日本語の語源には面白いものがたくさんあります。
前に「国語辞典を読む楽しみ」という記事を書きましたが、語源を知ることは日本語を深く知る手掛かりにもなりますので、ぜひ気楽に楽しんでお読みください。
以前にも散発的に「日本語の面白い語源・由来」の記事をいくつか書きましたが、検索の便宜も考えて前回に引き続き、「50音順」にシリーズで、面白い言葉の意味と語源が何かをご紹介したいと思います。季語のある言葉については、例句もご紹介します。
1.生意気(なまいき)
「生意気」とは、「自分の年齢・経験・地位・能力を考えず、得意気な言動・差し出がましい言動をすること(また、そのさま)」です。
生意気の「意気」は、「意気揚々」や「意気込み」などと使われるように、「やる気」や「心構え」のことです。
生意気の「生」は、「生煮え」「生乾き」というように、中途半端な状態や十分に熟していない状態を表す接頭語で、ここでは「年齢」や「経験」などにかかっています。
「生意気」は、その本人ではなく不快に感じる側の言葉なので、心構えだけで実が伴わない未熟な者に対し、差し出がましいと思う気持ちを表したものです。
いかにも生意気なさまを「小生意気」と言いますが、この「小」は接頭語の「こ」で、同じ用法では「小憎らしい」「小賢しい」などがあります。
2.泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる)
「泣いて馬謖を斬る」とは、「規律や秩序を保つためには、たとえ愛する者であっても、違反した者は厳しく処分すること」です。
泣いて馬謖を斬るの出典は、『三国志』「蜀志-馬謖伝」の故事によります。
馬謖は中国の三国時代の蜀(しょく)の武将で、諸葛亮(しょかつりょう)の信任をうけて参軍した人物です。
馬謖は街亭の戦いで命令に背き、戦略を誤って魏軍に惨敗しました。
諸葛亮にとって馬謖は愛弟子ですが、軍律の遵守を最優先させるため、命令に背いた馬謖を斬罪に処し、涙しました。
この故事から、規律を保つためには私情を挟まず、違反者を処分するたとえとして「泣いて馬謖を斬る」と言うようになりました。
なお、『三国志演義』では、諸葛亮の泣いた理由が馬謖を軍律のために斬ったことではなく、前主君の劉備(りゅうび)に「馬謖を重用すべきではない」と言われていたにも関わらず、守らなかった自分に対する嘆きとなっていますが、「泣いて馬謖を斬る」というたとえは『三国志』に由来するので、語源としては事実がどちらであろうと関係なく、事実によって意味が変わるものでもありません。
3.海鼠(なまこ)
「なまこ」とは、「棘皮動物に属する海生動物の総称」です。体は円筒形で、先端は多くの触手を伴なった口があり、後端は肛門。皮膚は柔軟ですが小さな骨片が散在しています。酢の物として生食するほか、いりこ(干物)、このこ(卵巣)、このわた(内臓の塩辛)などに加工されます。
古くは単に「こ」と呼ばれており、のちに「なま」が付いて「なまこ」となりました。
「こ」は触ると小さく固まることから、またコリコリした食感から「凝」の意味です。
なまこの「なま」は、ナメクジやナマズと同じく「滑らか」とする説と、「生」の意味とする説がありますが、皮膚にある骨片が「滑らか」とは言い難いため、なまこの「なま」は「生」の意味と考えられます。
「生」の意味にも二説あり、ひとつは茹でて乾したなまこは「いりこ(煎りこ)」と言うことから、それに対して「生食」であることを示すために「生」が付け加えられたとする説。
もうひとつは、なまこは再生力が強く、体を切ったても時間が経つと元へ戻ることから、「生きかえる」という意味の「生」とする説です。
多くは「生食」の意味といわれますが、「生食」の意味であれば「生き物」としては「こ」と呼んだままになります。
「なまこ」と呼ぶ場合は、「いりこ」や「このわた」などと同様に、「食品」の名として位置づけられているはずなので、「生きかえる」意味の「生」の方が妥当です。
なまこが漁師の言葉から生まれたとすれば、再生力の強さと固まるところから、「凝」に「生きかえる」意味の「生」が付き、「なまこ(生凝)」になったとする方が自然と思われます。
漢字の「海鼠」は、夜になるとネズミのように這い回ることからや、ネズミの後ろ姿に似ているから当てられたといわれます。
「海鼠」は冬の季語で、次のような俳句があります。
・生きながら 一つに冰(こお)る 海鼠哉(松尾芭蕉)
・俎板(まないた)の 氷をぬめる なまこかな(炭太祇)
・おもふこと いはぬさまなる 海鼠かな(与謝蕪村)
・ひつそりと 海鼠の水に 泡ふたつ(高田正子)
4.名残(なごり)
「なごり」と言えば、イルカさんの「なごり雪」がまず思い浮かびます。
「名残」とは、「ある事柄が過ぎ去った後に、なおそれを思い出させる気配や余韻・影響。人との別れを惜しむ気持ち。去った人や亡くなった人を思い出すよすがとなるもの。故人の形見や子孫。残り。残余。物事の最後」のことです。
「名残」は当て字で、名前が残るという意味が語源ではありません。
なごりに漢字の「余波」を当て、波が打ち寄せたあとに残る海水や海藻も意味するように、「なみのこり(波残り)」が短縮し変化して出来た言葉です。
そこから、余韻や影響など、何かの事柄の後に残るものを「なごり」と言うようになりました。
「なごり」が波によって残ったものではなく、ある事柄が過ぎたあとに残る余韻や影響を表すようになったのは、『万葉集』にもその例が見られることから、奈良時代以前と考えられます。
人との別れを惜しむ意味で「なごり」が用いられた例は平安時代以降に見られ、「名残惜し(い)」といった形容詞も、その頃から見られるようになります。
5.鯰(なまず)
「ナマズ」とは、「ナマズ目ナマズ科の魚」です。幼魚は六本、成魚は四本の口ひげをもち、鱗はありません。川や湖沼の泥底に棲みみます。
ナマズの「ナマ」は、鱗がなく滑らかな魚であることから、「ナメクジ」の「ナメ」と同じく「滑らか」の意味です。
「ず(歴史的仮名遣いは「づ」)」は、川や沼の泥底にすむことから、「どじょう」の「ど」と同じく「泥」や「土」の意味の意味です。
つまり、ナマズは「滑らかな泥魚」の意味から付けられた名前と考えられます。
古くから、大きなナマズが地中であばれるために地震が起こるという俗信があり、「地震」を「ナマズ」と言うこともあります。
中国ではナマズを「魚」+「占(粘りつく)」で「鮎」と書きますが、日本では「アユ」にこの漢字が使われ、ナマズは「ねばる」の意味から「念」が当てられて「鯰」と書きます。
現在では、中国でも「鯰」が使われます。
「鯰」は夏の季語で、次のような俳句があります。
・藻の花に 鯰押へし 夜振哉(正岡子規)
・鯰の子 己が濁りに かくれけり(五十崎古郷)
・鯰得て 帰る田植の 男かな(与謝蕪村)
・川狩の 妻も抱きくる 大鯰(藤谷紫映)
6.蛞蝓(なめくじ)
「ナメクジ」とは、「腹足綱ナメクジ科の軟体動物」です。虫ではなく陸生巻貝ですが、殻は退化して見られません。体長6cmほどで、塩をかけると体内の水分が出て縮みます。なめくじら。なめくじり。
ナメクジの「ナメ」は、滑らかに移動する姿から「滑」の意味が有力と考えられ、舐めるように這うことから「舐め」とする説もあります。
「クジ(クヂ)」は、ナメクジが植物の上を這った後、えぐられたようになっていることから、「あける」「えぐる」という意味の「くじる」とする説もありますが民間語源で、「クジ」については不明です。
別名に「ナメクジリ」「ナメクジラ」「マメクジリ」「マメクジラ」「ナメラクジ」などがあります。
「ナメクジリ」の語形から見ると「くじる」が語源でもおかしくありませんが、この呼称は民間語源の「くじる」から生まれたという見方が強いようです。
古くは、カタツムリも「ナメクジ」と呼ばれていたため、カタツムリと区別するため「裸」を冠して「ハダカナメクジ」とも呼ばれました。
現在でも、「裸」を冠した呼称を用いる地域があります。
「蛞蝓」は夏の季語で、次のような俳句があります。
・なめくぢり 這ひて光るや 古具足(服部嵐雪)
・五月雨に 家ふり捨てて なめくぢり(野沢凡兆)
・あばら家の 戸のかすがひよ なめくぢり(野沢凡兆)
・雨十日 蛞蝓多き 厨(くりや)かな(滝川愚仏)
7.鳴り物入り(なりものいり)
「ハンカチ王子」と呼ばれた斎藤佑樹投手のように、高校野球や大学野球で大活躍し、鳴り物入りでプロ野球に入ったドラフト1位選手が、プロ野球では「鳴かず飛ばず」に終わる例がよくありますね。
「鳴り物入り」とは、「物事を大袈裟に宣伝すること」です。
「鳴り物」とは、歌舞伎で使う太鼓や笛などの楽器のことです。
舞台を賑やかに囃し立てるため、このような楽器の伴奏を入れることを「鳴り物入り」と言いました。
鳴り物を入れて賑やかにしたり、景気をつけたりする意味から、大袈裟に触れ回ることを「鳴り物入り」と言うようになりました。
なお、「鳴り物入りで入団」や「鳴り物入りで入社」などと言う時の「鳴り物入り」は、「大袈裟に宣伝した」という意味よりも、皆から囃し立てられるほど「注目されている」というニュアンスが強いものです。これは誤用というよりも、意味の派生です。
そのため、必ずしも悪い意味で使われるとは限らず、「鳴り物入りで入団しただけあって」と言えば良い意味となり、「鳴り物入りで入団した割に」と言えば悪い意味となり、後に続く言葉によって意味が変わると捉えるべきです。