同訓異字の漢字の使い分け(その2)「あらわす」「あう」

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現すと表す

「異なる漢字で、同じ訓を有するものの組み合わせ」を「同訓異字(どうくんいじ)」または「異字同訓(いじどうくん)」と言います。

この「同訓異字」の中でも、意味のよく似た漢字があり、使い分けに迷う場合があります。最近は「平仮名(ひらがな)交じりの文章」も多くなっており、必ずしも漢字で書かなくても、「漢字を知らない」という誹(そし)りを受けることもなくなりました。

そのため、意識的か無意識的かはわかりませんが、「同じ読み方で意味のよく似た漢字」を平仮名で書いてこの問題を避ける人もいます。

しかし、日本人としては、ぜひとも正しい漢字の使い方を知っておきたいものです。

前に「同訓異字の漢字の使い分け(その1)はかる・さがす」という記事を書きましたが、まだほかにも日常使う言葉で使い分けに迷う漢字がありますので、ご紹介します。

1.あらわす

「あらわす」という漢字は四つあります。「著す」や「顕す」は意味が全く違うので間違うことはあまりないと思いますが、「表す」と「現す」の使い分けは迷うことがありますね。

(1)表す

表すとは、感情、考えなどを外見から読み取れるようにする、言葉、絵、音楽などを使って相手に示すことなどを言います。

「彼女が、怒りを顔に表すとはめずらしい」「嬉しい気持ちを音楽で表す」「これは停まるを表す記号です」などと使います。

「表す」の「表」という字は、「衣服のえりもと」と「毛」を表す象形から成っています。そこから「毛皮のおもて着(上着)=おもて」を示す漢字として成り立ちました。

(2)現す

一方「現すとは、今までなかったもの、隠れていた物、姿、が外から見える時に使います。

「会合の終わり頃になってようやく姿を現す」「ついに正体を現す」「本性を現すのは時間の問題だろう」などと使います。

「現す」の「現」という字は、「玉」を表す象形と「見る」を表す象形から成っており、「玉の光があらわれる」を意味します。そこから「あらわれる」を指す言葉として成り立ちました。

表す」は「表現」、現す」は「出現」と覚えておけばよいと思います。

(3)著す

なお、「著す」は、「出版する」などの意味を持つ言葉です。書物を書いて、それを世に出すことを言います。「彼は数冊の書を著した」「数学の本を著す」「論文を著すにあたり、資料を調べる必要がある」などのように使います。

「著す」の「著」という字は、「ならび生えた草」や「多くのものを集める」などを表す象形から成っています。そこから「もの集め、はっきりした形にする=あらわす」を意味する漢字として成り立ちました。

(4)顕す

「顕す」は、「表す」や「現す」、「著す」などと語源は同じです。しかし「顕す」の場合は、主に「広く世間に知らせる」という意味合いで使われる点がほかとは違います。具体的には、「彼の功績を、石碑によって世に顕す」のように使われます。

「顕す」の「顕」という字は、「太陽と糸」「大きな目の人(みる)」の象形から成っています。これは「日中に糸をみる」を表しており、そこから「はっきりしている」「あらわれる」を指す漢字として成り立ちました。

2.あう

「あう」を表す漢字は五つあります。「合う」「会う」「逢う」「遭う」「遇う」がそれです。

「会う」「逢う」「遭う」「遇う」は、辞書では同じ項目にまとめられています。「合う」と違って明確な違いはないため、ニュアンスに注目して慎重に違いを確認する必要があります。

(1)合う

「合う」は、「二つ以上のものが近寄って、一つになる。くっつく」「よく調和する」「二つのものが一致する。くい違いがない」「ある基準と一致する」「それだけのことをするかいがある。引き合う」という意味があります。

「合う」は物事に対して使います。

非常に幅広い意味を持ちますが、「合」を使った熟語に「合体」「適合」「合致」があることを考えると、「合う」の使い方は理解しやすくなります。

また、「合う」は動詞の連用形に付けて、複合語を作ることもできます。例えば「助け合う」「殴り合う」といったように、動詞に付くことで「互いに…する」「一緒になる」という意味を付け加えることができます。

(2)会う

「会う」は、「互いに顔を向かい合わせる。場所を決めて対面する」「たまたま人と出あう」という意味があります。

「会う」と「逢う」は、にあう場合に使います。

「会う」は、事前に計画を立てているか否かを問わず、誰かと出会うこと全般を指します。辞書で同じ項目にまとめられている「会う」「逢う」「遭う」「遇う」の中では、最も使用範囲が広い言葉と言えます。

(3)逢う

「逢う」は、「会う」と同じく「互いに顔を向かい合わせる。場所を決めて対面する」「たまたま人と出あう」という意味があります。

しかし実際には、「逢う」と「会う」はニュアンスによって使い分けられています。

逢う」は「会う」の中でも、特に親しい人と1対1で会う場面で使われます。これは「逢」を使った熟語に「逢瀬(おうせ)」「逢引(あいびき)」があることを考えると、理解しやすくなります。事前に約束をしていても、偶然であっても、親しい間柄の人と会う場合には「逢う」が適切です。

もう一点、「会う」と「逢う」との大きな違いとして「常用漢字」か否かが挙げられます。「逢」は「表外漢字」のため、ビジネスにおける書類などでは使用を避けた方が無難です。「常用漢字」として「あう」の読みが登録されている「会う」に置き換えましょう。

(4)遭う

遭う」は、「好ましくないことに出あう」という意味があります。

「遭う」は、人だけでなく出来事に対しても使うことができます。これは「遭」を使った熟語に「遭遇」「遭難」があることを考えると、理解しやすくなります。「遭う」は好ましくない人や出来事に、予期せず偶然出会った時に使います。「遭う」対象の具体例として、事故や災難、反対などが挙げられます。

(5)遇う

遇う」は、「遭う」と同じく「好ましくないことに出あう」という意味があります。

「遇う」も、人だけでなく出来事も対象とすることができます。辞書では主な遇う対象として「好ましくないこと」が挙げられているものの、実際には「思いがけず出あう」こと全般を指して「幸運に遇う」という使い方をする場合もあります。「奇遇」のように、予期しなかった人や出来事に偶然出会った時に用いましょう。

ちなみに、「遇」の読みには、「あう」の他に「たまたま」「もてなす」があります。

『荀子』に次のような言葉もあります。

遇不遇者時也

遇(ぐう)と不遇とは時(とき)なり。

意味は「人間の運命には、うまくいくばあいと、うまくいかないばあいがある。それはみな時世のいかんによるものであるから、不遇にもいたずらに悲観することなく、時を得たときも得意にならぬがよい。」という孔子の言葉です。

「遇」とは、何をやってもトントン拍子に進むことで、「不遇」とは、その反対に何をやってもうまくいかないことです。それは、「時」を得るかどうかにかかっているというのです。

ちなみに『荀子』は、「性善説」を唱えた孟子に対して「性悪説」を唱えた荀子の著書です。

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