前回まで、「ホトトギス派の俳人」16人(「ホトトギス派の俳人(その16)杉田久女:虚子との確執で有名な悲運の女流俳人」など)と「ホトトギス派以外の俳人」14人(「ホトトギス派以外の俳人(その14)長谷川かな女:大正期を代表する女流俳人」など)を紹介する記事を書いてきました。
ホトトギス派は、「客観写生」「花鳥諷詠」「有季定型(季語のある定型俳句)」を旨としましたが、それに飽き足りない俳人たちが、「無季俳句」や「自由律俳句」などを標榜する「新興俳句運動」を起こしました。
私は、「新興俳句運動」を全否定するつもりはなく、それなりの歴史的意義はあったと思います。しかし、私はやはり季節感溢れる「季語」を詠み込んだ「定型俳句」に魅力を感じます。
そこには、現代の私たちの生活から失われつつある(一部はほとんど失われた)季節感が溢れており、「懐かしい日本の原風景」を見るような気がします。
そこで今回から、「二十四節気」に沿って季節感あふれる「季語」と俳句をご紹介していきたいと思います。
なお、前に「季語の季節と二十四節気、旧暦・新暦の季節感の違い」という記事も書いていますので、ぜひご覧下さい。
「夏」は旧暦4月~6月にあたり、「初夏」(立夏・小満)、「仲夏」(芒種・夏至)、「晩夏」(小暑・大暑)に分かれます。
今回は「晩夏」(小暑・大暑)の季語と俳句をご紹介します。
・小暑(しょうしょ):新暦7月7日頃です。「六月節」 暑気に入り梅雨の明ける頃です。
・大暑(たいしょ):新暦7月22日頃です。「六月中」 夏の暑さがもっとも極まる頃です。
1.時候
(1)あ行
・青水無月(あおみなづき):陰暦六月の別称。山野が青々と茂るところから生まれた名
・秋迫る(あきせまる):夏が終わり、秋も近いと感じられる時期
・秋近し(あきちかし):晩夏のころ、藍を帯びはじめた空の、一刷の白い雲や、木々のそよぎに、秋が近いことを感じる
波の音も 秋風近し 西のうみ(玄旨)
けに涼し あすくる秋の 雲の色(安藤和風)
物の葉の そよきに濱の 秋近し(里紅)
秋近き 心のよるや 四畳半(松尾芭蕉)
変化めく 雲や一夜の 秋近し(浪化)
窓の火や 秋を隣の 藪の中(逸洞)
鏡見て ゐる遊女の 秋近き(正岡子規)
・秋隣(あきどなり)/秋の隣り(あきのとなり)/秋隣る(あきとなる):夏が終わり、秋も近いと感じられる時期
・秋の境(あきのさかい):夏の終り、秋もまもないと感じられる時期
・秋待つ(あきまつ)/秋を待つ(あきをまつ):夏の暑さから解放されるべく、秋の訪れを待ちわびる気持ち
柿の木に 秋まち顔の 烏かな(北虎)
・翌来る秋(あすくるあき/あすきたるあき)/翌は秋(あすはあき):夏の終わり。陰暦六月の晦日
・炎暑(えんしょ):ほむらが燃えているごとき暑さをいう。太陽がぎらぎらと照りつける最も厳しい暑さである
・炎昼(えんちゅう):真夏の昼間。炎天の炎と昼間の昼からできた言葉。昭和13年刊行の山口誓子の句集名から広まったという。字の激しさや語感の強さが現代的な感覚を詠むのにも適す
炎昼の 女体のふかさ はかられず(加藤楸邨)
・炎熱(えんねつ):真夏の炎えるような暑さ
炎熱や 勝利の如き 地の明るさ(中村草田男)
(2)か行
・風待月(かぜまちづき):陰暦六月の別称。酷暑の中、風を待つことから生まれた名
・季夏(きか):暦の上では夏の終わりだが、暑さまだまだ衰えを見せない。しか し朝夕に吹く風に秋が近いことを感じるのもこのごろ。去り行く 夏への感慨も湧いてくる。晩夏
・凶冷(きょうれい):冷夏をいう
・暮の夏(くれのなつ):夏の終りごろ
・酷暑(こくしょ):陽暦七月末〜八月上旬にかけてのきびしい暑さ
・極暑(ごくしょ):陽暦七月の末から八月の上旬にかけて、きびしい暑さになる。暑さの極みのことをいう
蓋あけし 如く極暑の 来(きた)りけり(星野立子)
・来ぬ秋(こぬあき):夏が終わり、秋も近いと感じられる時期
(3)さ行
・三伏(さんぷく):陰陽五行説に基づく選日のひとつ。夏至の後、第三の庚(かのえ)の日を初伏、第四の庚の日を中伏、立秋後の第一の庚の日を末伏といい、それを総称して三伏という。七月中旬から八月上旬の酷暑の頃である
九夏さん ふく風きかぬ 暑さ哉(正成)
三伏の 日に酒のみの 額かな(淡々)
三伏の 闇はるかより 露のこゑ(飯田龍太)
・七月尽(しちがつじん):夏の終わり。陰暦六月(陽暦ではほぼ七月)の晦日
・湿暑(しつしょ):夏の湿度の高い蒸し暑さ
・小暑(しょうしょ):二十四節気の一つ。夏至の後十五日目。陽暦で七月七日ごろ。蝉が鳴き始める頃で、小暑の終わりごろから夏の土用に入る
・溽暑(じょくしょ):蒸し暑いこと。高温多湿の不快感は耐え難いもの。日本特有の夏の気候である
・初伏(しょふく):夏至の後の第三の庚の日。三伏の第一
・盛夏(せいか):夏の真盛り、最も暑い季節である。梅雨明けから、八月上旬まで。真夏と同じ
(4)た行
・大暑(たいしょ):二十四節気のひとつ。陽暦の7月23日頃にあたる。学校も夏休みに入り、暑さも本番となる
兎も 片耳垂るる 大暑かな(芥川龍之介)
水晶の 念珠つめたき 大暑かな(日野草城)
朝よりの 大暑の箸を そろへおく(長谷川素逝)
鶏鳴の ちりりと遠き 大暑かな(飯田龍太)
・大暑来る(たいしょくる):大暑に入ること
・大暑の日(たいしょのひ):二十四節気の第12。六月中(通常旧暦6月内)。
現在広まっている定気法では太陽黄経が120度のとき(黄道十二宮では獅子宮の原点に相当)で7月23日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする
・中伏(ちゅうふく):夏至の後の第四の庚の日。三伏の第二
・梅雨あがる(つゆあがる):梅雨が終ること
・梅雨明(つゆあけ):梅雨が終ること。暦の上では入梅から三十日後とされる。梅雨前線が北上し、洋上に抜けると梅雨明けとなる。梅雨明け前は雷鳴を伴った豪雨となることも多く、その後は真青な夏空となる
梅雨の後 牛ほす里の 堤かな(延年)
入梅の明 遠かみなりを 暦かな(加舎白雄)
ばりばりと 干傘たゝみ 梅雨の果(原石鼎)
梅雨あけの 鎌倉くらき 旋風かな(石橋秀野)
梅雨明の 大神鳴や 山の中(日野草城)
・梅雨のあと(つゆのあと):梅雨明(つゆあけ)をいう
・常夏月(とこなつづき):陰暦六月の別称
・土用(どよう):春夏秋冬それぞれに土用はあるが、普通、土用といえば夏の土用のことである。とりわけ夏の土用が取り上げられるのは、陰陽五行や農耕と深くかかわりがあったと思われる。地方によっては、土用の間にしてはならないことなど様々な言い伝えがある。今でも土用の丑の日に鰻を食することなど、生活に深く結びついている
人声や 夜も両国の 土用照り(小林一茶)
土用の日 浅間ヶ岳におちこんだり(村上鬼城)
ほろほろと 朝雨こぼす 土用かな(正岡子規)
子を離す 話や土用 せまりけり(石橋秀野)
わぎもこの はだのつめたき 土用かな(日野草城)
・土用明(どようあけ):土用が終わること
・土用入(どよういり):土用に入ること
おぼつかな 土用の入りの 人ごころ(杉山杉風)
・土用三郎(どようさぶろう):夏の土用入りから三日目の称。俗に、この日の天候でその年の豊凶を占い、快晴ならば豊作、降雨ならば凶作という。
天一太郎・八専二郎・土用三郎・寒四郎という一年中における農家の四つの厄日の一つ
虫干や 土用三郎 綱わたり〈酉水〉
・土用次郎(どようじろう):土用の二日目
・土用太郎(どようたろう):土用の一日目
・土用中(どようなか):土用の間のこと
(5)な行
・夏惜しむ(なつおしむ):夏が終わってしまうこと。惜しむ気持ちがこもる
・夏終る(なつおわる):夏が終わってしまうこと
・夏旺ん(なつさかん):夏の暑さの盛り
・夏さぶ(なつさぶ):夏がふけゆき、夏らしい情感が深まること
・夏寒し(なつさむし):梅雨寒が長期にわたって続く低温の夏のこと
・夏闌(なつたけなわ):夏の盛り
・夏の限(なつのかぎり):夏の果に同じ
・夏の果(なつのはて):夏の終りである。果てる、終る、の語には物悲しい思いがつきまとう。帰省や避暑などが終わり、去り行く夏が惜しまれる
ハタハタの 溺れてプール 夏逝きぬ(篠原鳳作)
・夏の別れ(なつのわかれ):夏が終わってしまうこと。惜しむ気持ちがこもる
・夏果(なつはて):夏が終わってしまうこと。惜しむ気持ちがこもる
・夏深し(なつふかし):夏の終わりの頃をいう。秋の訪れが間近に感じられ、しみじみとした思いにかられる
闇よりも 山大いなる 晩夏かな(飯田龍太)
黄金の 襖に孔雀 夏深し(長谷川櫂)
・夏深む(なつふかむ):夏の盛りのころ
・夏真昼(なつまひる):夏の炎天の昼間
・夏を追う(なつをおう):夏が終わってしまうこと。惜しむ気持ちがこもる
・熱砂(ねっさ):夏の太陽光線によって熱く焼けた砂をいう。砂浜では裸足では歩 けないほどであるが、熱砂というと、砂浜よりもまず砂漠がイメ ージされる。人間にとって過酷な地理条件のひとつである
熱砂ゆく 老婆の声も せずなれり(山口誓子)
熱沙上 力尽きたる 河は消ゆ(加藤楸邨)
(6)は行
・晩夏(ばんか): 暦の上では夏の終わりだが、暑さまだまだ衰えを見せない。しか し朝夕に吹く風に秋が近いことを感じるのもこのごろ。去り行く 夏への感慨も湧いてくる
・晩夏光(ばんかこう):夏の終わりの頃の衰えぬ暑光
晩夏光 バツトの函(はこ)に 詩を誌(しる)す(中村草田男)
・日焼岩(ひやけいわ):夏の太陽でやけた熱い岩
・日焼浜(ひやけはま):裸足で歩くと火傷するように熱い日盛りの砂浜
・腐草蛍となる(ふそうほたるとなる):七十二候の一つ。古く中国では、夏季に腐った草が、暑さに蒸れて蛍になるとされた
(7)ま行
・末伏(まっぷく):立秋の後の第一の庚(かのえ)の日。三伏の第三
・真夏(まなつ):夏のまっさかり。盛夏
・みどりの冬(みどりのふゆ):梅雨寒が長期にわたって続く低温の夏のこと
・水無月(みなづき):陰暦六月、陽暦の七月ころにあたる。炎暑のため、水が涸れ尽きて地上に水の無い月と解されている。酷暑にあえぎながら風待つうちに、時に雷鳴や夕立を催し、夕暮れの涼しさには秋の気配を覚えるといった時候である。この月の晦日に夏越の祓を行い、身を清める
水無月や 伏見の川の 水の面(上島鬼貫)
水無月や 鯛はあれども 塩鯨(松尾芭蕉)
水無月の 朝顔すずし 朝の月(三浦樗良)
水無月の 限りを風の 吹く夜かな(高桑闌更)
骨髄に 青水無月の 芭蕉かな(大島蓼太)
戸口から 青水無月の 月夜哉(小林一茶)
・水無月尽(みなづきじん):陰暦六月が尽きること。暦の上で夏の終わり、明日からは秋となる
水無月の 限りを風の 吹く夜かな(高桑蘭更)
・蒸暑し(むしあつし):梅雨も終わりごろの蒸すような暑さ
・炎ゆ(もゆ)/炎ゆる(もゆる):ぎらぎらと輝く太陽の強い日差しによって、万物が燃えるような熱気をいう。照りつける太陽に道路はゆらめき、あたかも炎を上げているようにも思える。この季語は多分に視覚に訴えるところがある
(8)や行
・灼く(やく)/灼くる(やくる):真夏の太陽の直射熱に照りつけられて、熱く灼ける状態をいう。激しい暑さを視覚的に捉えた「炎ゆ」に対して「灼く」には火傷しそうな触覚がある。新興俳句の隆盛に伴う新しい季語
千軒の 瓦の灼くる 堅田かな(長谷川櫂)
・灼岩(やけいわ):夏の太陽でやけた熱い岩
・ゆく夏(ゆくなつ):夏が終わってしまうこと
・夜の秋(よのあき/よるのあき):夏の終り頃、夜になると涼しく何となく秋めいた感じのすることがある。立秋も近く去りゆく夏に一抹の寂しさを感じたりする
玉虫の 活きるかひなき 夜の秋(加藤暁台)
俳諧の 寝物語や 夜の秋(赤星水竹居)
片よせて 宵寝の雨戸 夜の秋(石橋秀野)
家かげを ゆくひとほそき 夜の秋(臼田亜浪)
尽炷の 余香ほのかや 夜の秋(日野草城)
凭り馴れて 句作柱や 夜の秋(松本たかし)
灯の下の 波がひらりと 夜の秋(飯田龍太)
石鹸の にほえる娘 夜の秋(長谷川櫂)
(9)ら行
・冷夏(れいか):太平洋高気圧の張り出しが弱いために起こる、気温の低い夏をいう。日照不足のため作物に甚大な被害を与えることもある
・冷害(れいがい):冷夏のため作物に被害が及ぶこと
・六月(ろくがつ):陰暦六月、陽暦の七月ころにあたる。炎暑のため、水が涸れ尽きて地上に水の無い月と解されている。酷暑にあえぎながら風待つうちに、時に雷鳴や夕立を催し、夕暮れの涼しさには秋の気配を覚えるといった時候である。この月の晦日に夏越の祓を行い、身を清める
六月や 峯に雲置く あらし山(松尾芭蕉)
六月の 埋火ひとつ 静かなり(加藤暁台)
温泉あれど 六月寒き 深山哉(高桑闌更)
六月の 氷もとどく 都かな(大島蓼太)
(10)わ行
2.天文
(1)あ行
・青東風(あおごち/あおこち):初夏のころ、青葉を吹いて渡る東からの風。また、夏の土用の青空に吹き渡る東風の意
青東風の 満ちて夜に入る ふしみかな(遅柳)
青東風の 雲疾(と)き中の 昼の月(大谷句仏)
・朝曇(あさぐもり):「旱(ひでり)の朝曇」といって、暑くなる日は朝のうち靄がかかって曇ることが多い。これは陸風と海風が入れ代る早朝に、前日の強い日差しで蒸発した水蒸気が冷えるためである。こうした気象現象が明治末期から新しい季語として認められた
皮となる 牛乳(ちち)のおもてや 朝ぐもり(日野草城)
・朝凪(あさなぎ):夏の朝、海岸地帯で、海風と陸風が吹き変わるときの無風状態をいう。海面はべた凪となる。陸と海の気温差をなくすために起こる現象で、朝凪が過ぎると海風が吹き出す
・朝凪ぐ(あさなぐ):夏の朝、一時的に無風状態になること
・朝焼(あさやけ):太陽の光が大気層を通過する時の散乱現象で、日の出の時に東の空が紅黄色に染まることをいう。夏が最も色鮮やかで、天気が下り坂になる前兆でもある
牛乳(ちち)煮るや ラヂオの小鳥 朝焼に(石橋秀野)
・油照/脂照(あぶらでり):風がなく、雲の多い、汗ばむような蒸し暑い日和をいう。炎天のからっとした暑さとは違う、じりじりとした暑さである
堤行(つつみゆく) 歩行荷(かちに)の息や 脂照り(菊岡沾涼)
ながながと 骨が臥(ね)ている 油照(日野草城)
・雨喜び(あめよろこび):日照りが長く続いたあとに降る雨
・雲海(うんかい):山や飛行機などから見下ろしたとき雲がまるで海面のように広がる光景のこと。年中みられるが「信仰登山」の季語にちなんで夏の季語とされる。雲海を眺めるとこの世から離れ、まるで天上にいるかのような心地となる
・炎気(えんき):夏の焼けつくような暑い空のこと
・炎日(えんじつ):夏の焼けつくような暑い空のこと
・炎天(えんてん):太陽の日差しが強く、焼け付くような真夏の空のこと
炎天に 照らさるる蝶の 光りかな(炭 太祇)
炎天や さしくる潮の 泡の音(渡牛)
炎天に あがりて消えぬ 箕(み)のほこり(芥川龍之介)
炎天に 黒き喪章の 蝶とべり(日野草城)
炎天の 蝙蝠洞を 出でにけり(原石鼎)
炎天より 僧ひとり乗り 岐阜羽島(森澄雄)
炎天の かすみをのぼる 山の鳥(飯田龍太)
炎天の 鹿に母なる 眸あり(飯田龍太)
炎天や 大河の底を すなどれる(長谷川櫂)
・炎天下(えんてんか):真夏の昼に灼くように照りつける太陽の下
炎天下 くらくらと 笑(えみ)わききしが(加藤楸邨)
・炎風(えんぷう):夏に吹くかわいた高温の風
・大西日(おおにしび):真夏の暑さが衰えない頃の夕日
・送り梅雨(おくりづゆ):梅雨が明ける頃に降る大雨のこと。激しい雷雨となることが多い。「早く梅雨が明けて欲しい」という願いが込められた季語である。
また、「返り梅雨」、「戻り梅雨」といって、梅雨明けしたかと思ってもまた降り出す雨を示すこともある
・温風(おんぷう):梅雨明けに吹く温かく湿った風のこと。「白南風」のようにさっと吹くような明るいイメージではなく、じめじめした感じが残る風である
(2)か行
・返り梅雨(かえりづゆ):梅雨が明けてから、更に雨のふること
・風死す(かぜしす):夏の暑さの中、少しでも風が吹けば心地良いものだが、風がぴたりと止むと誠に耐え難い暑さとなる。いわゆる「凪」と言われる現象であるが、「風死す」と言えばその息苦しさが感じられる
・風涼し(かぜすずし):晩夏のころに吹く涼しい風
・片蔭(かたかげ):午後の日差しが建物や塀などに影をつくる。歩くにも、少しでも日陰を選びたい夏。「緑陰」や「木下闇」とは、区別して用いたい季語。古くから長塀の片蔭などは存在していたのであるが、都市の構造物の変遷もあり、大正以降、よく使われだした季語でもある
片蔭に ぽつゝ宵宮 参りかな(青木月斗)
・片かげり(かたかげり):盛夏の熱い太陽から逃れる日陰
・旱天(かんてん):日照りの続く夏の空
・旱魃(かんばつ):雨が降らず照り続き、田畑・井戸などの水がとぼしくなること
・喜雨(きう):夏の土用の頃、日照りが長く続いて旱ばつ状態となっている時にようやく降る恵みの雨のこと。旱が長引くと農作物の害を及ぼしたり、生活用水に不自由を来たすため、まさに喜びの雨となる
・御来光(ごらいこう):高山の頂上で昇暁の日の出を迎えること。夏山登山にちなみ、夏の季語とされる
・御来迎(ごらいごう):山の頂上で見る日の出、または日の出を迎えること。本来は、富士山、立山などの山頂で日の出や日没前の太陽を背にしたとき、前方の霧にうつる自分の影が光線の具合で虹色の光の輪につつまれてみえることを、阿弥陀仏の来迎になぞらえたもの
御来迎 天界の露 降り尽す(大谷碧雲居)
(3)さ行
・慈雨(じう):旱魃が続いたとき、待ちに待った雨が降ること
・湿風(しっぷう):晩夏に吹く暖かい湿気も多い風
・白南風(しらはえ/しろはえ/しろばえ):梅雨明けの時期に吹く南風。また、陰暦六月頃に吹く南西風
・涼風(すずかぜ):夏の終わり頃に吹く涼しい風のこと。 晩夏になると夏型の気圧配置がくずれて、暑い風とは異なった風が吹く。肌に涼気を感じる風である
涼風や ほの三日月の 羽黒山(松尾芭蕉)
涼風や 虚空にみちて 松の声(上島鬼貫)
涼風に 消ゆる小雲の 宿りかな(内藤丈草)
涼風や 峠に足を ふみかける(森川許六)
涼風を 青田におろす 伊吹かな(各務支考)
涼風や 我にふるるも 惜しまるる(三浦樗良)
涼風や 寄る辺もとむる 蔓のさま(臼田亜浪)
涼風の 一塊として 男来る(飯田龍太)
(4)た行
・大旱(たいかん):夏の日照りが続き、長い期間雨が降らないこと
・土用あい(どようあい):夏の終わり、土用のさなかに吹く北風のこと。まだまだ暑さは残っているが、この風に秋の気配を感じる。「あい」は主に日本海沿岸で使われる北風もしくは東風をさす言葉
・土用東風(どようごち/どようこち):夏の終わり、土用のさなかに吹く東風のこと。また雲ひとつない晴天に吹き渡る東風を「青東風」という。「青東風」は「青嵐」に含まれる場合もあるが、「青嵐」が爽快で清涼な風なのに対し、「青東風」は蒸した感じが伴う
道々の 涼しさ告げよ 土用東風(小西来山)
笠の下 吹いてくれけり 土用東風(小林一茶)
・土用凪(どようなぎ):夏の終わり、土用のさなかの全く風のない日のこと。凪は、本来沿岸地帯において昼夜の風向きが変わるときに波も風も静まる時間帯のこと。この「土用凪」は一日中の現象をさす。農作物の生育には良いが、人間にとっては耐え難い無風である
(5)な行
・夏陰(なつかげ):盛夏の熱い太陽から逃れる日陰
・夏木陰(なつこかげ):炎暑の木陰・日陰のこと。灼くような日光も正午過ぎると少しずつ木の下や家の軒に日陰が生まれてくる
・夏日影(なつひかげ):夏の太陽の光をさす。日陰のことではない
・夏旱(なつひでり):夏場の日照りのこと
・夏山陰(なつやまかげ):炎暑の日陰である。灼くような日光も正午過ぎると少しずつ木の下や家の軒に日陰が生まれてくる
・西日(にしび):西の空に傾いた太陽。または、その光のこと。とりわけ真夏の午後の日射しは強烈で、夕方になっても衰えぬ日差しは耐え難いものがある
西日照り いのち無惨に ありにけり(石橋秀野)
・西日落つ(にしびおつ):西日の沈むこと
・西日さす(にしびさす):西日が差すこと
・西日中(にしびなか):西日の強烈な光と暑気をいう
・西日の矢(にしびのや):西日の強烈な光と暑気をいう
・熱風(ねっぷう):熱く乾いた風のこと。南風が本州の山脈を越えるとき雨として水分を落とすので、「熱風」は特に日本海側で吹く。また都心でも、 ビルやアスファルトの熱気がそのまま風に乗って「熱風」となる。 いずれも肌が焼けるような感覚
熱風や 土より湧きし 仏陀の顔(加藤楸邨)
(6)は行
・日陰(ひかげ):日陰は、午後の日差しが建物や塀などに影をつくる季語である。夏の炎天下では、物陰を拾うように歩きたくなるものである。日陰は木や建物の影であり、片陰は主に建物の陰を指すときに使われる。古くから長塀の片蔭などは存在していたが、都市の構造物の変遷もあり、大正以降、よく使われるようになった季語である
見送るも 夏は日陰や 一里塚(李下)
井戸水を 浴びて涼しき 日陰哉(青木月斗)
・日盛(ひざかり):夏の一日、最も太陽の強く照りつける正午頃から三時頃までをいう。人間も動物も暑さにじっと耐えるひと時である
日ざかりを しづかに麻の 匂ひかな(大江丸)
日ざかりや 海人(あま)が門辺の 大碇(正岡子規)
日盛りに 蝶の触れ合ふ 音すなり(松瀬青々)
日盛や 松脂(まつやに)匂ふ 松林(芥川龍之介)
・旱(ひでり): 太平洋高気圧に覆われて、連日雨が降らずに日が照りつけることをいう。旱魃とも言いい、地面は渇ききって草木は枯れてしまう。農林災害はもちろん、人々の飲料水にも深刻な打撃を与える
畠にして ほし瓜となす 日でり哉(日能)
海賊の 村に水汲む 旱かな(正岡子規)
大海の うしほはあれど 旱かな(高浜虚子)
大旱 天智天皇の 秋の田も(川端茅舎)
大旱の 空に鴉の 啼きにけり(長谷川零余子)
畳目に 箒のひびく 旱かな(長谷川櫂)
・旱草(ひでりぐさ):日照りにより干からびた草
・旱雲(ひでりぐも):日照りの時の雲。夏、晴れ続きの空に点々とわずかに浮かぶ雲
しらじらと 明けて影濃し 旱雲(前田普羅)
・旱空(ひでりぞら):日照りの続く夏の空
・旱続き(ひでりつづき):極暑の候、久しく雨なく照り続くこと
・旱年(ひでりどし):日照りが続き、害の多い年
・旱畑(ひでりばたけ/かんばた):日照りで干からびてしまった畑
・旱星(ひでりぼし):雨の無い、ひでり続きの夜に見える星のこと
・日の盛(ひのさかり):夏の日中、最も暑い盛り
(7)ま行
・戻り梅雨(もどりづゆ):梅雨が明けてから、更に雨のふること
(8)や行
・夕凪(ゆうなぎ):海辺での現象。夕方、海風と陸風の入れ替わる時の無風状態をいう。瀬戸内のような内海では、この現象が特にはなはだしい
夕凪に 油樽つむ あつさかな(高井几董)
夕凪や 行水時の 裏通り(青木月斗)
・夕凪ぐ(ゆうなぐ):一時風がやみ、木の葉も動かぬようになること
・夕焼(ゆうやけ):夕方、日が西の空に沈んだ後もしばらくは空が茜色にそまり、なかなか日が暮れない。夏の夕焼は大地を焼き尽くすごとく壮大である
大夕焼 一天をおし ひろげたる(長谷川素逝)
大夕焼 消えなば夫の 帰るべし(石橋秀野)
・夕焼雲(ゆうやけぐも):夕焼に赤く染まった雲
(9)ら行
・涼風(りょうふう):夏の終わり頃に吹く涼しい風のこと。 晩夏になると夏型の気圧配置がくずれて、暑い風とは異なった風が吹く。肌に涼気を感じる風である
(10)わ行