江戸風俗がよくわかる「川柳いろは歌留多」(その6)(あ~し)

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江戸風俗川柳いろは歌留多

前に「江戸いろはかるた」を紹介する記事を書きましたが、江戸風俗がよくわかる「川柳いろは歌留多」というのがあるのをネットで見つけましたのでご紹介します。

これは、Ahomaro Ufoさんが作られたものです。この「川柳いろは歌留多」は江戸川柳「柳多留」から、庶民の生活を詠んだ川柳を<現代語解釈>で表現した不思議な空間です。

江戸の庶民風俗を浮世絵と明治大正時代の手彩色絵葉書や昭和30年頃までの広告などを巧みに取り入れた時代絵巻は、過去例を見ない雰囲気を醸し出しています。

Ahomaro Ufoさんが作られたものを、私なりにアレンジしてご紹介します。

1.あ:浅草の観音様はお前立ち

川柳江戸風俗いろは歌留多・あ

伝説によると推古天皇の時代、檜前浜成・竹成兄弟が隅田川で網を入れると、一寸八分の観音様がかかり、領主の土師中知がその観音様を祀るお宮を建立したのが始まりと言われますが、いまだかつてご本尊を見た者はいません。

その代わりに「お前立ち」と呼ばれる観音様が、ご本尊が入っていると言われる厨子(ずし)の前に安置されています。

人々はこぞって観音様を参拝するのですが、裏心の輩は観音詣でと称して、本音は観音裏の遊興地「吉原」が目当てでした。これが女性の秘仏を観音様と称する由来でもあります。

2.さ:細見(さいけん)で蔦屋歌麿写楽出し

川柳江戸風俗いろは歌留多・さ

吉原遊びのガイドブックは「吉原細見」が有名です。妓楼・遊女・揚げ代などが示された便利なガイドブックです。

蔦屋重三郎は吉原の茶屋に生まれ、細見発行の株を得て出版業を営み、その優れた商才と才能で世に名高い歌麿や写楽を育て、世に送り出しました。

3.き:きんぴらな娘ではなし歌かるた

川柳江戸風俗いろは歌留多・き

お転婆な娘のことを「きんぴら娘」と言います。金平は金平浄瑠璃のヒーローで、怪力無双の豪傑坂田金平の名が由来です。「きんぴら牛蒡(ごぼう)」は強精作用があると考えられて、怪力金平の名が付けられました。

百人一首」などの歌かるたは、もっぱら教養ある女性の遊びでした。そんな教養ある娘たちでも歌かるたを始めると「お転婆娘」に変身することもしばしばです。

次のような川柳もあります。

歌かるたいずれも白い手と手と手

4.ゆ:夕立に蛇の目(じゃのめ)を廻す茅場町(かやばちょう)

川柳江戸風俗いろは歌留多・ゆ

江戸時代の「からかさ」の主な生産地は大坂で、江戸の傘屋はこの「下り物」の販売店が主流でした。

それに対して、茅場町の瑠璃光薬師の裏手にあった傘屋は、地元で生産された「地傘」の店で、薬師の縁日には参詣帰りの客で賑わいました。

当時の庶民には傘は高価なもので、古傘を買い取る商売もあったほどです。一般の雨具と言えば、萱や菅で編んだ蓑傘・合羽が主流で、ほとんどの人は雨が降れば仕事も外出もしなかったそうです。江戸図会で傘をさしている者はお金持ちと判断してよいでしょう。

次のようなことわざ(慣用句?)もあります。

大工殺すにゃ刃物は要らぬ 雨の十日も降ればよい

5.め:名物は信濃の臼(うす)のいくよもち

川柳江戸風俗いろは歌留多・め

「おやつ」に菓子や果物を食べる習慣は、江戸時代に始まりました。「おやつ」は八つ刻(午後2時~3時)であり、昼食が昼九つ(12時ごろ)で夕飯は暮れ六つ(7時ごろ)なのでちょうど中間です。

時刻と十二支

菓子類は、「下り物」(京から来た京菓子が上等とされ、幕府や大名家などの「御用達」でしたが、庶民の間で有名なのは浅草餅・干菓子・桜餅などでした。

中でも両国橋西詰の小松屋から売り出された「いくよ餅」が有名で、吉原の遊女だった「幾世太夫」が女将を務めることでも評判でした。

この「いくよ餅」は、信州信濃の善光寺のご本尊を堂社の完成まで一時安置した臼で撞いたと言われていますが、真偽のほどは不明です。

6.み:三行半(みくだりはん)恨み辛みに字を余す

川柳江戸風俗いろは歌留多・み

江戸時代の離縁状を「三行半」と言い、離婚の権利は夫にありました。もっともその場合は妻に持参金を返さなければならず、離縁状にその恨み辛みを長々と書き込んでも「三行半」の効果があったとか。

本来の「三行半」とは、文章を三行半(さんぎょうはん)で書き記すものでした。

其元儀 相相談之上 離縁いたし候うえは、
何方へ縁付候とも 我等方にて一切差構無御座候、
よって如件(くだんのごとし)。

7.し:四角でも炬燵(こたつ)は野暮(やぼ)なものでなし

川柳江戸風俗いろは歌留多・し

江戸時代の庶民の暖房は「丸火鉢」と「炬燵(置き炬燵)」でしたが、炬燵は足元から暖まりますが、鉄瓶を置くことが出来ず不便でした。その点、炬燵と同じ四角い恰好をしていても、町家で使う「長火鉢」の方が便利でした。

ところで「炬燵(置き炬燵)」には、別の意味での楽しみもあったようです。

炬燵であやとりをする少女と女性・鈴木春信雪見八景・歌川豊国

余談ですが、「内弁慶」という言葉と同様に、外では意気地がないが家庭中では威張り散らす人を「炬燵弁慶」と言います。越谷吾山の『物類称呼』には、 冬に老人が炬燵から離れられないことを「炬燵弁慶」と言うとあります。

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