことで、「宮前」が語源と思われます。
「宮」にあたる神社は、宮崎神宮や奈古神社といわれることもありますが、江田神社が有力とされています。
⑦鹿児島県
鹿児島の名は薩摩国の郡名として古くからあり、『和名抄』には「カコシマ」の形で見られます。
「カコ(カゴ)」は「崖」の意味で、桜島を指した名称が郡名になったと思われます。
鹿の子供が島に多く住んでいたことからとする説もありますが、鹿は通常一年に1頭しか産まないため、子鹿ばかり生息していたというのは不自然です。
その他、多くの「かこ(水夫)」が住んでいたから「カコシマ」になったとする説や、桜島の火山による臭気から「かぐ(嗅ぐ)」に由来するといった説もあります。
⑧沖縄県
沖縄の地名は、近世の俗称に由来します。
奈良末期には「阿児奈波島」で見え、それが沖縄本島の古名といわれます。
「おき」は文字通り「沖」を意味し、「なは(なわ)」は「魚場(漁場)」を意味する「なば」で、「沖合の漁場」とする説が有力とされています。
その他、「おき」は「遠い」、「なは」は「場所」や「島」の意味とする説もありますが、一般的に沖縄の「なは(なわ)」と県庁所在地の「那覇」は同じ語源と考えられており、「那覇」が「場所」や「島」といった意味しか持たないことになるため考え難い説です。