日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.蜥蜴/石竜子(とかげ)
「トカゲ」とは、有鱗目トカゲ亜目に分類される爬虫類の総称です。多くは体長20~30センチメートルですが、4メートルを超す種もあります。
トカゲの語源には、戸の陰にいることから「戸陰(トカゲ)」の意味。
速く走って隠れるところから、「敏駆(トカケ)」「疾隠(トカクレ)」「敏駆(トカケ)」の意味からとする説があります。
戸などについて速く走るところから、「戸翔(トカケリ)」の略とする説もありますが、これはヤモリの特徴を表したものです。
「蜥蜴」は夏の季語で、次のような俳句があります。
・我を見て 舌を出したる 大蜥蜴(高浜虚子)
・蜥蜴交る くるりくるりと 音もなく(加藤楸邨)
・やはらかく 蜥蜴くはへて 猫歩む(長谷川櫂)
・混浴の 洗ひ場奔る 青蜥蜴(高澤良一)
2.薹が立つ(とうがたつ)
「薹が立つ」とは、「若い盛りの時期が過ぎる。年頃を過ぎること」です。
「薹」は「ふきのとう」と言うように、フキやアブラナなど花をつける茎の「花茎」のことです。
薹が伸びると硬くなり、食べ頃を過ぎてしまいます。
そこから、野菜などの花茎が伸びて、食用に適する時期を過ぎたことを「薹が立つ」と言うようになり、人間の年にも当てはめて用いられるようになりました。
3.塗炭の苦しみ(とたんのくるしみ)
「塗炭の苦しみ」とは、「ひどく激しい苦しみのこと」です。
塗炭の「塗」は「泥水」、「炭」は「炭火」のことです。
泥水や炭火にまみれるような、酷い苦しみをたとえて「塗炭の苦しみ」といいました。
出典は中国の『書経(仲キ之誥)』で、「有夏昏徳し、民塗炭に墜つ(王の不徳により、人民は泥水や炭火に落とされたような苦難を味わった)」という故事に由来します。
塗炭の苦しみの類句には、「塗炭に墜つ」「水火の苦しみ」があります。
4.どんでん返し(どんでんがえし)
「どんでん返し」とは、「話の展開や物事が正反対に変わること。立場や形勢などが逆転すること」です。
どんでん返しは、近世、歌舞伎の舞台で大道具を90度後ろへ倒し、底面を立てて次の場面に転換すること。また、その装置を「どんでん返し」といったことに由来します。
歌舞伎の「どんでん返し」の語源は、中が自在に回転する仕掛けの「強盗提灯(がんどうちょうちん)」(下の写真)です。
この「強盗提灯」に似ていることから、「どんでん返し」を元々は「強盗返し(がんどうがえし)」と呼び、転じて「どんでん返し」となりました。
「がんどう返し」が「どんでん返し」に転じたのは、「どんでんどんでん」という鳴り物の音からか、大道具を倒す時の音からといわれます。
5.ドヤ顔(どやがお)
「ドヤ顔」とは、「誇らしげな顔つき。得意顔。したり顔のこと」です。
ドヤ顔の「ドヤ」は、相手の気持ちをたずねる際に用いる「どうだ(如何だ)」の関西方言「どや(どうや)」です。
「どうだ凄いだろ?」「どうだ格好良いだろ?」と言わんばかりに、優越感に浸った自慢げな顔つきを「ドヤ顔」と言うようになりました。
「ドヤ顔」を最初に言い始めたのは明石家さんまで、松本人志がテレビ番組などで多く用いたことから一般に広まったといわれますが、定かではありません。
6.兎角(とかく)
「とかく」とは、「あれやこれや。いずれにせよ。ともすれば。何はさておき」ということです。
とかくの「と」は、「あのように」「そのように」を意味する副詞です。
「かく」も「斯くして」などと使う副詞で、「このように」「こう」を意味します。
この二つの副詞が一語となった「とかく」は、「あれやこれや」の意味で中古から使われ始めました。
中世以降、「(あれこれあるが)いずれにせよ」の意味が生じ、さらに「ややもすれば」「何はさておき」などの用法が生まれました。
とかくの漢字「兎角」は、音からの当て字で、現実に存在しないもののたとえとして使われる「兎角亀毛(亀毛兎角)」の「兎角」ですが、意味の上では関係がありません。
とかくの意味から当てた漢字には、「左右」があります。
7.銅鑼(どら)
「ドラ」とは、「金属製円盤を吊るし、ばちで打ち鳴らす打楽器」です。。ゴング。タムタム。
古代中国に、「鑼(ラ)」という円盤形の打楽器がありました。
「鑼」は銅製なので「銅鑼(ドウラ)」とも呼ばれており、その音変化で「ドラ」になったと思われます。
本来、ドラは仏教の法会に用いるものでしたが、民俗芸能の囃子、歌舞伎の下座音楽、船の出航の合図などに用いられます。
8.堂に入る(どうにいる)
「堂に入る」とは、「学問や技術がすぐれて、奥深いところまで進んでいる。物事に習熟している。身についている」ことです。「入る」を「はいる」とは読みません。
堂に入るは、「堂に升りて(のぼりて)室に入らず」からできた言葉です。
「堂」は客間・表座敷のことで、「室」は奥の間のことです。
客間にのぼった程度では奥のことまで分からないことから、堂に升りて室に入らずは、学問や技芸がかなりの水準には達してはいるが、奥義をきわめるまでには至っていないことを意味します。
「堂に升りて室に入る」を略した「堂に入る」は、客間にのぼり奥の間にまで入っていることから、奥義まできわめていることを表します。