日本語の面白い語源・由来(き-⑤)きしめん・ぎこちない・切口上・杞憂・狐の嫁入り

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きしめん

日本語の語源には面白いものがたくさんあります。

前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。

以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。

1.きしめん

きしめん

きしめん」とは、平打ちのうどんのことで、名古屋の名産です。「ひもかわうどん」ともいいます。

きしめんの語源は、中世に禅僧が中国から伝えた「碁子麺・棊子麺(きしめん)」が有力です。

碁子麺とは、小麦粉を練って平たくのばし、竹筒で碁石の形に打ち抜き、茹でてきな粉をかけて食べる食品で、碁石を意味する「碁子」から「碁子麺」といいました。

碁子麺が平打ち麺の「きしめん」を意味するようになった理由は定かではありませんが、小麦粉を練って平たくのばすところからか、元々は碁石の形であったものが徐々に平たくなったと考えられます。

その他、きしめんの語源には、キジの肉を具として入れていたことから「きじめん」が訛ったとする説や、紀州の人が尾張の人に製法を伝えたことから「紀州麺」と呼ばれ、約まって「きしめん」になった説などがあります。

2.ぎこちない

ぎこちない

ぎこちない」とは、動作や言葉が滑らかでなく、不自然であること、着物などが体に合わなくて具合が悪いことです。

ぎこちないは、近世以降に見られる「無作法だ」という意味の「ぎこつなし(ぎごつなし・ぎごつなし)」が変化した語です。
「ぎこつなし」は、中古以降に見られる「無作法」の意味の「こちなし」と、漢語の「気骨」が合わさったといわれます。

「こちなし」は、「骨」の呉音「コチ」に形容詞を作る接尾語「ナシ」が付いた語で、「(ゴツゴツしていて)骨のようだ」という意味から「無作法」の意味になったと思われます。

「こちなし」の語源を踏まえた場合、「ぎこちない」の語源は「こちなし」と「気骨」が合体した語ではなく、「キ(牙)」と「コチ(骨)」に形容詞を作る接尾語「ナシ」で、「牙(歯)や骨のようで柔軟さがない」といった意味からと考えられます。

3.切口上/切り口上(きりこうじょう)

切り口上

切口上」とは、一語一句の区切りをはっきりさせていう言い方改まった堅苦しい話し方、形式的で無愛想な言い方のことです。

歌舞伎役者が観客に述べる挨拶を「口上」といい、一日の興行の最後に、頭取もしくは座頭が「まず今日はこれかぎり」という口上を「切口上」といいます。

この切口上が、儀礼的で味気なく感じられることから、形式ばった堅苦しい口調を「切口上」と言うようになりました。

歌舞伎の「切口上」の語源は、「これかぎり」と言うことからや、一句一句区切って言うからといわれます。

しかし、中世には、一節ずつ区切って言う口調を「切り声」と言っており、「切る」は言葉をいちいち切る意味でも用いられていました。

この「切る」と、「口のきき方」「ものの言い方」を意味する「口上」が合わさった「切口上」は、歌舞伎の世界で使われる以前から一般語に存在しました。

これらのことから、一般語で一句一句区切って言う口調をいう「切口上」があり、それが歌舞伎の世界で使われるようになって、「切口上」に堅苦しく無愛想な言い方の意味が加わったものと考えられます。

4.杞憂(きゆう)

杞憂

杞憂」とは、無用な心配をすること、取り越し苦労のことです。

杞憂は『列子(天瑞)』の故事に由来する語です。
杞憂の「杞」は中国周代の国名で、「憂」は憂えることです。
杞の国のある人が、天が落ちてきたり大地が崩れたりしないかと、あり得ないことを心配し、夜も眠れず食事も食べられなかったそうです。
そこから、あれこれと無用な心配をすることを「杞憂」というようになりました。

ただし、最近は工事現場のクレーンが倒れて来たり、ビルの看板が落下したりする事故がよくありますので、工事現場の近くやビルのそばの道を歩く時には、上にも注意する必要がありそうです。また、猛スピードで自転車が歩道を走り抜けることもあり、一歩間違えば死傷事故になります。これは「杞憂」ではありません。

5.狐の嫁入り(きつねのよめいり)

狐の嫁入り

狐の嫁入り」とは、日が照っているのに急に小雨が降ることです。「天気雨」「日照り雨」とも言います。

元々、狐の嫁入りは、夜、遠くの山野に狐火がいくつも連なって、狐が嫁入り行列する提灯のように見えるもののことを言いました。

この狐火は、狐が口から吐き出す、奇怪な青白い火として恐れられていた俗信です。

日照り雨を「狐の嫁入り」と言うようになったのは、日が照っているのに雨がぱらつくことは考えられず、狐火の異様な怪しさにたとえた表現です。

ちなみに、狐火と思われていた青白い火は、実際は雨上がりなどに土の中のリン化水素が自然発光したものでした。