「バンクシー」という覆面芸術家のメッセージと自分の作品を破棄した芸術家

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少女と風船

2018年10月にサザビーズのオークションで、104万ポンド(約1億5000万円)で落札された「バンクシー」という「覆面画家」の絵画「少女と風船」が、落札直後に「額縁に仕掛けられたシュレッダー装置」によって、絵の下半分だけが裁断されるという大変衝撃的で珍しい事件がありました。

しかも、驚いたことに、この「シュレッダー装置」を仕込んだのは「画家本人」で、「意図的に行われたいたずら」だったというのです。

さらに驚くべきことに、サザビーズによって作品名は「愛はごみ箱の中に」と変更され、落札者は、その半分裁断された状態の作品を落札価格で引き取ったそうです。

一部には、「今回の出来事によって、作品の価値は落札価格より上がった」という穿った見方も出ているようです。

1.バンクシーとは

ニューヨークの地下鉄への落書きや、日本でも壁や電車に落書きする「グラフィティアート」や「ストリートアート」と呼ばれる「街をカンバスとして、ペンキやスプレーで描かれる落書き」があります。これらは意味のよくわからない見苦しいものがほとんどですが、バンクシーのものはどこか「芸術的」で「風刺的」な感じのする落書きです。

(1)覆面芸術家

バンクシー(Banksy、生年月日未公表)は、イギリスのロンドンを中心に活動する覆面芸術家です。日本を含む世界各地約170カ所に社会風刺的なグラフィティアートやストリートアートを残しています。

そういう意味で、昨年10月にサザビーズの競売にかけられた「絵画」は特殊な例と言えます。

(2)正体は誰か

正体はどこまでも謎に包まれたままで、メディアのインタビューも電話やメールに限るなどの徹底ぶりです。

しかし、憶測の域を出ませんが「正体」と目されている人物は何人かいます。

フランス出身のグラフィティアーティストの「ブレック・ル・ラット」や、イギリスのブリストル出身のアーティストである「ロバート・カンニガム」、イギリスの人気音楽ユニット「マッシヴ・アタック」の中心人物「ロバート・デル・ジャナ」(通称:3D)などが挙げられています。

中でも「ロバート・デル・ジャナ」が、「マッシヴ・アタック」の「ライブが行われた時期と都市」と「バンクシー」の「グラフィティが現れた時期と都市」に相関性があるとのジャーナリストの報告もあるので、「一番疑わしい」ようです。

(3)絵画テロリストなのか

メトロポリタン美術館や大英博物館の館内に、無許可で作品を陳列したり、型紙を使って街中の壁などに「平和」、「反資本主義」や「反権力」など政治色が強いグラフィティを残すなどのパフォーマンスをするので、「絵画テロリスト」と呼ぶ人もいます。

2.バンクシーのメッセージとは

(1)社会や世相に対する批判

次のような作品例から、その傾向がわかります。

・ロンドン動物園のペンギンの囲いに登り、「We’re bored of fish.」(我々は魚にはもう飽き飽きだ)とペイントした

・ヨルダン川西岸地区のパレスチナ側の分離壁に、子供が壁に穴を開けている様子や、穴の開いた壁から見えるビーチなど9つの絵を残した

ヨルダン川の壁

(2)絵画を財産とみなすことへの批判

上記の「少女と風船」という絵画の「シュレッダー裁断事件」がそのことを暗示しているようです。

(3)絵画は公共財という考え方

これも、「シュレッダー事件」と関連しますが、絵画が個人に「財産として死蔵されることへの反発」があるような気がします。

ただ、私は「美術館や博物館に自分の作品を無償で寄贈すればよいのではないか?」とも思うのですが、彼は、美術館や博物館のような「特定の美術愛好家」に限定された閉ざされた空間に閉じ込めることは本意ではなく、公共の空間に自由に自分の作品を展示して、広く人々に見てもらいたいという気持ちがあるように感じます。

3.自分の作品を焼却したり破棄した芸術家

絵画を「砂絵」や「ラテ・アート」と同じように、「瞬間芸術」と考えたわけではないでしょうが、自分の絵画や書画を焼却したり、自ら買戻して破棄した人がいます。

(1)ボッティチェリー(1445年~1510年)

ボッティチェリーと言えば、「ヴィーナスの誕生」という絵画で大変有名ですが、自分の絵画を破棄したことがあると聞いたことがあります。

よく有名な陶芸家でも、自分の気に入らない焼き上がりだと、すぐに割ってしまうと聞いたこともあります。

「優れた芸術家のこだわり」がそうさせるのでしょう。

(2)相田みつを(1924年~1991年)

相田みつを

自分が若いころに書いた書画が他人の家に飾られているのを見て、恥ずかしくなり、所有者に無理を言って、自ら買戻し破棄したことがあると聞いたことがあります。

これは、自分が「悟りきったような言葉を書いた作品」が、「いかにも嘘っぽく見えて恥ずかしかった」ということでしょう。

彼は自ら、「自分は書画に書いているような悟りきった人間ではなく、欲望や煩悩・不安が一杯の人間だ」と話しているのを聞いたことがあります。彼は長い間、詩人や書家としてはあまり認められず不遇だったようで、自分も含めて「人間の弱さを認める」「ありのままを受け入れる心構え」を大衆に受け入れやすい「にんげんだもの」「おかげさん」などの詩に託して書き、晩年に大ブームとなりました。

フランス文学者で「ファーブル昆虫館」の館長でもある奥本大三郎氏は、「素直に言ってこの相田みつをという人の、わざと下手に書いて人に阿(おもね)るような字も、それを紙に書きつけた人の心の底の劣等感をごまかすような文句も私は嫌いである。上手に書ける字をわざと下手に書く人には何か魂胆がある、と警戒したくなる」と手厳しい見方を示しています。