日本語の面白い語源・由来(か-21)歌舞伎・完璧・カンパ・我慢・案山子

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歌舞伎・助六

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.歌舞伎(かぶき)

歌舞伎十八番

歌舞伎」とは、舞踊・音楽・科白劇などの要素を集大成した日本の代表的演劇です。

歌舞伎は、近世まで歌や舞をする女性という意味から、「歌舞妓」の字が用いられ、「歌舞妃」とも書かれました。

歌舞伎の表記は、明治以降に一般化したもので、「歌舞妓」の「妓」に「伎芸」などの「伎」が当てられた当て字です。

ただし、「歌舞妓」も当て字のため、歌舞伎の語源とは関係ありません。

歌舞伎の語源は、「傾く(かぶく)」の連用形を名詞化した「かぶき」です。
「かぶく」の「かぶ」は「頭」の古称といわれ、本来の意味は「頭を傾ける」でした。

頭を傾けるような行動という意味から、かぶきは「常識外れ」や「異様な風体」を表すようになりました。

さらに転じて、風体や行動が華美であることや、色めいた振る舞いなどを指すようになり、そのような身なり振る舞いをする者を「かぶき者」といい、時代の美意識を示す俗語として天正(1573年~1592年)頃に流行しました。

この「かぶき」という語が、現代の「歌舞伎」となったのは、17世紀初頭です。

出雲大社の巫女「出雲の阿国(いずものおくに)」と呼ばれる女性(巫女ではなかったという説もあります)の踊りが、斬新で派手な風俗を取り込んでいたため、「かぶき踊り」と称されたことに由来します。

2.完璧(かんぺき)

完璧

完璧」とは、欠点や不足が全くなく、非常に立派なこと(また、そのさまのこと)です。「完全無欠」とも言います。

完璧の「璧(へき)」は、平らで中央に孔のあいた宝玉のことで、完璧「傷のない玉」が本来の意味です。

完璧が現在使われる意味となったのは、中国の故事に由来します。

中国の戦国時代、趙の国にあった「和氏の璧(かしのへき)」と呼ばれる立派な璧を、秦の国王 昭王(しょうおう)が欲しくなって、「秦の15の城と交換したい」と申し出ました。
藺相如(りんしょうじょ)が秦の国へ使いに行きましたが、城と交換する気配がなかったため、藺相如は璧を命懸けで持ち帰りました。

その故事を「完璧而帰(璧をまっとうして帰る)」と言い、大事なことを成し遂げることや、欠点が全くないさまを「完璧」と表すようになりました。

完璧の漢字を書く際、「壁(かべ)」の字を用いた「完壁」という誤字が多く見られます。
かんぺきの「ぺき」が「玉」の意味であったことを覚えておけば、「、」も忘れず、完璧な「完璧」の漢字が書けます。

3.カンパ

カンパ

カンパ」とは、政治活動や被災者援助などのために、資金を広く集めることです。

英語由来の同様の意味である「クラウドファンディング(crowdfunding」というカタカナ語が、最近はよく使われるようになりました。

カンパは、ロシア語「kampaniya(カンパニア)」の略です。
カンパニアは、政治的な活動や闘争を意味し、特に、大衆に訴えて、ある目的を達成しようとする組織的な活動を言いました。

そこから、カンパは資金を集めて目的を達成する面が強調され、資金を集める意味で使われるようになり、政治的な目的以外でもお金を集めることを「カンパ」と言うようになりました。

4.我慢(がまん)

我慢

我慢」とは、堪え忍ぶこと、辛抱することです。俗に、入れ墨のことも我慢と言います。

我慢は、仏教語で「七慢」の一つで、サンスクリット語「mana(マーナ)」の漢訳です。
仏教で」は、思い上がりの心をいい、その心理状態を七つに分けたものが「七慢」です。

その中の「我慢」は、自分に執着することから起こる慢心を意味し、「高慢」「驕り」「自惚れ(うぬぼれ)」などと同義語でした。

そこから意味が転じ、我慢は「我を張る」「強情」などの意味で使われるようになりました。
さらに、強情な態度は人に弱みを見せまいと耐え忍ぶ姿に見えるため、近世後期頃から、現在使われている我慢の意味となりました。

我慢の元となる「七慢」は、「慢(まん)」「過慢(かまん)」「慢過慢(まんかまん)」「増上慢(ぞうじょうまん)」「我慢(がまん)」「卑慢(ひまん)」「邪慢(じゃまん)」で、それぞれの意味は以下の通り。ただし、文献によって解釈が異なる部分もあります。

慢とは、他と比較しておごり高ぶること。
過慢とは、自分と同等の人に対し、自分の方が上だと思うこと。
慢過慢とは、自分より優れた者に対し、自分の方がもっと上だと思い誤ること。
増上慢とは、悟りの域に達していないのに、既に悟っているという自惚れの心。
我慢とは、自分に執着することから起こる慢心のこと。
卑慢とは、はるかに優れた者と比較し、自分は少ししか劣っていないと思うこと。
邪慢とは、間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張ること。

俗に、入れ墨のことを「我慢」というのは、負けん気の強さを示すため、苦痛を耐え忍んで入れ墨を彫ったところからです。

5.案山子(かかし)

案山子

案山子」は、「田畑の作物を荒らすスズメなどの鳥や獣などを脅して追い払うために田畑に立てる竹や藁で作った人形のこと」です。

「かかし」は、古くは髪の毛や魚の頭などを焼き、串にさして田畑に立てたものでした。
悪臭で鳥や獣を追い払っていたことから、これを「嗅がし(かがし)」と呼び、清音化されて「かかし」となりました。

ただし、竹や藁で作った人形が使われるようになってからも、しばらくは「かがし」が用いられており、「かかし」という清音形は近世以降に関東地方から始まり、関西地方でも「かかし」が使われるようになったのは江戸時代後半です。

漢字の「案山子」は、元々中国の僧侶が用いた言葉で、「案山」は山の中でも平らなところを意味し、「」は人や人形のことです。

中国宋代の禅書『景得伝灯録』に「僧曰、不会、師曰、面前案山子、也不会」とあり、これにならって「かかし」の当て字に「案山子」が用いられるようになったと考えられています。

「案山子」は秋の季語で、次のような俳句があります。

・秋風の うごかして行 案山子哉(与謝蕪村

・某(それがし)は 案山子にて候 雀どの(夏目漱石

・行秋や 案山子の袖の 草虱(飯田蛇笏)