さまざまな状態を表す四字熟語(その4)追い詰められれば・塵も積もれば・疑心暗鬼・朱に交われば・かけ離れた・本末転倒・お役御免

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窮猿投林

漢字発祥の国だけあって、中国の「四字熟語」は、人生訓にもなるような含蓄に富んでおり、数千年の悠久の歴史を背景とした故事に由来するものも多く、人類の叡智の結晶とも言えます。

そこで今回は、「さまざまな状態」を表す四字熟語のうち、「追い詰められれば」「塵も積もれば」「疑心暗鬼」「朱に交われば」「かけ離れた」「本末転倒」「お役御免」を表す四字熟語をご紹介したいと思います。

1.追い詰められれば

(1)窮猿投林(きゅうえんとうりん)

困っているときには、あれこれとえり好みなどしている余裕はないたとえ。貧窮しているときには俸禄や官職などをえり好みしている余裕はないたとえ。

「窮猿」は追いつめられた猿。「投林」は林に飛び込む意。

出典(『晋書』李充伝)に「窮猿林に投ずるに豈(あ)に木を択(えら)ぶに暇(いとま)あらんや(追いつめられて林に飛び込んだ猿は、どうしてどの枝によじ登ろうかなどとかまっている余裕があろうか)」とあるのによる。

この語は晋の李充が将軍の参謀に薦められたとき、軍人では家の貧窮が救えないと判断して、それよりも下の位の地方官を選んだときに言ったもの。

「窮猿(きゅうえん)林(はやし)に投(とう)ず」と訓読します。

(2)窮鼠嚙猫(きゅうそごうびょう)

弱い者でも窮地に追いつめられ、必死になれば、強い者を打ち負かすことがあるというたとえ。

鼠も追いつめられて逃げ場を失えば、猫にかみつくこともあるの意から。

「窮鼠(きゅうそ)猫(ねこ)を嚙(か)む」と訓読します。

(3)禽困覆車(きんこんふくしゃ)

力の弱い者でも、窮地に立たされると思ってもいない力を出すということ。

「禽困」は追い詰められた小鳥。「覆」はひっくり返ること。
追い詰められた小鳥は、車をひっくり返すほどの力を発揮するという意味から。

「禽困(きんこん)車(くるま)を覆(くつがえ)す」、または「禽(きん)も困(くる)しめば車(くるま)を覆(くつがえ)す」と訓読します。

2.塵も積もれば

(1)羽翮飛肉(うかくひにく)

力の小さいものでも多くのものが集まれば大きな力になるということのたとえ。

「翮」は羽の太い軸や羽の根本のことから、羽のたとえ。「飛肉」は鳥の肉体を飛ばすこと。
多くの羽を使うことで、鳥は飛ぶとこができるという意味から。

「羽翮(うかく)、肉(にく)を飛(と)ばす」と訓読します。

(2)群軽折軸(ぐんけいせつじく)

微細なものでも数多く集まれば大きなものになるたとえ。小さい力もこれを合わせ集めれば大きな力となるたとえ。

きわめて軽いものでも多く積めば重くなって、それを載せた車の軸が折れてしまう意から。

「群軽」は軽いものが多く集まったもの。「軸」は車の軸。

「群軽(ぐんけい)軸(じく)を折(お)る」と訓読します。

(3)衆少成多(しゅうしょうせいた)

取るに足らないものでも、集めると大きなものになるということ。

「衆少」は少量のものを集めること。

「少(しょう)を衆(あつ)めて多(た)を成(な)す」と訓読します。

(4)聚蚊成雷(しゅうぶんせいらい)

小さなものでも、数が多くなれば大きな力になるということ。
または、多くの人が同じ悪口を言うと害悪が発生するということのたとえ。

小さな虫の蚊でも、数多く集まれば羽音が雷のようになるという意味から。

「聚蚊(しゅうぶん)雷(らい)を成(な)す」と訓読します。

(5)積羽沈舟(せきうちんしゅう)

小さなものであっても、たくさん集まれば大きな力となるというたとえ。羽毛のように軽いものも、多く積もれば舟を沈める重さになる意から。

「積羽(せきう)舟(ふね)を沈(しず)む」と訓読します。

(6)積水成淵(せきすいせいえん)

小さいものでも、数が多くなれば大きな力になるということ。
または、努力を積み重ねていけば願いを叶えることが出来るということ。

少しの水も集まれば淵になるという意味から。

「積水(せきすい)淵(ふち)を成(な)す」と訓読します。

(7)積土成山(せきどせいざん)

努力を積み重ねれば、いつか大きなことを成し遂げることができるということ。
少しの土を積んでいけば、いつか山になるという意味から。

「積土(せきど)山(やま)を成(な)す」、または「土を積んで山を成す」と訓読します。

(8)叢軽折軸(そうけいせつじく)

一つ一つは小さいものでも、数が多く集まれば大きな力になるということ。

「叢軽」は軽いものが数多く集まること。「折軸」は車軸が折れること。
軽いものでも数多く集まれば、車軸が折れるほどの重量になるという意味から。

(9)点滴穿石(てんてきせんせき)

小さな水滴でも、長く落ち続ければ石に穴を開けることができるということ。転じてわずかな力でも積み重なれば、大きな仕事が成し遂げられるということ。

「点滴(てんてき)石(いし)をも穿(うが)つ」と訓読します。

「塵も積れば山となる」と同意。

(10)蚊虻走牛(ぶんぼうそうぎゅう)

ごく小さなものでも、強大なものを制することができるというたとえ。また、微細な事柄から大きな事件に発展することがあるというたとえ。

「蚊虻」は、カとアブ。弱小なもの、微小なもののたとえ。「走牛」は、牛が走ること。カやアブは小さな虫だが、たかられて血を吸われるのを嫌って、大きな牛が走って逃げる意から。

「蚊虻(ぶんぼう)牛羊(ぎゅうよう)を走(はし)らす」の略。

3.疑心暗鬼

(1)疑心暗鬼/疑心闇鬼(ぎしんあんき)

疑いの心があると、なんでもないことでも怖いと思ったり、疑わしく感じることのたとえ。疑いの深さからあらぬ妄想にとらわれるたとえ。

疑いの心をもっていると、いもしない暗闇(くらやみ)の亡霊が目に浮かんでくる意から。

「疑心」は疑う心。「暗鬼」は暗闇の中の亡霊の意。「疑心暗鬼を生ず」の略。

(2)杞人天憂(きじんてんゆう)

無用の心配をすること。取り越し苦労のこと。

杞人憂天(きじんゆうてん)ともいい、略して「杞憂(きゆう)」ともいう。

「杞」は、中国周代の国名。杞の国に、天が崩れ落ちたらどうしようと心配して、夜も眠れず飯ものどを通らなかった人がいたという説話から。

「杞人(きひと)天(てん)を憂(うれ)う」と訓読します。

(3)呉牛喘月(ごぎゅうぜんげつ)

過度におびえ恐れることのたとえ。また、疑いの心があると、何でもないものにまで恐れや疑いの気持ちをもつたとえ。

暑い呉の地方の牛は月を見ても暑い太陽だと思い、喘(あえ)ぐ意から。

「呉」は江南一帯の地。「喘」は息が切れて苦しそうに呼吸すること。

「呉牛(ごぎゅう)、月(つき)に喘(あえ)ぐ」と訓読じます。

(4)蜀犬吠日(しょっけんはいじつ)

無知な人は、当たり前の事柄にも、怪しんで恐れること。また、見識もなく劣った者が、他人の言動をむやみに批判すること。

「蜀犬(しょっけん)、日(ひ)に吠(ほ)ゆ」と訓読します。

中国の蜀(現在の四川省)の地域は、山地で霧が深く、普段から曇りがちで薄暗いところであり、そこの犬は、たまに太陽が出て日が射すのを見ると、怪しんで吠えたという故事から。

(5)窃鈇之疑(せっぷのぎ/せっぷのうたがい)

証拠もないのに疑うこと。また、疑う気持ちを持って見ていると、その人の言動が全て怪しく見えることのたとえ。「鈇」は斧のこと。

斧を盗まれたと思った男性が隣人の女性を疑うと、その女性の立ち居振る舞いの全てが疑わしく思えたが、斧が物置で見つかるとその女性の全てがかわいらしく思えたという故事から。

(6)草木皆兵(そうもくかいへい)

相手の勢いなどに恐れおののくあまり、何でもないものに対しても、自分の敵であるかのように錯覚しておびえること。

草や木を見てすべて敵兵と思い、恐れおののく意。

(7)懲羹吹膾(ちょうこうすいかい)

一度失敗したことに嫌になり、不必要なまでに注意すること。

「羹」は熱い汁物。「膾」は生肉を酢につけたあえもの。
熱い汁で火傷をしたことに懲りて、冷たい料理にも息を吹きかけて冷ますという意味から。

「羹(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹(ふ)く」という形で使うことが多い言葉。

(8)杯中蛇影(はいちゅうのだえい)

ひとたび疑い始めると、何でもないことにも怯(おび)え、疑い深くなり、苦しむ結果になるというたとえ。また、病は気から起きるものだからあまり心配しないほうがいいということ。

「杯中」は、杯の中。「蛇影」は、酒に映った蛇の影。

中国晋の時代、河南(かなん)の杜宣(とせん)は、友人の楽広(がくこう)の家で酒を飲み、壁に掛けた弓が杯の中の酒に映じたのを見た。杜宣はそれが蛇の影であると思いこんだが、酒を断れず、それを気にして病気になってしまった。のちにそれが弓であったことを聞き、病気が治ってしまったという故事から。

(9)風声鶴唳(ふうせいかくれい)/鶴唳風声(かくれいふうせい)

おじけづいて、わずかなことにも恐れおののくことのたとえ。

「風声」は風の音。「鶴唳」はつるの鳴き声。わずかな物音にもおびえるたとえ。

中国前秦の符堅(ふけん)の軍が敗走し、その敗軍の兵が風の音やつるの鳴き声を聞いただけで、敵兵の追撃と思い、恐れおののいたという故事から。

4.朱に交われば

(1)近朱必赤(きんしゅひっせき)

友人によって、よくも悪くも感化されるということのたとえ。

「朱(しゅ)に近(ちか)づけば必(かなら)ず赤(あか)し」と訓読します。

現在では悪い影響を受けて変わるという意味で使われることが多く、「朱に交われば赤くなる」の形で使われることが多い。

(2)哭岐泣練/哭逵泣練(こくききゅうれん)

心がけや習慣次第で、人は悪人にも善人にもなるということ。

「哭」は大きな声で泣くこと。「岐」は分かれ道。「練」は白い糸。

「哭岐」は楊朱が分かれ道を見て、どちらにも行くことができると気づいて泣いたという故事から。
「泣練」は墨子が白い糸を見て、何色にも染めることができると気づいて泣いたという故事から。
どちらも好きなように選ぶことができ、その選択次第で結果が変わるということをいう。

「岐(き)に哭(こく)き練(れん)に泣く」と訓読します。

(3)水随方円(すいずいほうえん)

民の善悪は政治を行うものによって感化されるということ。
または、人は環境や人間関係次第で、善悪のどちらにも感化されるということ。

「随」は従うこと。「方円」は四角いものと円いもの。
水は容器の形に従って、四角にでも円にでもなるという意味。

一般に「水は方円の器に(したが)う」という形で使われます。

(4)潜移暗化(せんいあんか)

環境や他人からの影響を受けて、いつの間にか自分の性質や考え方が変化していること。

「潜」も「暗」もひそかに、しらずしらずのうちにの意。「移」「化」は移り変わる、感化される意。

「潜(ひそか)に移(うつ)り暗(あん)に化(か)す」と訓読します。

(5)同始異終(どうしいしゅう)

原因が同じでも、状況が違えば結果も変わるということ。

「同始」は始まりが同じであること。「異終」は終わりが違うこと。

「始めを同じくするも終わりを異にす」と訓読します。

(6)南橘北枳(なんきつほくき)

人間は住む環境によって、よくなったり悪くなったりするということ。

中国江南(こうなん)で産する橘(たちばな)はたいへんな美味であるが、淮水(わいすい)以北に植えると橘は枳(からたち)となり、味が全く異なってしまう。

環境が変われば性質も変わってしまう、という意。

(7)墨子泣糸(ぼくしきゅうし)

人は環境や習慣、他人から受ける影響などによって善くも悪くもなるということ。

「墨子」は人の名前で、中国の思想家。

墨子が白い糸は様々な色に染めることが出来るということを見て、物事には様々な選択ができ、それによる結果は戻すことは出来ず、環境次第で人は善にも悪にもなるということを嘆き泣いたという故事から。

「墨子(ぼくし)糸(いと)に泣(な)く」と訓読します。

(8)麻中之蓬(まちゅうのよもぎ/まちゅうのほう)

人間はよい環境の中で育ち、よい教育を受け、よい人と出会えば、決してねじ曲がることなく、まっすぐで正しい人間になるということのたとえ。

「麻」は、植物の麻(あさ)。「蓬」は、ヨモギ。曲がりやすい性質のヨモギでも、まっすぐに生え育つ麻の中で育てばまっすぐに育つということから。

5.かけ離れた

(1)雲壌月鼈(うんじょうげつべつ)

両者があまりにも異なっていること。天と地、月とすっぽんのように違いすぎる意から。

「雲壌」は天地の意。「月鼈」は月とすっぽんの意。

(2)雲壌懸隔(うんじょうけんかく)

大きな違いがあること。

「雲壌」は天と地。「懸隔」は違いの差が大きいこと。

(3)雲泥之差(うんでいのさ)

比べることができないほど大きな相違があること。

「雲泥」は天空にある雲と地上の泥のこと。
雲と泥には大きな違いがあるという意味から。

(4)雲泥万里(うんでいばんり)

非常に大きな差異のたとえ。天と地ほどかけ離れていること。天にある雲と地にある泥では、万里もかけ離れている意から。

(5)天淵之差(てんえんのさ)

違いの差が非常に大きいこと。
天と淵には大きな開きがあるという意味から。

(6)天淵氷炭(てんえんひょうたん)

違いの差が非常に大きいこと。「炭」は燃えている炭。

「天」と「淵」、「氷」と「炭」という互いに性質が反対のものを並べて、非常に差があることをたとえた言葉。

(7)天上人間(てんじょうじんかん)

天上界と人間界のこと。または、絶対に通ずることのなく、遠く隔たっていることのたとえ。
または、距離が非常に離れていることのたとえ。

6.本末転倒

(1)冠履倒易(かんりとうえき)

人の地位や立場、また、物事の価値が上下逆さまで秩序が乱れているさま。

本来頭にかぶるべき冠を足につけ、足にはくべき履(くつ)を頭にかぶる意から。

「倒」は逆さまになる意。「易」はかわる、入れかわる意。

(2)矯角殺牛(きょうかくさつぎゅう)

少しばかりの欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうたとえ。

「矯」は、曲がっているものをまっすぐにすること。曲がっている角を直そうとして、かえって牛を殺してしまうという意から。

「角(つの)を矯(た)めて牛(うし)を殺(ころ)す」と訓読します。

(3)削足適履(さくそくてきり)

本末を取り違えて、無理に物事を行うたとえ。折り合いをつけて、無理に合わせるたとえ。また、目先のことにとらわれて、根本を考えないたとえ。

大きな足を削り落として、靴に合わせる意から。
「適」は合わせること。「履」は靴・はきものの意。

「足(あし)を削(けず)りて履(くつ)に適(てき)せしむ」と訓読します。

(4)釈根灌枝(しゃくこんかんし)

末節に心を奪われたりこだわったりして、物事の根本を忘れるたとえ。木の根に水をやらないで、枝に注ぎかける意から。

「釈」は捨てる意。「灌」は水を注ぎかける意。

一般に「根(ね)を釈(す)てて枝(えだ)に灌(そそ)ぐ」と訓読を用います。

(5)舎本逐末(しゃほんちくまつ)

物事の根本をおろそかにして、末節に心を配ること。

「舎」は捨てる意。「本」は根本の意。「逐末」は末節、つまらないものを追い求めること。

一般に「本(もと)を舎(す)てて末(すえ)を逐(お)う」と訓読を用います。

(6)主客転倒/主客顛倒(しゅかくてんとう/しゅきゃくてんとう)

主な物事と従属的な物事が逆の扱いを受けること。物事の順序や立場などが逆転すること。

「主客」は主人と客人。転じて、重要なことがらと、付けたり、従属的なことがらのこと。

(7)庇葉傷枝(ひようしょうし)

細かい部分にこだわりすぎて、一番大切な部分を駄目にしてしまうということ。
木の葉を守るために、枝を傷つけるという意味から。

「葉(は)を庇(かば)いて枝(えだ)を傷(きず)つく」と訓読します。

(8)本末転倒/本末顛倒(ほんまつてんとう)

物事の根本的なことと、そうでないこととを取り違えること。

「本末」は根本的なことと枝葉のこと。「転倒」はひっくり返すこと。

7.お役御免

(1)狡兎良狗(こうとりょうく)

重要な地位につき、大きな功績を上げた人も、状況が変わって必要なくなれば捨てられるということ。

「狡兎」はすばしこい兎。「良狗」は賢い猟犬。
兎を取り尽くすと猟犬は必要なくなり、どれだけ役に立っていたとしても、煮て食べられるという意味から。

「狡兎(こうと)死(し)して良狗(りょうく)煮(に)らる」を略した言葉。

(2)鳥尽弓蔵(ちょうじんきゅうぞう)

目的が達せられた後には、それまで重用されていた者が捨てられるということのたとえ。

鳥を射尽くしてしまうと、不必要となった弓がしまわれてしまうという意から。

一般に「鳥(とり)尽(つ)き弓(ゆみ)蔵(おさ)めらる」と訓読を用います。

(3)得魚忘筌(とくぎょぼうせん)

魚を捕ってしまうと、その道具の筌(やな)のことなど忘れてしまうということ。転じて、目的を達すると、それまでに役立ったものを忘れてしまうことのたとえ。

「筌」は水中に沈めて魚を捕る竹かごのこと。

一般に「魚(うお)を得(え)て筌(せん)を忘(わす)る」と訓読を用います。

(4)兎死狗烹(としくほう)

うさぎが死んでしまえば、それを捕らえるのに用いられた犬は不必要となって、煮て食べられてしまう意。

戦時に活躍した武将は、ひとたび太平の世となると、用なしとして殺されてしまうことをたとえた言葉。また、後に広く、利用価値があるときだけ用いられ、無用になると捨てられてしまうことのたとえ。

一般に「兎(うさぎ)死(し)して狗(いぬ)烹(に)らる」と訓読を用います。

(5)忘恩負義(ぼうおんふぎ)

恩義を忘れて義理に背(そむ)くこと。

「負」は背く、裏切る意。

一般に「恩(おん)を忘(わす)れ義(ぎ)に負(そむ)く」と訓読を用います。