日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.道化(どうけ)・道化師(どうけし)
「道化」とは、「人を笑わせる滑稽な言動・動作。また、そのような振る舞いをする人や、生業とする人」のことです。歌舞伎の役柄「道化方」の略です。
「道化師」とは、「道化にたくみな人。道化を職業とする人」のことです。道化役。ピエロ。クラウン。
「顔で笑って心で泣く」という言葉がありますが、道化師にぴったりの言葉です。
「道化(道化師)」や「道外」と書くのは当て字です。
道化の語源には、「童戯」の意味、たわけ者の「たわけ(戯け)」や「戯気(たわけ)」の転、斉藤道三の家来の「道家某」という名に由来するなど諸説あります。
しかし、「おどけること」「ふざけ」「たわむれ」を意味する「おどけ」の「お」が脱落し、長音化して「どうけ」になったとする「おどけ」の転訛説が妥当です。
「道化」の語が見られるのは近世以降で、1603年刊の『日葡辞書』には「おどけもの」の項があり、時代的にも一致します。
また、「おどける」には、漢字で「お道化る」とも当てられます。
余談ですが、道化師を描いたヤン・マテイコの『スタンチク』(1862年)というユニークな絵画(下の画像)があります。
スタンチク(スタニスワフ・ゴンスカ)はポーランド王国の黄金時代(15~16世紀)に活躍した非常にユニークなタイプの宮廷道化師です。
高い教養をもつ優れた政治批評家および思想家の一人でもあり、同時代の他の思想家たちからも尊敬され、その鋭い発言を通じて国政に強い影響を与えていたことが記録されています。 絵は1514年、ポーランド王国(行政区分としてはリトアニア大公国)の東部辺境の国境線を守る要塞都市スモレンスク陥落の速報を首都クラクフのヴァヴェル王宮で行われた華やかな宮廷舞踏会の最中に楽屋にていち早く受け取り、表で見せる陽気な顔と異なり、真剣な面持ちで思索にふけるスタンチクです。
黄金時代を謳歌するポーランド王国の未来に不吉な影がさしたこと、聡明なスタンチクがそれに最も早く気づいていたことを表現しています。画中のスタンチクの顔は作者のマテイコ自身のものであるとされます。
2.堂々/堂堂(どうどう)
「堂々」とは、「いかめしく立派なさま。少しも隠すところがないさま。公然としたさま」のことです。
堂々の「堂」は、表御殿、正殿のことです。
堂は、賓客に接したり礼式を行うのに用い、広く高い建物であることから、態度や身のこなしが立派なさまを「堂々」と言うようになりました。
3.床屋(とこや)
「床屋」とは、「理髪店・理容店の俗称。また、理髪師」のことです。
江戸時代、男性の髪を結ったり、髭や月代(さかやき)を剃ったりする職業を「髪結い(かみゆい)」といいました。
髪結いは、橋詰めや辻などに移動可能な店を出店したり、住居とは別に商売をするためだけに構えられた店で営業が行われていました。
このような形式で営業している店は、簡易な「床」を設けていたことから「床店(とこみせ)」と呼ばれました。
床屋は、「床店」で営業する「髪結い」なので「髪結い床」と呼ばれ、「髪結い床」の「床」に職業を表す「屋」が付いて「床屋」となりました。
4.頭角を現す(とうかくをあらわす)
「頭角を現す」とは、「才能・知識・技量などが他の者よりすぐれ、際立って目立つようになること」です。頭角を見す。
頭角を現すの「頭角」は、「頭の先」や「獣の角」のことです。
獣の群れの中で、頭の先が他のものより抜きん出て、一際目立つ意味から生まれた語です。
出典は、韓愈の『柳子厚墓誌銘』にある「嶄然として頭角を見す」で、「あらわす」の漢字は「現す」もしくは「見す」と表記します。
5.どんちゃん騒ぎ(どんちゃんさわぎ)
「どんちゃん騒ぎ」とは、「酒宴などで大騒ぎすること。また、そのような騒ぎのこと」です。どんちゃん。どんちき騒ぎ。
どんちゃん騒ぎの「どんちゃん」は、歌舞伎などの合戦の場面で「どんどん、じゃんじゃん」と鳴らす太鼓や鉦の音のことです。
江戸時代の国語辞典『俚言集覧』には、「どんちゃん ドンは鼓声也、チャンは鐘声也」とあります。
この「どんちゃん」が、鳴り物入りで歌ったり踊ったりして遊び騒ぐときの音や、そのさまを表すようになりました。
そのような騒ぎは酒席で多く見られることから、酒を飲んで大騒ぎすることを「どんちゃん騒ぎ」と言うようになりました。
6.淘汰(とうた)
「淘汰」とは、「不適当なものや不必要なものを除き、良いものを残すこと。自然の中で環境に適した生物が残り、適しないものは滅びる現象」です。選択。
淘汰の「淘」は水洗いして選り分けることを意味し、「汰」は勢いよく水を流してすすぐことを意味します。
そこから「淘汰」は、水で洗って選り分けるという意味になり、転じて、不要なものを除き、良いものを残すことを表すようになりました。
ダーウィンの唱えた「natural selection」の訳語「自然淘汰(原語では自然選択)」のように、自らの意志で選ぶこと以外にも「淘汰」は用いられます。
7.取り越し苦労(とりこしぐろう/とりこしくろう)
「取り越し苦労」とは、「どうなるかわからない将来のことをあれこれ考えて、無駄な心配をすること」です。杞憂。
取り越し苦労は、江戸後期から使用例が見られる語です。
「取り越し」は、期日より前に行う意味の動詞「取り越す」の名詞形です。
期日を繰り上げて物事を行うには、先のことを考えていなければならないことから、「取り越す」は「先のことをあれこれ考える」「予測する」という意味も持つようになり、確実に起きるかどうかわからない先の事を、あれこれ悪い方に考えることは無駄な心配となるため、「取り越し苦労」というようになりました。
8.疾っくに/とっくに
「とっくに」とは、「ずっと以前に。とうに。すでに」ということです。
とっくには、早いさまを表す「とし(疾し)」の連用形「とく」が音変化した「とっく」に、格助詞の「に」が付いた語です。
「疾し」は、鋭いさまを表す「利し・鋭し」と同源です。
「とっくに」の格助詞「に」を付けない形は、「とっくの昔」というように、通常は名詞として使用されます。
しかし、近松門左衛門作の人形浄瑠璃『平家女護島』にある「とっく申し聞かせんずれども」のように、「とっく」だけで副詞として用いられた例もあります。