前回、「ベトナム戦争」まで振り返りましたが、今回は「東西冷戦の終結」から現在までの国際情勢について、考えて見たいと思います。
1.ブッシュ大統領とゴルバチョフ書記長による「東西冷戦の終結」(1989年12月)
1945年の「ヤルタ会談」で、米ソの戦後世界の分割協定ともいうべき「ヤルタ体制」が出来上がります。ポーランド問題などで、大戦中から両者の対立はありましたが、戦後はヨーロッパでのドイツ問題とアジアでの朝鮮問題が深刻さを増して行きます。
1946年イギリスのチャーチル首相は、「鉄のカーテン」演説を行い、ソ連による東欧諸国囲い込みを批判しました。「冷戦」という言葉は、1947年頃から使われ始めました。
その後、「NATO(北大西洋条約機構)」と「ワルシャワ条約機構」の対立という形で、冷戦は深刻化しますが、「中ソの対立」や「デタント(緊張緩和)」など紆余曲折の末、「ペレストロイカ(改革)」と「グラスノスチ(情報公開)」による「自由化」を掲げるソ連のゴルバチョフ書記長とブッシュ大統領(パパブッシュ)の間で行われた「マルタ会談」によって、東西冷戦は終結に向かいます。
しかし、ゴルバチョフ書記長の「自由化」志向は、「ソ連型社会主義体制の完全な行き詰まり」の裏返しでもあります。
2.湾岸戦争(1991年1月~1991年2月)と自衛隊の海外派遣
これは、サダムフセインが率いるイラクによるクウェート侵攻をきっかけとした国際紛争です。この時のアメリカ大統領は、「パパブッシュ」でした。
停戦後の1991年4月、「ペルシャ湾における機雷除去」などを目的として、自衛隊の海外派遣が始まります。
3.アメリカ同時多発テロ事件(2001年9月11日)
イスラム過激派指導者のビンラディンが首謀者と見られる大規模テロ事件です。2001年10月、アメリカはビンラディン一味が潜伏していると見られるアフガニスタンを攻撃し、同国を支配していたイスラム原理主義組織「タリバン」を年末までに追放しています。
この時のアメリカ大統領は、「息子のブッシュ」でした。
4.イラク戦争(2003年3月~2003年5月戦闘終結)と自衛隊の海外派遣
アメリカ同時多発テロ事件以降、アメリカのブッシュ大統領(息子のブッシュ)は、イラクを「悪の枢軸」と名指しで批判し、大量破壊兵器保有の可能性を危険視してイラク攻撃を開始します。
2003年12月にサダムフセインは逮捕され、2006年末にイラク特別法廷で死刑宣告受け、処刑されました。
自衛隊は、2003年12月から2009年2月まで、「人道復興支援活動」と「安全確保支援活動」を目的に派遣されています。
5.イスラム国との戦い(2014年9月~ )と自衛隊の海外派遣
イラクでは独裁者サダムフセインが倒れると、民族対立や宗派対立が表面化して来ましたし、アラブ世界では、2010年~2012年にかけての「アラブの春」という反政府デモなどの争乱を経て「民主化」が進むかと思われましたが、国内の宗派対立やアルカイダ・イスラム国の介入などで混迷の度を深めています。
アメリカのオバマ大統領は、2014年9月に、シリア領内にある「イスラム国」拠点の空爆を開始しています。
この戦いは、シリアのアサド政権と反政府勢力、イスラム国が入り乱れて、複雑な様相を示しています。
自衛隊は、このイスラム国との戦いにも、「停戦監視」を目的に派遣されています。
6.「パワーポリティクス(武力政治、権力政治)」による「力の均衡」
最近、「覇権国家」を目指す中国の習近平主席の動きは、凄まじいものがあります。ロシアのプーチン大統領も、「覇権国家」を目指していることに変わりはありません。
そして、北朝鮮が引き続き核開発を進めていることも、懸念材料です。
このような軍事力を背景とした「パワーポリティクス」が、現在の世界情勢の現実です。「パワーポリティクス」とは、「主権国家同士が、軍事・経済・政治的手段を用いて互いに牽制しあうことで、自らの利益を保持しようとする国際関係の状態」です。
諸国家は、世界の資源をめぐって争い、他国や国際社会の利益よりも、自国の利益を優先します。その手段は、核兵器の開発・保有、先制攻撃、恫喝外交、国境地帯への軍隊の配備、関税障壁や経済制裁など多岐にわたります。
今のアメリカ・ロシア・中国・北朝鮮の動きは、まさに「パワーポリティクス」です。
このような状況では、「力の空白」が起きた場合、「力の均衡」が崩れて、武力衝突が起きる危険性が高くなります。