「一」から「万」の数字を含むことわざ・慣用句(その3)「三」

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女三界に家無し

数字を含むことわざ・慣用句と言えば、「三人寄れば文殊の知恵」とか「三つ子の魂百まで」などたくさんあります。

前回は「人数・年齢・回数・年月や時間・距離・寸法」を表す数字を含むことわざ・慣用句を紹介しました。そこで今回は、その他の「一」から「万」までの数字を含むことわざ・慣用句をまとめてご紹介したいと思います。

なお面白い数字の単位についての話は、前に「数字の単位は摩訶不思議。数字の不思議なマジック・数字の大字も紹介!」という記事に詳しく書いていますので、ぜひご覧下さい。

3.「三」を含むことわざ・慣用句

(1)女は三界に家無し(おんなはさんがいにいえなし):女は幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がないということ。

三界」は仏教用語で、欲界・色界・無色界、すなわち全世界のこと。

(2)子は三界の首枷(こはさんがいのくびかせ):親にとって子は、いくつになっても、どこへ行っても気にかかる存在で、一生自由を束縛されるものであることのたとえ。

子は三界の首枷

(3)三顧の礼(さんこのれい):真心から礼儀を尽くして、優れた人材を招くこと。また、目上の人が、ある人物を信任して手厚く迎えること。「顧」は訪ねる、訪れること。

中国の三国時代、蜀の劉備が無位無冠の諸葛孔明を軍師として迎えるために、礼を尽くしてその草庵を三度も訪ねたという故事に由来します。
諸葛孔明も劉備の態度に感激し、劉備のために奔走したということです。

三顧の礼

(4)三拍子そろう(さんびょうしそろう):必要な要素をすべて備えていること。

「三拍子」とは、①音楽で、三つの拍を一つの単位とする拍子。強・弱・弱の配置をとる。② 小鼓・大鼓・太鼓・笛など3種の楽器で拍子をとること。また、その拍子。③ 三つの重要な条件。

三拍子そろう

(5)盗人にも三分の理(ぬすっとにもさんぶのり):悪事を働いた者にも、それなりの理由はあるものだということ。また、どんな事にも理屈をつけようと思えばつけられるものだということのたとえ。

「三分」は3割で、泥棒にも盗みをしたそれなりの理由や言い分が、3割くらいはあるということから。

盗人にも三分の理

(6)早起きは三文の(はやおきはさんもんのとく):早起きをすると健康にも良く、また、そのほか何かと良いことがあるものであるということ。「朝起きは三文の徳」とも言います。

なお「徳」は「得」とも書きます。

早起きは三文の得

「三文」は一文銭三枚を指しており、「ごくわずかなもの」を表現しています。 しかしここで使われている「徳」は「精神的・身体的な利益」を意味します。 「早起きをすると小銭を拾える」という意味のことわざではありません。 「早起きは三文の徳」は、中国の樓鑰という詩人が詠んだ「早起三朝當一工 (3日続けて早く起きれば一人分の働きになる)」が語源とされています。

(7)居候三杯目にはそっと出し(いそうろうさんばいめにはそっとだし):他人の家に世話になっている者は、万事に遠慮がちになり、食事のときも三杯目のおかわりは遠慮がちになるということ。

「居候」とは、他人の家にただで世話になる者のこと。

かつての日本人の食事の量としては、ご飯の三杯は普通の量でしたが、他人の家に金を払わず厄介になっている者は、控えめに茶碗を出すところから。

居候の肩身の狭さを詠んだ川柳がことわざになったもの。

(8)駆けつけ三杯(かけつけさんばい):他人の杯を受ける者には三杯飲ませる意から転じて、酒席などで遅れてきた者に罰として立て続けに酒を三杯飲ませること。

駆けつけ三杯

<類義語>

・今入り三杯
・遅れ三杯

「三杯」になった由来は諸説ありますが、元々は武士の行う酒宴の作法の一つに「式三献」という儀式があり、そこからきたと言われています。

「式三献」とは、武士が出陣するときなどに、三品の肴に酒を三度ずつ飲む儀式のこと。
結婚式などで行われる三三九度の杯なども、式三献の名残りと言われています。

(9)三つの猿(みっつのさる):他人の欠点や過ち、自分に都合の悪いものなどは、見ない、聞かない、言わないこと。

「見ざる聞かざる言わざる」の動作を表現した三匹の猿から。

三つの猿

(10)がったり三両(がったりさんりょう):何かちょっとしたことでも起これば、すぐに費用がかかることのたとえ。

「がったり」は、物が壊れたときに響く音を表す語。
がったりと音がすれば、修理に三両ものお金がかかることから。

(11)いやいや三杯(いやいやさんばい):口先だけの遠慮のこと。

口では遠慮して、実際に勧められれば何杯でも飲むことから。

「いやいや三杯十三杯」とも言います。

(12)娘一人に婿三人(むすめひとりにむこさんにん):一つの物事に対しての希望者が多くいること。

一人の娘に対して婿を希望する人が三人もいるとの意から。
「娘一人に婿十人」「娘一人に婿八人」とも言います。

(13)世の中は年中三月常月夜、嬶十七俺二十、負わず借らずに子三人(よのなかはねんじゅうさんがつじょうつきよ、かかあじゅうしちおれはたち、おわずからずにこさんにん):世の中は、いつも三月頃の温暖な気候で、夜は明るい月夜、妻は十七歳自分は二十歳、責任も借金もなく、子どもは三人持つ暮らしが望ましいということ。

江戸時代の庶民のささやかな願望をいった言葉。

(14)酒屋へ三里、豆腐屋へ二里(さかやへさんり、とうふやへにり):生活するのに非常に不便な場所のこと。

酒屋へは三里、豆腐屋へは二里の道のりがある場所のことから。

(15)商い三年(あきないさんねん):商いは始めてから三年くらいたたないと、利益を得るようにはならないということ。

三年は辛抱せよという教え。

(16)秋の雨が降れば猫の顔が三尺になる(あきのあめがふればねこのかおがさんじゃくになる):秋は晴れた日より雨の日の方が暖かいので、猫も顔を長くし喜ぶということ。

(17)顎振り三年(あごふりさんねん):技量を身に付けるまでには長い年月がかかるということ。尺八は、顎を振って微妙な音を出すこつを会得するまでに三年かかることから。

(18)雨垂れは三途の川(あまだれはさんずのかわ):家から一歩出れば、どんな災難や危険が待ちかまえているかわからないということ。

軒下から落ちる雨だれが、三途の川のように、あの世とこの世の堺だから、家から出たら十分注意せよという戒めの言葉。

(19)家を道端に作れば三年成らず(いえをみちばたにつくればさんねんならず):他人の助言をいちいち聞いていると、何事もやり遂げることが出来ないというたとえ。

道に面した場所に家を建てようとすると、口出しをする人が多くてなかなか出来上がらないとの意から。

(20)一升徳利こけても三分(いっしょうどっくりこけてもさんぶ):元手が多ければ、多少損をしても平気だというたとえ。
一升徳利が倒れて中身がこぼれても、三分(三合)くらいは残っているとの意から。

(21)韋編三度絶つ(いへんみたびたつ):繰り返して書を読むこと。

「韋編」は、字を書いた木や竹の札を、なめし皮の紐(ひも)でとじた中国の昔の書物。

孔子は「易経」を愛読し繰り返し何度も読んだため、書物をとじている革紐が三度も切れたという故事から。四字熟語では「韋編三絶(いへんさんぜつ)」。

(22)いらぬ物も三年立てば用に立つ(いらぬものもさんねんたてばようにたつ):今は必要ない物でも、役に立つことがあるかもしれないので、むやみに捨てるものではないということ。

今は不要な物も、三年も取っておけばきっと役に立つ機会があるとの意から。

<類義語>

・焙烙の割れも三年置けば役に立つ(ほうろくのわれもさんねんおけばやくにたつ)

「焙烙」とは、素焼きの土鍋のこと。

(23)売家と唐様で書く三代目(うりいえとからようでかくさんだいめ):初代が苦労して残した財産も、三代目にもなると没落し、家を売りに出すような羽目になるが、その「売家」と書いた札の文字は唐様(中国風)でしゃれていること。

仕事をしないで道楽三昧をする人を皮肉ったもの。

(24)負うた子を三年探す(おうたこをさんねんさがす):手近にあることに気づかず、長い間あちこちを探し回るたとえ。

背中に負ぶった子どもをどこへ行ったと三年も探す意から。

(25)多し少なし子三人(おおしすくなしこさんにん):子どもは三人いると、多からず少なからずで理想的だということ。

<類義語>

・子三人、子宝(こさんにん、こだから)

・足らず余らず子三人(たらずあまらずこさんにん)

・負わず借らずに子三人(おわずからずにこさんにん)

・三人子持ちは笑うて暮らす(さんにんこもちはわろうてくらす)

(26)大鍋の底は撫でても三杯(おおなべのそこはなでてもさんばい):規模が大きいものは、何から何まで大きくて大したものだということ。

大きな鍋は底に残ったものを集めても碗に三杯分はあるという意味から。

(27)思うようなら子と三人(おもうようならことさんにん):人生が思い通りになるなら、夫婦と子ども一人の三人で暮らすのが一番いいということ。

(28)女三人あれば身代が潰れる(おんなさんにんあればしんだいがつぶれる):娘が三人いると、嫁入り支度で財産がなくなってしまうということ。

(29)櫂は三年、櫓は三月(かいはさんねん、ろはみつき):櫂の扱い方は、櫓の扱い方に比べてずっと難しいということ。

(30)金は三欠くに溜まる(かねはさんかくにたまる):義理と人情と交際の三つを欠くぐらいでなければ、お金はたまらないということ。

(31)首振り三年、ころ八年(くびふりさんねん、ころはちねん):尺八は、首を振りながら吹けるようになるのに三年かかり、ころころというよい音を出すのには八年かかるということ。

何事を成すにも、それ相応の修練が要るというたとえにも言います。

(32)君子に三戒あり(くんしにさんかいあり):人格者が自ら慎む三つのこと。青年期の色欲、壮年期の争い事、老年期の強欲のこと。

(33)君子に三楽あり(くんしにさんらくあり):人格者が楽しみとする三つのこと。

両親兄弟が健在なこと、世の中に恥じることのない正しい心を持つこと、優れた人材を教育すること。単に「三楽」とも言います。

(34)下種の一寸、のろまの三寸、馬鹿の開けっ放し(げすのいっすん、のろまのさんずん、ばかのあけっぱなし):戸を閉める時に、下種は一寸閉め残し、のろまな者は三寸閉め残し、愚か者は開けっ放しにしてしまうということ。

戸の閉め方で、その人の品性・性格がわかるということ。

(35)子三人、子宝(こさんにん、こだから):子どもは三人ぐらいが理想的で、子宝というのにふさわしいということ。

(36)乞食にも三つの理屈(こじきにもみっつのりくつ):どんな人でも、その人なりの言い分や理屈があるということ。

(37)乞食を三日すればやめられぬ(こじきをみっかすればやめられぬ):悪い習慣が身についてしまうと、なかなか抜けられないというたとえ。

気楽な乞食の暮らしを三日も経験したならばやめることはできないとの意から。

「乞食を三日すれば忘れられぬ」とも言います。

(38)小糠三合あったら婿に行くな(こぬかさんごうあったらむこにいくな):男はわずかでも財産があるなら、気苦労の多い婿養子にはならずに独立して生計を立てよということ。

「小糠三合」は、わずかな財産のたとえ。

「婿に行くな」は「入り婿すな」「養子に行くな」などとも言います。
「小糠」は「粉糠」とも書きます。

(39)棹は三年、櫓は三月(さおはさんねん、ろはみつき):棹の使い方は、櫓の使い方に比べてずっと難しいということ。

(40)酒は三献に限る(さけはさんこんにかぎる):酒は適量を飲むのがいいということ。

三献」は酒宴の礼法で、大・中・小の杯で酒を三杯勧めることを一献といい、それを三回繰り返した三献がほどよい量ということから。

(41)猿は人間に毛が三筋足らぬ(さるはにんげんにけがみすじたらぬ):猿は利口で人間にきわめて近い動物だが、人間に知恵が及ばないのは毛が三本足りないからだということ。

また、「毛が三本」ではなく、「見分け(判断・配慮する力)」「情け(思いやる心)」「やりとげ(物事をやり遂げる力)」の三つ、または「色気」「情け」「洒落っ気」」の三つが足りないとする説もあります。

なお、「三筋」ではなく「三本」とも言います。

(42)触り三百(さわりさんびゃく):ちょっと関わったばかりに、思いもかけない損害を受けることのたとえ。

ちょっと触っただけなのに、三百文の損をするとの意から。

(43)三界の火宅(さんがいのかたく):苦悩に満ちた世界を、火に包まれて燃えさかる家にたとえた言葉。「三界」は、この世のこと。

(44)三軍も帥を奪うべきなり、匹夫も志を奪うべからず(さんぐんもすいをうばうべきなり、ひっぷもこころざしをうばうべからず):大軍に守られている総大将でも討ち取ることは出来るが、たとえどんなに身分の低い男でも、意思が堅ければ、その志を変えさせることは出来ないということ。

人の志は尊重すべきだということ。「三軍」は大軍、「帥」は大将、「匹夫」は身分のいやしい男の意。

(45)三国一(さんごくいち):世界一のこと。「三国」は、インド・中国・日本の三つの国のことで、昔はこの三国を全世界としていたことから。

(46)三舎を避く(さんしゃをさく):相手を恐れはばかって避けること。また、とても及ばないとして相手に一目置くことのたとえ。

「三舎」は、古代中国の軍隊が三日間に歩いた距離。一舎は約三十里。三舎、つまり九十里ほど遠くに退くとの意から。

(47)三従(さんじゅう):昔、女性が守るべきとされていた三つの道のこと。生家では父に従い、嫁いでは夫に従い、夫の死後は子に従うということ。

(48)三寸の舌を掉う(さんずんのしたをふるう):大いに弁舌をふるうこと。

(49)三寸の見直し(さんずんのみなおし):物事は、細かいところまで見ると多少の欠点は見つかるということ。

また、多少の欠点は見慣れてしまえば気にならなくなるということ。

物の長さも測り方によっては三寸ほどの誤差があるとの意から。

(50)三省(さんせい):自分の言動を何度も反省すること。

中国の孔子の弟子の曾子は、自分の言動を毎日何度も反省していたということから。
「三」は数が多いこと。

「論語」学而の「吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしかと」から。

(51)三代続けば末代続く(さんだいつづけばまつだいつづく):家は三代続けて栄えれば、基礎も固まって長く続くということ。

(52)三度の火事より一度の後家(さんどのかじよりいちどのごけ):三度火事に遭うより、一度だけでも夫に先立たれるほうが精神的打撃が大きくて立ち直りにくいというたとえ。

(53)三度の飯も強し柔らかし(さんどのめしもこわしやわらかし):世の中のことは、なかなか自分の思う通りにはならないというたとえ。

毎日炊いている飯でさえ、固すぎたり柔らかすぎたりして思うようにはいかないだから、世の中のことが思い通りにいかないのは当然だということから。

(54)三度目は定の目(さんどめはじょうのめ):物事は一度目や二度目の結果は当てにならないが、三度目ともなれば確実だということ。「定の目」は、定まった賽の目のこと。

(55)三人、市虎を成す(さんにん、しこをなす):事実ではないことでも、多くの人が同じことを言えば、やがては信じられるようになることのたとえ。

「市」は街、また市場のこと。

一人や二人では信じないが、三人もの人が市に虎がいると言えば、事実でなくても信じ込んでしまうとの意から。

「市に虎あり」「三人、虎を成す」「市に虎あり」「市虎三伝」「三人成虎」とも言います。

(56)三人行えば必ずわが師あり(さんにんおこなえばかならずわがしあり):三人で一緒に事を行えば、他の二人の中に良い所、悪い所が必ず見いだせること。

どちらにしても自分の学ぶべき相手が必ずみつかるということ。

(57)三人子持ちは笑うて暮らす(さんにんこもちはわろうてくらす):子どもを持つなら三人くらいがちょうどよく、幸せな暮らしができるということ。

(58)三人知れば世界中(さんにんしればせかいじゅう):人が三人集まる所で話したことは、秘密にするのはむずかしく、世界中に知れ渡ってしまったのと同じことになるというたとえ。

(59)三人旅の一人乞食(さんにんたびのひとりこじき):三人で旅をする時には、その中の一人が仲間はずれになりがちだということ。

また、三人で事をすると、貧乏くじをひいて損をすることが多いということ。

(60)三年経てば三つになる(さんねんたてばみっつになる):生まれた子も三年経てばちゃんと三歳になるように、どんな物事も時が経てば変化し成長するということ。

「乞食の子も三年経てば三つになる」とも言います。

(61)三拝九拝する(さんぱいきゅうはいする):何度も頭を下げて頼み込んだり、敬意や感謝を表したりすること。

(62)三余(さんよ):学問に励むために最もよい三つの余暇。年の余りで農業のない冬、一日の余りである夜、雨が降っている日の屋外で働けない三つの時期。

(63)舌三寸に胸三寸(したさんずんにむねさんずん):ちょっと口から出た言葉や、ふと思いついたことが、重大な事を引き起こすことがあるので、むやみに言葉にしたり行動してはいけないということ。

「舌三寸」はちょっとしゃべること、「胸三寸」は心の中にある考えの意。

(64)死なぬ子三人、皆孝行(しなぬこさんにん、みなこうこう):三人の子どもが親より先に死なずに成人してくれたら、これ以上の孝行はないということ。

(65)三味線を弾く(しゃみせんをひく):相手の話に適当に合わせること。または、適当な嘘で話を誤魔化すこと。

歌い手に合わせて三味線を演奏するという意味から。

(66)空に三つ廊下(そらにみつろうか):天気が安定しないことを洒落て言う言葉。
「降ろうか」、「照ろうか」、「曇ろうか」の三つの「ろうか」を「廊下」に掛けた言葉。

(67)亭主三杯客一杯(ていしゅさんばいきゃくいっぱい):客をもてなすために、主人が客よりたくさん酒をのむこと。また、客をだしにして主人がふだんより多く酒を飲むことにもいう。

(68)天に三日の晴れなし(てんにみっかのはれなし):人の身には、よいことばかりが続くものではないというたとえ。

晴れて天気のいい日は三日と続かないとの意から。

(69)何事も三度(なにごともさんど):一度や二度の失敗であきらめず、せめて三度はやってみよということ。

(70)馬鹿の三杯汁(ばかのさんばいじる):何杯も汁のおかわりをする作法知らずをあざけっていう言葉。また、愚か者にかぎって大食をすることのたとえ。

「阿呆の三杯汁」とも言います。

(71)鳩に三枝の礼あり、烏に反哺の孝あり(はとにさんしのれいあり、からすにはんぽのこうあり):子の親に対する礼儀や孝行の大切さをいう言葉。

鳩は親鳥よりも三本下の枝にとまり、烏は恩を忘れずに老いた親鳥の口に餌を運んで孝行すると言われます。

鳥でさえ親の恩に報いるのだから、人間はなおさら礼儀を尊び親孝行しなければならないということ。

(72)春の晩飯後三里(はるのばんめしあとさんり):春は晩飯を食べたあとでも三里の道を歩けるほど日が長いということ。

「春の夕飯食って三里」とも言います。

(73)飛脚に三里の灸(ひきゃくにさんりのきゅう):勢いのあるものにさらに勢いをつけるたとえ。

「三里」は、膝頭の下の灸点で、ここに灸をすえると足を丈夫にするといわれています。

足の速い飛脚が三里に灸をすえれば、さらに足が強くなることから。

(74)引っ越し三両(ひっこしさんりょう):引っ越しをすれば、いろいろと費用がかかるということ。

(75)一時違えば三里の遅れ(ひとときちがえばさんりのおくれ):少しの間でもぐずぐずしていると、たちまち大きな差が開くということ。

「一時」は約二時間、「三里」は約十二キロメートル。一時遅れると、旅程に三里の遅れが出るとの意から。

「ひととき」は「いっとき」とも言います。また「一時三里」とも言います。

(76)人の痛いのは三年でも辛抱する(ひとのいたいのはさんねんでもしんぼうする):他人の苦痛は自分とは無関係だから平気であるということ。

(77)美味も喉三寸(びみものどさんずん):どんなにおいしいものでも、おいしいと感じるのは喉までの三寸ほどを通るの間のことで、腹に入ってしまえばまずいものと変わらないということ。

また、どんなにうれしい事もほんのひとときにすぎないというたとえ。

(78)法三章(ほうさんしょう):簡単な法律のこと。また、法律を簡略化すること。

漢の高祖が厳しい法律を廃止し、殺人・傷害・窃盗だけを処罰するとした三章からなる簡略な法律を定めたという故事から。

(79)ぽつぽつ三年、波八年(ぽつぽつさんねん、なみはちねん):何事も一人前になるには、それなりの年月が必要だということ。

日本画の修行では、ぽつぽつと点で苔を描けるようになるのに三年、波を描けるようになるのに八年かかるとの意から。

(80)松の木柱も三年(まつのきばしらもさんねん):その場だけを切り抜けるなら、どんなものでも役に立つというたとえ。腐りやすい松の柱でも三年くらいは持つということから。

(81)三行半(みくだりはん):夫が妻に書いた離縁状。転じて離縁することを言います。

昔、離縁状は三行半に書く慣習があったことから。

(82)三度諌めて身退く(みたびいさめてみしりぞく):繰り返し主君をいさめても聞き入れられない時は、潔く辞職するのが賢明だということ。

(83)三度肘を折って良医となる(みたびひじをおってりょういとなる):人は多くの苦労を重ね経験を積んで、初めて円熟した人間になれるということ。

医者は自分のひじを何度も折り、苦痛や治療を経験して初めて良医になることができるとの意から。

(84)三日にあげず(みっかにあげず):間をおかないで。度々。

高い頻度を表す言葉。

(85)三つ子に剃刀(みつごにかみそり):非常に危険なことのたとえ。

「三つ子」は、三歳児のこと。三歳児ほどの幼い子に剃刀を持たせるとの意から。

(86)三つ子に花(みつごにはな):そぐわない人に大事なものを預けて安心できないことのたとえ。また、ものの値打ちがわからない者に優れた物を与えても何の役にも立たないことのたとえ。

幼い子に花を持たせてもすぐにめちゃくちゃにしてしまうとの意から。

(87)三つ叱って五つほめ、七つ教えて子は育つ(みっつしかっていつつほめ、ななつおしえてこはそだつ):子どもは少し叱って多くほめ、たくさん教えて育てるのがいいということ。

(88)三つ指、目八分(みつゆび、めはちぶ):正しい行儀作法のこと。

お辞儀をする時は親指・人差し指・中指の三本の指を床について頭を下げ、物を運ぶ時は目の高さより少し低くして両手で差し上げるのが正しい作法とされるところから。

(89)無患子は三年磨いても黒い(むくろじはさんねんみがいてもくろい):生まれつきの性質は変えることはできないというたとえ。

「無患子」は、山地に生える落葉高木。種子は黒色で羽根つきの羽根の玉に使われます。

その黒色の種子をいくら磨いても白くはならないとの意から。

(90)胸三寸に納める(むねさんずんにおさめる):すべてを心に納めて、顔にも言葉にも出さないこと。

「胸三寸」は胸の中のこと。「胸三寸」は単に「胸」、「納める」は「畳む」とも言います。
また「腹に納める」とも言います。

(91)目を三角にする(めをさんかくにする):怒って、目尻の吊り上がったこわい目付きをすること。