童謡の歌詞にまつわる切ない話・意外な誕生秘話・歌詞が何度も変更された話!

フォローする



赤とんぼ

1.赤とんぼ(作詞:三木露風、作曲:山田耕筰)

「赤とんぼ」は、誰もが知っている童謡で、「ふるさと」と並んでなぜか郷愁を誘う歌ですね。

この中の「夕焼小焼の赤とんぼ おわれて見たのはいつの日か」の「おわれて」ですが、私は大人になるまで、「追われて(追いかけられて)」と思い込んでいたのですが、これは、「子守りの姐(ねえ)や」に「負われて(負んぶされて)」というのが正しい意味だったのです。この子守りをしてくれた「姐(ねえ)や」は15歳でお嫁に行ったと歌われています。

つい最近のNHKテレビの「にっぽん縦断こころ旅」で火野正平さんも、私と同じように勘違いしていたと話していました。

三木露風が5歳の時に、両親が離婚したため、母親とは生き別れになり、彼は祖父に育てられました。この歌詞のように子守りの少女に負んぶされて赤とんぼを見ていたのかも知れません。母を思うさみしい幼少時代の思い出が込められているようです。

2.赤い靴(作詞:野口雨情、作曲:本居長世)

この歌は、1922年(大正11年)に発表されました。「赤い靴はいてた女の子 異人さんに連れられて行っちゃった」の「女の子」をめぐっては、モデルとされる人物がいます。社会主義運動の一環として注目された北海道の「平民農場」に入植した夫婦が、開拓生活の厳しさから、アメリカ人宣教師に4歳の娘の養育を託し、彼女は宣教師夫妻に連れられてアメリカへ渡ったというものです。

しかし、実際には、娘はその時結核に冒されていたため、渡米出来ず、東京の孤児院に預けられることになり、母親に会うこともなく、9歳で亡くなります。一方、母親は、「娘は宣教師に連れられてアメリカに渡った」と思い込んで一生を終えたそうです。

社会主義詩人として出発した野口雨情は、札幌市の新聞社に勤めていた時、上記の夫婦と懇意になり、母親からこの話を聞いて、「赤い靴」を作詞したそうです。

3.里の秋(作詞:斎藤信夫、作曲:海沼実)

「静かな静かな 里の秋 おせどに 木の実の 落ちる夜は」で始まるこの歌は、1945年(昭和20年)12月24日のラジオ番組「外地引揚同胞激励の午后」の中で初めて、川田正子さんの歌唱で放送されました。放送直後から大きな反響があり、翌年から始まったラジオ番組「復員だより」の曲としても使われたそうです。

元々この歌は国民学校の教師だった斎藤信夫氏が昭和12年に作った「星月夜」という詩で、「軍国童謡」とでも言うべきものでした。1番と2番は、「里の秋」と同じですが、3番は、父親の武運を祈る家族と、4番は、将来兵隊になる希望を持つ男の子を歌ったものです。斎藤氏は海沼実氏に「童謡としての作曲」を依頼する手紙を送りましたが、作曲されることなく終戦を迎えました。

NHKから、「復員兵を元気づける歌」の作曲を急遽依頼された海沼氏が、戦時中に作られた斎藤氏の「星月夜」(「里の秋」の元の詩)を思い出して、斎藤氏に、3番と4番の軍国調を消した歌詞に変更を依頼して出来上がったのがこの歌です。戦争で戦うよう生徒に教えていた斎藤氏は、責任を感じて戦後、教師を辞めていました。

1番は、ふるさとの秋を母子が過ごす情景、2番は、出征中の父親を夜空の下で思う情景、3番は父親が南方の島から無事に引揚げて来ることを祈る家族の情景となっています。

ところで、1番にある「おせど」はどういう意味かご存知でしょうか?

「お背戸」は「家の裏手、裏口、裏門」のことで、この歌の場合は、「南方の戦地での激しい戦いを終えて引揚船でようやく帰って来られるお父さんの笑顔を思い出しながら、母子二人が囲炉裏端で栗の実を食べて寂しく待っている。裏庭にある樫か椎の木の実(ドングリ)がパラパラと落ちる音が聞こえるくらいひっそりと静まり返っている山里の秋の夜」の様子を歌っているのだと思います。

YouTubeの倍賞千恵子さんの「里の秋」は心に沁みます。

4.春の小川(作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一)

これは、1912年(大正元年)に発表された「文部省唱歌」(「尋常小学唱歌 第四学年用」として、1912年に初めて掲載)です。

もとの歌詞は「春の小川は さらさら流る」です。また第三小節は「匂いめでたく 色うつくしく」、第四小節は、「咲けよ咲けよと ささやく如く」です。

ところが、1942年に国民学校への移行に伴う教科書改訂で、「春の小川は さらさらよ」と「すがたやさしく 色うつくしく」、「咲いているねと ささやきながら」に変わりました。

さらに、戦後の1947年、最後の「文部省著作音楽教科書」である「三年生の音楽」では、「春の小川は さらさら行くよ」、「すがたやさしく 色うつくしく」はそのままにして「咲けよ咲けよと ささやきながら」の部分だけが変更されました。これは、その後の民間編集の教科書にも、基本的には継承されました。

ところが、現在、全国各地の小学校では、1942年版の歌詞で教えているところも、1947年版で教えているところあったりして、地域・教科書・学校によってまちまちのようです。

以前、会社の同僚が「春の小川」の歌詞について、「今の小学校では『流る』と教えているらしいが、あれは後半の『ささやきながら』と同様に、川を擬人化しているのだから『行くよ』が正しい」と主張していました。

女優の吉行和子さんは、逆に「昔は『流る』と教えていたのに、今は『行くよ』と教えているらしい」とどこかのエッセーに書いていました。

このような混乱を招いたのは、上に述べたような文部省による歌詞の「一部変更」が繰り返されたためだったのですね。皆さんは、どの歌詞で習いましたか?