日本語の面白い語源・由来(い-⑨)妹・無花果・戦・一騎当千

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妹

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.妹(いもうと)

浅田真央・浅田舞姉妹

」とは、同じ親から生まれた年下の女のことです。弟の妻、夫や妻の妹は「義妹」です。

いもうとは、「いもひと(妹人)」が転じた語で、「いもと」とも言います。

古く、「いも(妹)」は男性が同腹の姉妹や妻・恋人などの女性に対し、親しみをこめて呼ぶのに用いた語で、「いもうと」も同様の意味で用いられていました。

「いも(妹)」は「母」を指す「おも」、「女」を指す「め」と関係があり、近親の女性を指したのが原義と思われますが語源は定かではありません

「いも」に対する語は、「おと(おとうと)」ではなく「せ(背・兄)」で、「いもうと」に対する語は「しょうと(兄人)」でした。

妹が年下の女きょうだいに限定された例は平安時代から見られますが、これは漢語の「姉妹(しまい)」からの引用で、現在「妹」が「年下の女」を指す言葉として用いられるのも、漢語「姉妹」の影響によるものと思われます。

2.無花果(いちじく)

無花果

いちじく」とは、小アジア原産のクワ科の落葉小高木です。果実は熟すと甘く、乾燥した茎・葉は薬用とされます。

ザクロ・ぶどうと並び、世界的に最も古い果樹です。「唐柿(とうがき)」とも言います。

いちじくの漢字「無花果」は、花嚢の内部に無数の雄花と雌花をつけるが、外からは見えないことから付けられた当て字です。

いちじく語源は、ペルシャ語の「Anjir」と言われます。いちじくを表すペルシャ語の「Anjir」が、ヒンズー語で「Injir」になり、中国語で「映日(イェンジェイ)」と音写されました。
そこに「果(クォ)」が加えられた「映日果(イェンジェイクォ)」が日本に入り、「イチジク」と呼ばれるようになりました

「イェンジェイクォ」から「イチジク」の変化には、単に日本人が聞き取ったのが「イチジク」であったとする説と、いちじくの少しずつ熟していく過程を「一熟(いちじゅく)」の意味として捉えたため、「イチジク」になったとする説があります。

「無花果」は秋の季語で、次のような俳句があります。

・稲扱(こ)くや 無花果ふとき 幹のかげ ( 飯田蛇笏)

・無花果や 薬を刻む 縁の先(寺田寅彦)

・無花果を 食ふ百姓の 短き指(山口誓子

3.戦(いくさ)

屋を射る戦

いくさ」とは、兵と兵が戦うことです。また「戦士・武士・兵士」や「軍隊・兵隊」という意味もあります。

いくさを漢字で「戦」や「軍」と書くのは当て字です。

「いくさ」の語源は、「いくしや(生風矢)」です。

」は「風」の古語で、「いくしや(生風矢)」は、生きている(生命のある。それほどに生き生きとした勢いのある)風のような矢ということであり、射られたその状態にある矢を表現したものです。

そして、そうすること、そのような矢を射ること、を意味するようになりました。「いくさ」という言葉はもともとは矢を射ることを意味しています。

さらに発展し、それをする人、矢を射る人(兵:「いくさひと」という語もある)、矢を射あうこと(合戦)も意味するようになりました。

「いく(生)」という語は、生きているという意味ですが、神の世のことが現実のこととなるような意味合いがあり、「いくしや(生風矢)→いくさ」も、原意的には、神の風が現実に現れているようなものといった、射られた状態にある矢に対する一種の美称のように言われたものでしょう。

「射(いくさ)習ふ所を築く」(『日本書紀』持統天皇三年七月)。これは矢を射ることの意。

「千万の軍(いくさ)なりとも」(万葉集972)、「勇みたる猛(たけ)きいくさ(軍卒)と…」(万葉集4331)。これらは兵の意。

「これほどいくさはげしき敵にいまだあはず」(『保元物語』)。これは合戦の意。

4.一騎当千(いっきとうせん)

一騎当千

一騎当千」とは、並はずれて強い人、非常に優れた才能や技術の持ち主のことです。

一騎当千は、一騎で千人の敵に対抗できるほど強いと武士の強さをたとえた言葉でした

やがて、武士以外にも、人並みはずれた能力・技術などを持つ人を「一騎当千」と表すようになりました。

「一騎当千」の語が見られるのは室町時代頃からで、中世末頃までは「いっきとうぜん」と発音するのが一般的でした。

同じ意味の言葉には、「一人当千(いちにんとうぜん)」があります。「一人当千」は「一騎当千」の語が見られる以前の仏典にもある言葉で、「当千」は「とうぜん」と発音することから、「一人当千」を元に「一騎当千」の語が生まれたと考えられます。